あきれたこと(朝日新聞の投稿欄風)
今日、練習に向かうJR総武線の車内にその若者はいた。
はやりのところどころ切れたジーパンにくたびれたTシャツを着たその大学生とおぼしき男は、7人がけ座席の真ん中で黙々とお弁当を食べていた。まさにお弁当、おにぎりとかじゃなくて、四角いアルミでできた古典的なお弁当箱に箸を運びながら、あたかもそこが教室とか学食みたいな雰囲気で。両側に座っている人たちは我関せずといった風で携帯をいじったり本を読んでいたりしている。
「君、ここは電車の中だよ、やめなさい」と注意しようかと思ったけど、やめた。「なんで駄目なの、移動中に食べ物食べちゃいけないっていう規則でもあるの」と反論されそうな気もしたし、それ以前にあまりにも平然と食事をしているさまにあっけにとられたからでもあった。注意してもおそらく何のことか理解できなかったんじゃなかろうか。縁なき衆生だ。
きっと彼にとっては普通のことなんだろう。でも、やっぱりそれは異常な風に見える。なぜならそこは食事をするにはふさわしい場所とは言えないから。ものごとを為すにはそれにふさわしい場所というものがあると思う。あのお弁当箱を作ってくれた(多分)お母さんは、息子が他人に囲まれた電車の中でそれを食べているさまを見たら嘆くだろう、きっと。
でも、そういう風に感じる大人がいても(僕のように)注意しないから、ますますモラルが低下していく。そういう意味では大人も共犯といえよう。
などと思いつつドアの方に目を転じると、そこにはヴァイオリンを抱えた女の子が立ったまま鏡をのぞき込んで、お化粧に余念のない姿が。やれやれ。 店長
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