対極
「互いの信頼関係に基づいた会話って読んでて気持ちいいよね」と、とある対談集の本を見て娘が言う。
そうなんだよ。相手をリスペクトする気持ちがかみ合った会話の内容との相乗効果で良い雰囲気を醸成するんだと思う。
これと全く反対の極にあるのが国会議員の議論だろう。虎視眈々と揚げ足をとる機会を狙っていて、ちょっとでも相手方に手落ちがあろうものならここぞと突っ込む。攻められる方は詭弁を弄してでもなんとか不利な体勢から逃げ切ろうとする。物事の本質(あるいは政策)が正面から議論されることはまずない。端で見ていてこれほど醜くて不愉快なものはない。
予算委員会だよ。国家予算を議論する場でしょう。メールの真偽を問われてもしかたないのかもしれないけど、最初にメールの話が取り上げられたときに「ちょっとその話は関係ないから別にしてくれ」と委員長は言えないのだろうか。枝葉末節にこだわるのも重要なことだが、それは本論においてそうすべきであって、脇道でのやりとりは議論を迷走させるだけだ。
そもそも会議の目的が共有されてないところが混乱の出発点なのかも。民間の会社だとあり得ないよね。
問題はそうした議員を選んでいるのはほかならぬ我々国民自身であるということだ。つばが天から降って来ても文句は言えない。
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