お知らせ
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イタリアのトランペットの名手カッソーネのCD(本の付録)を入手する。
カッソーネはフリードリッヒと同じくバロックから現代音楽まで守備範囲の広い人だ。
で、今回の録音にはキイ・トランペットによるハイドン、フンメルの両コンチェルトも入っている。
見事である。
どんなに見事かというと、いくら耳を凝らしてもキイ・トランペットに聴こえないほど自然なのである。確かにピッチも430だし、音質もキイのそれなんだけど、クローズとオープンの音の並び方とかフィンガリングの滑らかさ(トリルをキイで掛けているところあり)などを聴くと、これは長管のロータリーなのか?と思ってしまう、というか全くキイに聴こえないのだ。
確かにキイなんだよね、と自分を納得させるために何度も聴くことに。
でもなんか確信が得られない。ある意味すごい。
フリードリッヒのCDのときも驚いたけど、今回もまた驚かされた。
早くも7月。
30年前の1979年7月と言えば、ソニーが初めて携帯型のステレオカセットプレーヤーTPS-L2を発売したときである。つまり初代ウォークマン(まだウォークマンという商標はついてなかったが)。
衝撃的だった。
なにしろそれまで外に持ち出しできるといえばデンスケ(これは完全な死語かも)しかなかった時代。こんなに手軽にステレオのサウンドを持ち歩きできるなんて!今では当たり前のことだけど、何ごとによらず世の中に初めて今までなかったコンセプトを提供するというのはすごいことだ。
当時の値段が33,000円。充分に高いがそれだけの価値はあった。
その春に社会人になりたての僕も、飛びついて買いに行った(が、4週間ほど待たされたような気がする)。分割払いだったかも。
初めて外に持ち出して聴いたときのことも忘れられない。曲はなぜかベートーヴェンのゼプテット。歩きながらステレオの前にいる感じ。これまた今では当たり前。
あれから何台買い換えたことか。テープからCDになり、MDになり、さらにはハードディスクになり。
ときどき思うんだけど、例えば今のiPodシャッフル(一番小さいやつね)とカナル式のイアフォンをその30年前に持っていったとしたら、とんでもなくびっくりされるだろうね、当時の人たちに。
この30年間の変化というのもすごいもんだ。
一般的な区分はどうなっているのか、厳密には知らないが、組織の大小をこういうふうに区分けする事も可能ではなかろうか。
=小組織=
構成メンバーの顔も名前も人となりもよく分かっている
=中組織=
顔と名前くらいはだいたいわかるけど、全員がなにをしているかまでは知らない
=大組織=
そもそも全体像がつかめないくらい人が多い。人の名前を覚えるなんて気はもとより起きない。
小中大は小企業、中企業、大企業でもいい。小企業なら多くても10数人、中企業は数百人、大企業は千人以上の規模っていうのがだいたいの僕の感覚なんだけど。
最初に自分が就職したのは正社員800人くらいだったから、いわば中企業。人事にいたこともあって人の名前は全部覚えた(若かったこともあるしね)。6年後転職した時は一万人近くの大企業だったので、それこそ群盲象を撫でる(だったっけか?)状態で、中途入社ということもあり、俯瞰図は数年勤めても得られなかった。そうこうするうちに子会社に転籍(200人くらい)、外資系に転職(当初日本法人は100人未満)、今の会社に転職(超大企業の子会社、200人くらい)、と概ね組織的には中企業に勤めている。見晴らしが良くて自分の性に合ってるような気がする。
そういう組織の役割の中で、上司としてどれだけの人を見る事ができるか、ということになると、やはりせいぜい10人くらいなのではないだろうか。というのが自分の経験。(ま、それ以上の人数を任されたことがないからということもあるけど)
組織が肥大化すると、どうしてもさらなる小グループに分けて、それらをまとめるマネジャーを統括するというリモートコントロールの必要が出て来る。必然的に個々人の顔は遠くなり直接のコミュニケーションは希薄になる。
6月末で株主総会も多い。社長交替の会社も多数あるが、大企業の社長になる人々ってそういう重層管理に慣れた(長けた)方々なんだろうな、と思う。
自分には声がかかる恐れはないけど、そうやってとんでもない大人数を率いることになるときっと途方にくれるに違いない。同じ組織の長をするなら(しかも給料に変わりがないなら)小組織がいいなと思う自分は所詮小サラリーマンだね。同じ給料でもどうせ動かすなら大人数を、という権力志向の人もたくさんいるんだろうが、自分はその対極だな。
そんなことをつらつら考えるに、そういえば、音楽だって少人数のアンサンブルの方が好きなんだよなあ。というか、もうこの10年以上その方向しかやってない。
大編成のオケはどちらかと言えば苦手。(でも考えてみるとオケは人数やパートの多さから、組織としての包容力が大きいのも事実だ)
この嗜好性って関係あるんだろうか。
逗子でのカンタータ演奏会、無事終了。
演奏の仕方について迷っていた19番の5曲目は結局自分のイメージで演奏することにした。ただ、ちょっと音量大きめに。(これはマエストロからの指示)
マエストロからは「すごく良かった」とお誉めの言葉を頂戴した。
特に最高音域の「シードーラーシーソー」ってとこは良かったって。
ヨハネ受難曲を聴いてイメージトレーニングしたのが効果的だったのかも。
ただしスタミナ配分がうまくいかなくて19-7のコラールではバテてしまったのが残念だったけど、全体の演奏には迷惑をかけてないはず。
(ステリハが終わったあとに控え室で吹いたのがいけなかったね)
ということで他には破綻なく、いい感じでラッパ3本演奏できたのではないかと思う。
これで今年前半のプログラムは終了。
アントネッロの定期公演に始まり、ロ短調ミサ、リサイタル、メサイア、ハイドンのコンチェルト、カンタータ128番でのナチュラルなど、かなりハードな内容だったけど、ようやく一息つくことができる。
これからしばらく充電だな。
プライベートレッスンの計画や第2回これしかないの仕込みなど、まだまだやることがある。やりたいことがあるというのはいいことだね。
今週末出演する演奏会の案内です。
ターフェルムジーク鎌倉
バッハ 教会カンタータ連続演奏会 XIV
日時:2009年6月13日(土)午後2時開演
場所:逗子文化プラザホール(JR逗子、京急逗子駅下車)
曲目:JSバッハ カンタータ第19番(大天使ミカエルの祝日用)
JSバッハ カンタータ第113番(三位一体後第11主日用)
JSバッハ カンタータ第21番(三位一体後第3主日用)
ソロ:藤崎美苗(Soprano) 高橋ちはる(Alto) 石川洋人(Tenor) 藪内俊弥(Bass)
器楽・合唱:ターフェルムジーク鎌倉
指揮:大竹尚之
料金:2500円
問い合わせ:0467-31-2588(吉田)
そろそろ来年の自主公演の中身を考えないと。
今年と同じく前半はビーバーとかシュメルツアーなどのボヘミアもの、後半はイタリアものにしようと思っている。もちろん自分のプロデュースだからラッパが楽で聴き映えのする曲を選定(難しい曲は除外ね)、ただそれだけだとラッパおたくのプログラミングになってしまうので、どうやっていろいろバラエティに富ませようか、考えどころ。
あと、メンバー構成もね。頭を悩ませる。
ラッパは1本で足りるのか。2本あれば曲の選択がぐっと広がるけど。弦もボヘミヤものは中低音が充実してないとだめ(ヴィオラが2本とか)だけど、イタリアものは大抵ヴァイオリン2本だけでヴィオラの出番はなしだとか。
予算のことも考えないといけないし。
源造さんに相談だ。
昨年訪れた縁からか、福岡古楽音楽祭の今年のパンフレットが郵送されて来た。
第11回目の今年は9月20日から4日間、「管楽器の祭典」というテーマで開催される。
初めて行った昨年のイベントのときにも強く印象づけられたんだけど、音楽監督が世界的トラベルソ吹きの有田正弘さんという関係か、あるいは事務局が前田さん(同じくトラベルソ吹きの前田りり子さんのご実家)だからなのか、他の古楽関係の催し物に比べるとこの福岡の古楽音楽祭はトラベルソやリコーダーなどの木管楽器が充実している。それはコンサートだけではなく、マスタークラスやあるいはアマチュアによるフリーコンサート、楽器展示などさまざまな面で顕著だった。ほう、九州はとりわけフルート人口が多いんだなと。
で、昨年の記念すべき10周年のバッハ特集から、今年は作曲家や地域という切り口ではなく、楽器にスポットをあて、「管楽器」の特集ということらしい。
ゲストもオーボエのドンブレヒトやリコーダーのハウヴェ、セバスティアン・マルクなどに加え国内で活躍する名だたる木管の古楽奏者たちが名を連ねている。オーボエバンドなど聴くにも楽しそうだ。
いや、ちょっと待って。「管楽器の祭典」だよね。金管楽器の扱いは?
と見ると、どうやら金管はスルーらしい。音楽監督の有田さんの口上によると、
「管楽器といえばホルンやトランペットといった金管楽器も加えたいところですが、ブラスバンドが盛んな我が国でも、金管の古楽器は残念ながら、まだ層の厚みに欠けるジャンルです。」
というわけで、層が薄い→参加者が少ない→興行的にムリ。という判断なんだろう。理解できないではないけど、残念だ。
せめて特集に入れるのは叶わないにしろ、昨年同じく思ったのは、せっかくクイケンのアンサンブルにマドゥーフとか来博している機会に、マスタークラスを組むとかできなかったのかなということ。そうやって層を広げることに意を用いてくれると良かったんだけど。
コンサートでの司会の朝岡聡さんの言を待つまでもなく、ブランデンブルク全曲や管弦楽組曲全曲での演奏であれだけホルンやトランペットが注目を浴びていたんだから、愛好家を増やすにはいいチャンスだったんじゃないかと思う。
とりあえずタイトルは「管楽器」→「木管楽器」に変えた方がいいんじゃないかと思料。
我が家のナチュラルトランペットたちが出払ってしまっている。
Egger (4 hole long type in D&C)・・・オランダに長期貸し出し中
Munkwitz (3 hole short type in D&C)・・・磐城に長期貸し出し中
Heide (natural in D&C)・・・埼玉に7月まで
Raquet (natural in D&C)・・・川崎に6月まで
Keavy (4 hole long type in E)・・・川崎の別のところに8月まで
全部で5本か。メモっとかないと忘れそう。
というわけで、今手元にあるのはEggerのロングタイプと、Heideのスライドトランペットのみという状況。
体は一つしかないから、これでいいのだ。
西荻窪、本郷教会でのカンタータ連続演奏、<賛美と祈りの夕べvol.251>が土曜日にあった。
今回は183番と128番の2曲で、ラッパの出番は128番のみ。
当日のリハーサルは午後3時から。ところが会場に行く途中でトランペットのマウスピースを持ってくるのを忘れていることが発覚。バロックラッパ仲間のO氏がリハーサルを聞きに来てくれる予定になっていたので、急遽電話をして、とりあえず何でもいいからバロックのマウスピースを持って来てくれるように依頼。無事S8が手に入って事なきを得た。普段使っているSI7よりは若干小さめだが、自宅での練習のときにS8もたまに使っているので全く問題ない。
もし途中で気がつかなかったらポストホルンのマウスピースでやりくりしなくちゃいけないところだった。危ない危ない。
128番3曲目のラッパのソロはナチュラルでチャレンジ。一息で吹く(吹かざるをえない)メリスマの部分は本番よりリハーサルの方が調子が良かったか。このあたり、まだまだイメージトレーニングが足りない。本番のときに何かが邪魔をしている。それは邪念だったり、余分な緊張だったり。常にベストを出すにはどうしたらいいか、真剣にさらわなくちゃね。
さて、今年前半の演奏活動は6月13日の逗子でのカンタータで締め。
そのあとは当分出番はなくなる。
それにしても今年前半の山は高くて険しかったなあ。
仕事上での知り合い(金融関係)のブログに、
「昔からの仲間たちが昨今の金融危機で痛んでしまい辛い状況にあるため、あまりお気楽なことは書けなくなった」とあった。
そうだろうなあ、と思う。
オフィスの移転の関係もあり、今週はヒマをみつけて書類の整理などをしている。いただいた年賀状も整理してみた。
試しに2008年の年賀状を区分してみると、その約半分は今もその会社に健在な人からのものだが、4分の1弱はまだその会社に勤めているか不明のもの(1度の名刺交換だけという関係で賀状が来たりするとそうなってしまう)、そして4分の1強はもう既に辞め(させられ)たか、その会社が存在しない人からのものだった。
たかだか1年半前の賀状なのに、実に30%近くがなんらかの理由で離職したってことだ。
もともと金融関係では外資系主体に人材の流動性(モビリティ)は高いのだが、バブリーな時に比べて違ったのは、「ここに転職しました」という挨拶状の少なさだ。つまり知らないうちにいなくなったり、ひっそりと転職していたりという事例が多い。
冒頭の僕の知り合い(外資に移ってはや20数年)の彼の回りなら、より離職率は高いかも。かっては持ち前の情報網で「あそこが人を探しているみたいだよ」というアドヴァイスもできたのだろうが、人口が急速に減っている今はそういう再就職の相談にも乗りづらいんだろう。「家を売らなくてはいけなくなった」という相談にはどう答えてあげればいいのか。
金融の場合はどうしても極端に走りがちだから、身から出た錆的部分もあるんだけど、それはむしろ組織の問題。ミクロの個人レベルだとどうしても被害者的な暗い話になってしまう。
所詮、他業界の人からすれば、「そんなこと言ったって、それまで法外な年俸とかもらってたんでしょ。我が世の春を謳歌していた天罰がくだったのさ」ということで溜飲が下がる話なのかもしれないが。
いい意味でね。
今日は西荻の本郷教会で来週のカンタータ礼拝の練習。カンタータは128番。1曲目と5曲目はコルノ、3曲目がトランペットというラッパ吹きには出番が多くて忙しいもの。
もはや本郷教会は僕にとってホームグラウンドの一つ。いろんな冒険もやらせてもらえるし、それを淡野親子始めみなさんが温かい目で見守って応援してくれる。ありがたいことだ。
というわけで、今回3曲目のトランペットオブリガートは穴なしの完全ナチュラル。礼拝堂の響きに助けられて酸欠にもならず気持ちよく吹くことができた。ナチュラルトランペットを始めた頃は正直ここまで来れるとは全く思ってなかったけど、何かに導かれて来てしまいましたという感じ。却って指穴を使うほうが音色が不揃いで変なんじゃないかという気にさえなってきた。
昨日の逗子での練習でもカンタータ19-5を試しに4つ穴と穴無しでやってみたが、安定感と音程は4つ穴だけど音色は明らかに穴無しに軍配が挙がる。どちらがいいかと天秤にかけると、やはりまだ有料の演奏会だと前者になるんだよなあ。その差を逆転するのが今の目標。
ふーっ
本番終了。
本番をベストにもっていくのが今後の課題だな。
(たぶんステリハのときが一番良かったような気がする)
雑感
その1)お客さんの年齢層が非常に高め。前半は降り番だったから、ラッパの相棒と一緒に客席で聴いてたんだけど、僕らはホントひよっこって感じだった。ヨーロッパのクラシックの演奏会に行くとこんな感じだよね。
その2)ステージに上がる直前、舞台裏で、そういえばこのホール(東京文化の小ホール)は年初のコンサートのときにへくった(ヘマした)とこだったんだよなあ、と瞬間過去の悪夢が蘇った。今日はそんなことがありませんように。
その3)古典派の演奏には大分慣れた。編成が小さいからということもあるのかな。
その4)ティンパニの存在はありがたいね。弦とラッパのみの曲のあと、ティンパニが戻って来てくれると「おお、こんなに吹きやすかったのか」と思うもん。
その5)ファの音がなんとかなってきたのがうれしかった。ヴァイオリンからも今日はファの音程は全く気にならなかったと言われたし。
その6)プログラムが終わって立ち上がってみたら客席かぶりつきにBCJのオーボエのS氏が座ってるのを発見してびびった。人がわるいよなあ。それでも事前に知るよりはましだったか。
ともあれ、無事にコアでティープなモーツァルティアン向けのコンサートは終了。
やれやれ
昨日のMATのゲネプロのあと、指揮者殿にムリ言って2月のロ短調ミサ曲と先日のハイドンのコンチェルトをCDに焼いてもらう。
うちに帰って今日ゆっくり聴いてみた。
感想
1. ロ短調ミサ、オケの中のラッパのバランスはすごく良かった。欲を言えばあと1割増しくらいあっても良かったか。とにかく僕の中での理想に近い感じ。あ、あくまでもバランスね。
2. 二カ所でハイDをはずしたのが目立っていて痛い。ピアノで軽く行きたかったんだけどなあ。かなりもったいない。
3. ハイドン、健闘してるけど、相変わらずポカがある。しかもそれぞれの楽章に。せっかくステージリハーサルで合わせ直ししたのに、第一主題のドの音をフライングしてるし。 (最初のドレミはオーディションでも大事だというに・・)
4. 2楽章は一部アタマが白くなったところがもったいなかった。練習では一度もなかったのに。うーん、リベンジしたいなあ。
5. 3楽章ってあんなに音外したっけ。数えたら15くらいもあった。テンポも早かったけど、ダメじゃんこれじゃ。
なかなか納得いく演奏はできないもんだね。
でも、ロ短調ミサが今のところ今年のベストパフォーマンスかも、と思ってしまった。
先日疑問に思っていた、ピリオド楽器によるハイドン/トランペットコンチェルト全曲の日本初演はうち(OPT)じゃないことが判明した。
数年前、オーケストラS、トランペットソロS氏によるコンサートがあったらしい。うちの指揮者殿が立ち会ったとのこと。
なんだ、早く教えてよ
ステリハが始まる前にヴィオラのY氏と雑談していて、能のはなしになった。
能は昨年初めて鑑賞したけど、いろいろと所作が決まっているわりには中身は自由(アドリブあり)ということらしい。バロックですねえ。
などという話から、
「いや、実は今回のハイドンにも僕なりの所作があるんですよ」と僕。
「へえ、なんですか?」
「あのね、僕がラッパを片手で掲げて吹いているときは、これはナチュラルトランペットですよ、という合図のつもりなんです」
「そうなんですか、気がつかなかった」
「曲の冒頭はナチュラルだよっていうのを示しておいて、主題からキイトランペットに変貌する。だけど3楽章の最後ではまたナチュラルに戻って終わるんです」
「なるほどねえ、そうなんだ。今度はちゃんと気をつけて見てみます」
というわけで、コンチェルトのなかで正規のナチュラルトランペットの持ち方(片手で楽器を持ち、もう一つの手は腰に充てる、いわゆる仁王立ち牛乳ラッパ飲み体勢)をした部分が何カ所かあった。
演奏会が終了してから、何人もの人から、「あの、片手でラッパを吹くのは格好良かったねえ」と言われる。
それでハタと気がついた。
今のお客さんには片手で吹くのが新鮮に見えるんだろうけど、当時の聴衆にとってはそれが当たり前で、むしろ両手でトランペットを操るのが異端(というか見慣れないこと)だったんだろうなと。
だとすると、楽譜や自然倍音だけの問題ではなくて、これは視覚的にも聴衆を欺くために、あの持ち方をしたのは正解だったんじゃないだろうか。
うーむ。終わっても新たな発見があるもんだ。
本番無事終了。おかげさまでコンチェルトは好評だった。
昨日の演奏会後の打ち上げでも披露した話だけど、ちょっと内輪話。
一楽章のカデンツをどうするかは数ヶ月前から迷っていた。
今回は幸い自分のオケでのソロだから参加する練習回数も多いし、みんなの理解も得やすいのでいろんな実験もできる。いわゆるトライ&エラー方式ね。
というわけで練習の時には数種類のカデンツを試させてもらった。
Wobish, Segal, Immer あたり。それからそれらをブレンドしたものなど。いろいろ試すうちに、モダン楽器で演奏されたカデンツはキイ・トランペットには適さない部分が多いということに気づいた。キイはキイなりの聴きどころを選んだほうがいい。そういう意味でImmerのは最初にCDを聴いたときはぱっとしない感じだったけど、自分で吹いてみるとなるほどムリがない。
そんなこんなで練習を重ねるうち、指揮者用にもカデンツの譜面があるといいかなと思い、その時々に試すカデンツの譜面を書いて指揮者に渡すことにした。すると、ここはもっとたっぷりやったほうがいいとか、上昇音型はどの音から始めた方がいいとか、いろいろアドヴァイスをくれる。練習としては一石二鳥だ。
さて、本番当日の朝、家を出る前に、最終的に心の中で決めたカデンツの楽譜を指揮者用に書いた。なにしろもう決まっているのだから白紙の五線紙の上にすらすらと譜面が書ける。まるでモーツァルトにでもなったかのような境地(笑)。
実はそのカデンツにはちょっとしたいたずらが盛り込まれていた。カデンツの終わり頃にちらっとフンメルのトランペットコンチェルトの第1主題冒頭のフレーズを入れてみたのだ。
本番前のステージリハーサルでそのカデンツを試す。1楽章終了後、指揮者曰く「この部分はちょっと余計じゃない?」と指差したそこは例のフンメルの数小節。「そうですか、そうかなあ」
結局本番ではフンメルにはご登場いただかないことにした。カデンツが一部乱れたのは、頭の中に清書されてた譜面が一部ぐしゃぐしゃっとしてた、そのせいかもしれない。
今日の演奏会のプログラムから転載。
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ハイドンのトランペット協奏曲とキイ・トランペット
ヨーゼフ・ハイドンのトランペット協奏曲といえば古典派のトランペットコンチェルトを代表する曲です。作曲されたのはハイドンの晩年にあたる1796年。104曲におよぶ交響曲も書き終わり、最後の弦楽四重奏曲集やオラトリオやミサなどの大作の創作に取りかかっている集大成の時期でした。協奏曲といえばもう10数年も手がけていません。そんな時期になぜトランペット協奏曲を作曲したかと言えば、ウィーンの宮廷トランペット奏者でハイドンの友人でもあったアントン・ワイディンガーからの依頼があったからです。ただし普通の依頼だったらハイドンの興味は惹かなかったかもしれません。敢えて曲を作ってみようかと思ったのは、おそらくワイディンガーの頼みがその当時発明されたばかりのキイ付きトランペットのためという目新しさがあったからではないでしょうか。それまで自然倍音しか吹くことのできなかったナチュラルトランペットと違い、半音階を自由に出すことができるその楽器の可能性を試してみたいという実験的企みが込められていたに相違ありません。
そうした背景からか、この曲には円熟した作風の中にそうしたハイドンのユーモアやちょっとした裏切りがあちこちに仕組まれているように思われます。冒頭の、あたかもナチュラルトランペットのようなソロの出だしのあと、(ナチュラルでは不可能だった)中低音域の音階で始まる第1主題を提示させる部分。執拗なまでの半音階の繰り返し。ここで終わりかなと思わせておいてまだ曲を続ける偽終止、などなど。当時の聴衆をびっくりしてやろうといういたずら心でしょうか、パパ・ハイドンの面目躍如たるところです。
初演は1800年3月28日、ウィーンのブルグ劇場、アントン・ワイディンガーによる新作のオーガナイズド・トランペットを使用した自主演奏会にて。初演までに年月があるのは楽器を手中のものにするのに時間がかかったのと、演奏会を開くための当時の宮廷の煩雑な手続きのためだったようです。ハイドンのその企みは成功したのかと言えば、残念ながらお客さんは少なく、共演したソプラノ歌手の状態も酷くて散々な演奏会だったようです。しかしながら1802年にライプチヒに演奏旅行を行った際には大成功をおさめ、彼と彼の新しい楽器は一時期脚光を浴びることになります。
ただ時代は彼には味方しませんでした。オーケストラでは新しく開発されたバルブ式のトランペットが主流を占めるようになり、1840年頃を最後にキイ・トランペットは世の中から姿を消して行きます。まさに金管楽器史においては半世紀しか生き永らえなかった一世代限りの変種という存在になってしまいました。
ハイドンの曲も一旦は忘れ去られてしまいます。しかしながらこの貴重な名曲は20世紀になってブリュッセルで再発見され、以来トランペットのコンチェルトと言えばこの曲、という定番の位置を占めるに至ります。楽器は消えども曲は残りました。今日の演奏会ではその消えた楽器も復活させたいと思います。なにか新しい発見があるかもしれません。
もうコンサートは明日に迫ってしまったので、このハイドン演奏の謎シリーズもこのへんで最終にしておこう。
冒頭の無意味に思える(?)伸ばしの音を吹かないのも、トリルを上下どちらからかけるかも、結局奏者に委ねられている問題だ。
そもそも譜面自体にスラーやスタッカートなどのアーティキュレーションやダイナミクスなどが最小限にしか書き込まれてないし(あくまでもこれは自筆譜のこと)、あってもバイオリンとソロとでは同じフレーズなのにスラーの位置が違ったりもしている。これもどう解決するかは奏者の問題となる。
しかし自由度という面で一番大きい問題はやはりカデンツをどうするかだろう。ハイドン自身はカデンツを書いていない。それも道理で、ピアノフォルテのように作曲者の手中にある楽器ならともかく、新種の楽器の聴かせどころをどうするかはそれこそアントン・ワイディンガーに任せるのが一番だっただろうから。
従ってカデンツは奏者の自由に完全に任されている。「完全に?」いや、そんなことはない。ソリストの技術を誇示したり楽器から奏でられる美しさをアピールする場ではあるけれど、あくまでもウィーン古典派のハイドンのスタイルからはみ出してはいけないだろう。他人が作ったのをコピーするのはその意味では安全かもしれない。でも人の好みや得手がそのまま自分に当てはまるとも限らない。できれば自分のカデンツを作るべきだろう。
そういう観点から1楽章最後のカデンツを市販の演奏で聴き比べてみる。
一番多いのはアンドレのコピー(Guy Touvron)か、そのアイデアをパクったもの(Alison Balsom, Tine Thing Helseth, Miroslav Kejmar, Geoffrey Payne)。非常に無難。
それどうなの?と思う演奏は、ShowOffが過ぎたのか、つい手癖が出るのか、エチュードっぽいフレーズが入っているもので、いかにもラッパ吹きらしいし上手なんだけど、スタイルという面からはちょっと首をひねる(Wynton Marsalis, Charles Schlueter, Rolf Smedvig, Gerard Schwarz)。あ、みんなアメリカ人だね。
それに比べ上手に作ってあるのが、Reinhold Friedrich, Niklas Eklund, Jeffrey Segalあたりのように思われる。一方、場外はSergei Nakariakovだね、これは全くのロマン派。どっか他の曲でやってくださいって感じ。
3楽章のカデンツ。これは前半の124小節目。なくてもいいし入れてない演奏も多い(28のうち17はカデンツなし)。逆に入れようと思えば最後の280小節目のGPに入れることも可能(Rolf Smedvig, Geoffrey Payne, Pierre Thibaud)だけど、これは作曲者のGPの意図(だまし)を汲んでないし、スタイルという面でも概ね失敗している。まあ、入れるとしたら前半に短いフレーズをさりげなく、っていうのがセンスいいんじゃないかと思う。
カデンツ以外に音を入れる(つまり装飾などで音を増やす)ことは許されるのだろうか。これは作曲年代を考えると普通に行われていたことではないかと推察される。つまり、即興的に装飾を入れることは問題ないのではないかと思うのだ。ただし、これもあくまでもスタイルが同一で、かつ装飾することでフレーズの効果が引き立つようなものに限るのはいうまでもない。そういう目で見るとリリカルな2楽章は装飾を入れるのに格好の場所なのではないかと思う。しかしながらCDを聴く限りではそうした試みはGerard Schwarz1人のみ。録音ではなくてライヴ演奏ではもう少し実例があるのかもしれないが。
さて、明日の演奏はどんなでしょうか。まずは聴いてのお楽しみ。