« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »

2006年5月

2006/05/30

朝型生活

夜すぐ眠くなる。
夕食を食べるとソファにごろり。うつらうつらしてしまう。
気がつくと11時とかになって、ベッドに移動して寝直す。
すると4時とか3時とかに目が覚めてしまう。

今朝も起きたのは2時半。
それからメールチェックとかmixiとか見て、
3時半からサイレントブラスでトランペットの練習。
テレマンとトレルリ、バッハのカンタータをひと通りさらってからカンティガのカラオケ。サイレントブラスは便利だわ。
5時から近くの海岸までジョギング(iPodでカンティガを聴きながら)。行き帰りで約5kmくらい、距離的にも時間的にも手頃なところに海があってうれしい。
でもって、帰ってシャワーして今日記をつけているところ。

朝から充実し過ぎかも。これじゃあ夜眠くなるはずだわ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/05/28

エンターテインメント業界

昨日、おとといのフジテレビ「ザ・ヒットパレード」はとても楽しめた。最近のフジはさすがに馬鹿っぽさが行き過ぎててアホらしくて観てないけど、これは結構きちんと作ってあるなあと感心した。ちょっと無闇にその時代を象徴するニュースを挿入し過ぎという気はしたが。

中に、ナベプロの渡辺社長が芸能界を立派な産業として実業界に認知させようとしてやっきになるくだりが出てくる。確かに戦後何もモデルがない中、芸能プロダクションという新たなビジネスを立ち上げていく過程で、うさんくささから脱却するには相当の努力が要ったものと思われる。虚業の最たるもんだもんね。

それに関連して思い出したのが、キャッツやオペラ座の怪人で有名なアンドリュー・ロイドウェバーの会社。彼の会社名は「The Really Useful Group」。遊び心満載の名前だけれども、「こういう存在が本当に必要なんだよ、世の中には」というメッセージが思いっきり込められているようで僕はすごく好きだ。
そうじゃなきゃアーティストはやっていけないしね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

年末の楽しみ

今年もまだ半年終わっていないが、早くも年末のこと。
クラシック音楽(というか西洋音楽)にとっては12月は特別な月、なんといってもクリスマスがあるからだ。このキリスト教界最大のイベントに関連してたくさんの音楽が作られている。で、僕みたいなキリスト教者でなくても、その過去の遺産の恩恵に与れるという訳だ。

去年はバッハのクリスマスオラトリオを演奏する機会に恵まれたし、今年もクリスマスがらみのコンサートが一つほぼ決まり。しかもまだ共演したことのない人からのお誘いで、それがまた僕にとってはすごい楽しみなのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/05/25

ウサギは一匹

6月2日のカンティガの演奏会にむけて、これからしばらくはスライドトランペットの練習に専念することとした。幸い他の本番もないしね。

音域と音量の関係上、スライドトランペットにはトロンボーンサイズの大きなマウスピースを付けて吹くのが良さそうだ。でも、これだと僕にはつらいし、ある程度の高音もカバー出来るように今回はアルトホルンのマウスピースでやろうかなと考えている。

これでひとしきり練習した後、F管でブランデンブルクの練習なんかすると、どうもいけない。余計な力が入りすぎるし、アンプシュアをくずしてしまいそうだ。それでスライドに戻ると今度はこちらもよく鳴らなくなってしまう始末。さらに困ったことには音域が低いせいか、今自分が何の音を出しているのか音高感がまったく掴めなくなってしまうのだ。迷子状態。

二兎を得ようとするもの一兎をも獲ず。やはり余計な浮気はやめて今はスライドに集中しろってことだよね。

添付したミニアチュール(細密画)、これ見た時は笑っちゃった。まるで宴会芸の世界。
Csm360

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/05/23

パート譜作り

これは楽しい。

6月2日、目白バ・ロック音楽祭のオープニングコンサートでアントネッロが「聖母マリアのカンティガ集」を演奏する。僕はスライドトランペットでお手伝いをする予定。
器楽は特に決まったパート譜があるわけではないので、濱田さんのラフなアレンジに沿って細部は自分たちで作ることになる。

聴きに来ていただいたお客さんが充分に堪能出来るように(というのが主目的ではないのだが)アントネッロはいつも入念なリハーサルをする。主目的ではないと言ったのは、まず自分たちが納得する演奏でなければいけないということだ。

この数日かけてパート譜のデッサンをするつもり。無事にOKが出ればいいのだが。

添付したのはアルフォンゾ10世の編纂したカンティガ集にあるミニチュア(細密画)からトランペットの絵。
いかにも「ぶおお〜〜ん」って感じだね。

Csm_trp_1

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/05/22

こだわりを捨てる(発想の転換)

ブランデンブルク登頂を真剣に考えている。
自己診断するに今現在は7合目。
残りの3合の内訳は次のようなもの

1つ 1楽章30小節目に代表される様な音の跳躍
2つ スタミナ
3つ ハイG

始めの2つは練習で克服するとして、残りの1合は難物で、今まで登山をハナから諦めていた主要因。曲の中にハイFは16回、ハイGは3回出てくるが、Fまでは何とかなってもGはつらい。

ラッパ吹きにとってはこの音を「ピキッ」っと出すのがとっても大事なことで、「この音には命賭けてまっせー」ってな意気込みで吹いているし、人の演奏を聴いていてもこの部分に近づく頃から「そろそろだなー」という感じで待ち構えていて「出た、出ない、どんな音だった」という、ただそれだけのことで演奏内容を評価するような聴き方をしていたりする。

だけど、ふと考えてみたら、そんな最高音が出ようが出まいがあんまり音楽には関係ないんじゃない、と最近思えるようになってきた。例えば他のパート、ヴァイオリン弾きやオーボエ吹きの人たちは曲の中のたった3つの音で自分の出来が左右されるみたいな演奏姿勢はとってないだろうし、聴いている方もトランペット奏者がその音にいかにこだわっているか なんて想像もつかないだろう。「なんかずいぶん高い音で苦しそうだね〜」あるいは「あんな高い音吹いてすごいね〜」くらいの鑑賞度合いなのではないだろうか。

そう思って試しに無理せずハイGを1オクターヴ下げて演奏してみた。すると、それでもちゃんと音楽になってるじゃん!というか、当たり前のことだが、単に曲のコードの中の一つの音に過ぎなかったという事実。あんまり命賭けることもないかも。

というふうに勝手解釈をすれば完全制覇はまだまだだけれど、なんとか山に登った気分は味わえるかも。ラッパ吹きとしてはハイGにはこだわりを持ち続けるつもりだけど、それを最優先にしない、という気持ちで山登りをつづけることにしよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/05/21

ヴェスプロ本番

今日は本番の日。

数日前、ヴェスプロをいろいろ聴き比べしよう!って書いたのはいいが、結局ヴォーチェ&アントネッロの演奏に手が伸びてしまってあまりたくさんは聴けなかった。
それでもロバート・キング率いるキングスコンソートの新譜(ハイペリオン)があったのでさっそく手に入れて聴く。ふむふむ、この演奏って今回の指揮者さんのイメージにかなり近いのかも。

キングスコンソートのコルネットは 1st こそジェレミー・ウェスト(彼のハスキーな音色健在!)だが、2nd, 3rd は知らない人だった。イギリスでは世代交代が進みつつあるようだ。

さて、翻って日本はどうかというと、今日のメンバーはいつもの3人。今回は僕にとっては初の移調なしのバージョン(いつもはマニフィカトは3度下げなので)なので、若干心配していたけど、リハが始まってみると案外すんなりといって安心した。音域、指使いの面からいうと、2nd 的には問題はなし、3rd はむしろ吹きやすい、つらいのは1st というところだろうか。

昨日は風も強く、夕方急な雨もあったけど、今日は晴天。さあ、本番がんばろ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/05/20

ブラスアンサンブル曲どれが好きか

Y堕くんのBlogに魅力的な話題があって、僕の生活の中では終わった話なんだけど、ついコメントしたくて書くことにした。

テーマはブラスアンサンブル曲の個人的選好度で、10重奏の有名曲の好き嫌いを以下の通り分類しコメントするというもの。選んだ曲はY堕くんの選曲にならっていて、自分が今ブラスアンサンブルで演奏するとしたら という基準で評価してみた。

○ 好き
● 好きな部分もある
× 積極的に演奏したいとは全く思わない

では行きます。

1 ラングフォード 組曲「ロンドンの小景」 ○

  ラングフォードはもともとブリティッシュブラスバンドの作曲家。だからというわけではないがこの曲はEs管トランペットの使い方が効果的。上から下までのサウンドがまとまってるし、曲も面白いし、何度やっても飽きない。


2 スザート(アイヴソン編) スザート組曲 ●

  PJBEのこの曲を聴いてブラスアンサンブルのサウンドにのめり込んだクチだから当然自分にとっては原点の曲。1曲目のサウンドが衝撃的だった。でも、終曲がつらくて今やれと言われればパスかな。アイヴソンのアレンジは見事と思う。

3 パーカー ニューヨークのロンドンっ子 ×

  やってみるまではすごいいい曲ではないかと期待していたが、曲としては無理が多すぎて自分の中では名曲と言えない。1回やればいいや。

4 ガブリエリ ピアノとフォルテのソナタ ×

  この間サックバットで演奏してみて「なるほど、ガブリエリのトロンボーンパートはどこも面白いわ」と納得した。今モダンでやる気は全くない。

5 バード(ハワース編) オックスフォード伯爵のマーチ ○

  うーん。この曲を精緻に演奏したくて聖バレンタイン・ブラスアンサンブルを作ったのだった。ハワースは楽器の効果的使い方を熟知していてさすがのアレンジ。アレンジャーとしてはハワース、リーヴ、アイヴソンが僕の中でのお手本だった。

6 ジェルヴェーズ(リーヴ編) フランス・ルネサンス舞曲集 ○

  トランぺッターは普通アレンジがへたくそなもんだというのが僕の認識なんだけど、リーヴは違う。古楽をやるようになって原曲の譜面を見てみると、ここからよくこれだけのアイデアが出たなあと改めて感心してしまう。

7 ヘイゼル 3匹の猫&クラーケン ×

  どこが面白いのかよくわからない。よくフリューゲルの長々としたソロがたまらないとラッパ吹きが言うけど、そんなことないよ。そこはホントは書かれた譜面をなぞって満足するという曲ではない(要するにインプロヴィゼーションが必要なところ)だと思うんだけど、そこまでの技量がない。哀しいかな。

8 ヘイゼル もう3匹の猫 ー

  やったことないので評価できず

9 リチャーズ 高貴なる葡萄酒を讃えて ●

  これも「ニューヨークの」と同じ。苦労して譜面を探して、やってみたらそれほどでもなかったって感じかな。でももう何回か真剣にやっていたら印象変わったかも。曲の書き方はパーカーより断然うまい。

10 リチャーズ ア・ラ・カルト ー

  やったことないので評価できず

11 プレトリウス(パーサー編) テルプシコーレ ●
12 プレトリウス(リーヴ編) テルプシコーレ(PJBE版) ●

  テルプシコーレ自体はすごく好きだ。アレンジはピーター・リーヴに一日の長があるが、選曲はデヴィット・パーサーの方がセンスがいいといったところだろうか。リーヴもメドレー形式をとったらもっと良かったのに。

13 クーツィール ブラス・シンフォニー ○

  文句なしの名曲。演奏しても聴いていてもブラスアンサンブルの醍醐味を堪能出来る。

14 ヘンデルの諸作品

  これは評価しづらいなー。概ねアレンジに無理があって、ラッパはきつく、トロンボーンは単調になってしまっているという面がいただけない理由となっている。とりわけP.アーチボルドが編曲した「シバの女王の入場」は最悪。水上も王宮もなんかワンパターンの作りになっている気がする。

15 クラーク(アイヴソン編) トランペット・ヴォランタリー ×

  この曲はやりすぎた。もういい。

16 パーセル(ハワース編) トランペット・チューンとエア ○

  パーセルかっこいい。実はヘンデルと同じ問題をはらんでいるけど、ハワースの編曲が良いよね。Y堕くんも指摘の通り、なぜか出版譜はin B になっているけど、ここはきちんとin D に上げて演奏すべきだろう。

17 バッハ(モワット編) ブランデンブルク協奏曲第3番 ×

  ダメダメ、ださださのアレンジ。なんかみんなで渡れば恐くないみたいな編曲になっていて、小編成のブラスアンサンブルの良さが何にも使われていない。このアレンジだったらオリジナルの弦楽器で聴いてればいいじゃん、と思ってしまう。さっきと逆で、トロンボーン吹きはアレンジが上手っていうのが僕の認識なんだけど、モワットはその仮説を見事に裏切っている。

18 プレムルー ディヴェルティメント ○

  プレムルーは素敵。いろんなテクスチャーが描ける上に楽器の使い方も上手。何度やっても飽きない。

19 ウォルトン(ハワース編) スピットファイアよりプレリュードとフーガ ×

  実は僕もアレンジしたけど、このオーケストラ曲をブラスにアレンジすることにやっぱり無理があるよね。プレリュードは全く問題ないけれど、フーガはね。でもウォルトンは大好きな作曲家だ。リチャード3世とかヘンリ−5世とか、もちろんこの曲もオケでやりたかった。

20 ヴィルヘルム 5つの小品 ー

  やったことないし、聴いたこともないので全く評価できず。

以上。
ここに挙がってなかった曲で好きなのはいっぱいあるけど、書き始めるときりがないのでリストに加えるのはやめておこう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/05/18

明日の記憶

朝、通勤途上東京駅のコンコースで向こうから歩いてくるサラリーマンの人の顔に見覚えが。先方もどうやらこちらを知ったそぶりで、お互いすれ違いざまに「おはようございます、お久しぶりですね」と挨拶を交わす。
あの人は誰だったっけ。確か僕が最初に勤めた会社の経理の人?会うのは20年ぶりくらいだろうか。もちろん名前なんか出てきやしない。最近は20年前の知り合いどころかつい最近名刺交換をした人の顔と名前すら一致しない始末。人の名前を覚えるのは元から苦手だが、より手前の記憶が不確かなのはヤバい兆候だ。

渡辺謙主演の同名の映画が公開されている。まだ見てないが映画館に行く前に読みたくなったのでの原作の本(荻原浩著)を買ってきて一気読み。

うーん、辛いねえ。若年性アルツハイマー。人ごとじゃない気がして身につまされる、しかも主人公は全く同年代(この作家も僕と同い年だった)。当然だが病気が治ってハッピーエンドというわけにはいかない。救いはない。最後まで書いてないのがせめてもの救いか。

「博士の愛した数式」『君に読む物語」「私の頭の中の消しゴム」と、このところアルツハイマー関係の映画・小説になぜか過敏に反応してしまう。なかでも今回のは設定がリアルで極め付けだなー。

渡辺謙は迫真の演技だとの前評判だし、こりゃ映画を観に行ったら立ち直れないかも。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/05/15

ヴェスプロ聴き比べ

週末にモンテヴェルディのヴェスプロを演奏するので、今会社の行き帰りにはiPodにいろんなアーティストのヴェスプロを入れて聴き比べをしている。

いや〜、いろんな演奏があるもんだねえ。とりわけロブロ・フォン・マタチッチが指揮するモダン楽器での演奏(ライヴ)はユニーク。今の基準からすると考えられない様な音の処理とかあるんだけど、これだけ思いっきり違うとかえって微笑ましかったりする。って一生懸命演奏した人に対して失礼か。

アレッサンドリーニの最新盤は解釈はいいんだけど、はやりの少人数演奏で、声楽も1パート1人のため、全編クリアではあるんだが全く物足りない。ああ、この曲は合唱の曲なんだなあということを再認識させてくれる。

この際、なるべくいろんなCDを聴き直してみることにしよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/05/14

オフビートと3Dの世界

きのう思ったこと。

西荻の本郷教会に行く途中、磯山雅の「J.S.バッハ」(講談社新書)を読み返していたら、バッハの音楽とジャズの親近性ということにふれて次のような文章があった。

「リズム、メロディ、ハーモニーを音楽の3要素という。リズムは音楽の時間を構成するもの、ハーモニーは音楽の空間を構成するもの、メロディは両者の接点に生まれる、音楽の顔のごときものである。(中略)天才の音楽は3要素のいずれもが卓越しているものであるが、あえていえば、バッハの音楽でとくに際立っているのは、リズムだろう。」

バッハの音楽の神髄はリズムにあり。確かに前にも書いたけど、オフビートが一番活きる作曲家の一人がバッハであるのは間違いのないところだろう。実は種明かしをすると、僕らの仲間内ではオフビートを大事にすることがお約束になっている。これをおろそかにすると音楽が死んでしまうからだ。

昨日、本番前にこの文章を読みつつ、これから演奏するカンタータの103番の自分の曲を思い浮かべた。4分の4拍子の曲でアウフタクト(音楽用語、ドイツ語でオフビートの意)で始まる。曲の冒頭のみならず、全曲にわたって、練習する時も常にオフビートをすごく意識してさらう、というかその方が自然で、かつノリのいい演奏ができる。

では仮に、この曲を半拍ずらしてオフビートが拍子の頭に来るように楽譜を書き直してみたと仮定してみよう。そしてその楽譜を見つつ「オンビートで」演奏しても、多分さっきと同じ効果は得られないと思う。

というのはつまり、最初の譜面ではオンビートも意識しつつオフビートを大事にしているのに対して、書き換えた譜面ではオンビート(もとのオフビート)だけしか気にせず、元のオンの部分がどこかにいってしまうからである。

例えて言えば、オンビートだけ意識して演奏するのが左目だけで物を見ている世界だとすると、右目を開ける(つまりオフビートを意識する)と見え方に立体感が出てくるようなものだといえば分かりがいいだろうか。よくあるクラシックの演奏は左目だけのものが多く、ジャズやポップスは右目重視だ(ドラムスがどこにアクセント置いて叩いているかを考えれば一目瞭然)。と考えると一般的にクラシックがなぜ一般受けしないか(つまらないか)の説明が、リズムの面からも合理的になされるのではないだろうか。 もちろんリズムにかかわる問題はこれだけではないが。

ともあれ、右目(オフビート)が大事だからといって、右目だけで見るということは音楽の場合不自然なのでできない。それだけ譜面上の拍節の拘束力が強いということだと思う。オンあってのオフという訳だ。けれども、先の書き換えた譜面では、書き換えられたが故に(不自然だけど)左目だけで演奏することが可能になるし、もしそうやって演奏したとしたら全く落ち着きのない音楽になってしまうと思われる。

さらに話をすすめて、左目だけで演奏している人と右目重視で演奏している人が交じってアンサンブルをやるとどうなるかというと、それはあたかも3Dの元絵を専用の眼鏡を付けないで見ている様な感じになる。つまりリズムがボケボケになっちゃうのだ。ま、3Dの元絵ほどひどくはないにせよ、「なんか変だな〜、リズム合わないよね」となってお互いに落ち着かない。けれどもそれぞれが歩み寄るということは(ものをどうやって見るかという根源的な問題ゆえ)ほとんどの場合不可能だ。かくして両者とも不満を溜めつつ、不幸な音楽が出来上がることとなる。
これ、かなり重大な問題で、まだ解決策は見つかっていない。一緒にやらなきゃいいだけの話なんだけど、世の中そうもいかないしね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/05/12

演奏会のお知らせ

直前ではありますが、うちのガンビストも出演するコンサートがありますのでご案内します。

2006年5月13日(土)15時開演 (14:30開場)

さあ五月よ「15世紀ギョーム・デュファイのシャンソン」

花井尚美(ソプラノ)
西山まりえ(ゴシック・ハープ、オルガネット)
石川かおり、なかやまはるみ(ヴィオラ・ダ・ガンバ、レベック)
濱田芳通(リコーダー、コルネット)

会場:淀橋教会・小原記念聖堂
料金:4.000円(全自由席)
お問合せ・ご予約:Tel/Fax 048-754-6670(寺島)
E-mail  anthonello0325@yahoo.co.jp

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/05/11

アプローチの方法

確かアーノンクールが言ってたと思うんだけど、バロック音楽をやる上では、時間を逆行してロマン派古典派と遡って行くよりも一気にルネサンスまでジャンプしてそこから時間の流れに沿って初期バロック、後期バロックとアプローチした方がいいのだとか。

我々現代人は(幸か不幸か)バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンのみならず、ストラヴィンスキーやショスタコーヴィッチ、ビートルズからマイルスまで聴いちゃってる。その耳でバッハの対位法とかを聴くと古めかし〜い感じがする。
ところがバッハ時代の人たちはパレストリーナやモンテヴェルディ、シュッツなどしか知らなかったわけで、バッハの音楽は極めて新しい感覚だったに違いない。

その感覚を取り戻すには自分がその時代の人と同化する必要があるだろう。つまり真にオーセンティック(正統的)な演奏を目指そうとするときにはなまじストラヴィンスキーを知っていることは邪魔になってしまうということだ。

でも、現代に生きる我々が現在を生きる聴衆に昔の音楽を演奏して提供するわけだから、単にオーセンティックな演奏をすればいいというものではないし、そうした復元活動にどれだけの意味があるかという根源的問題にもなってくる。まあ、これはバロックに限らずクラシック全般がかかえる問題だと思われるが。

知識として、技術として昔はこうであったということをわきまえていて、それでいて現代人にもなにか訴える演奏をする、ということなのかな、我々の使命は。

あれれ。実は昨日トランペットでアーティキュレーションのことを考えていたときに冒頭のアーノンクールの発言を思い出してなるほどなあと得心したので、そのことを書こうと思ってたんだけど、なんだか話が脱線しちゃった。しょうがないのでその話はまた別の時に。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/05/10

覚悟と気合いの問題

ちょっとラッパの話題から遠ざかってしまっていたので、ひさびさにトランペットのことでも。

バッハの曲で一番高音域を要求されるのは言わずと知れたブランデンブルグ協奏曲の第2番。その次がBWV243a のマニフィカトin Es。その次を選ぶのはいろいろ迷うけど、カンタータの第66番はその筆頭に挙がるだろう。最高音はハイE、ハイDは当たり前のように頻発する。

で、その66番の演奏会は大きな破綻もなく3日に終了した(ターフェルムジーク鎌倉、場所は逗子文化ホール)。2回出てくるハイE は1勝1敗、Dは9割といったところだっただろうか。

BWV66-1

それで気が緩んだのか、先日日曜日にリハーサルのあったカンタータ103番では、音域的にはたいしたことないのに高音が出なさすぎ。ハイDは5回出てきて、しかも難易度的には高くない順次進行なんだけど、2勝3敗とか3勝2敗とか。だめじゃん。

やっぱりなめてかかるといかんね。いつも気合いをいれて臨まないと。100%の演奏をするには普段120%の練習をしないといけないということだろうね。100%の練習じゃ本番80%になってしまう。さ、これから練習しよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/05/09

原体験

ドル円が111円のミドルまできている。連休前もだらだらと114円台まで下がってきていたのに連休後に一気にここまできちゃった。
そもそもアメリカの雇用統計の数字が悪かったから、当面利上げなしでドルは売られ、でも株は買われ、って矛盾してない?
でも材料っていうのはそんなもんで、単に相場がそっち行きたかったから、後は説明のあと付けということなんだけろうけどね。

いやいや、今日はそんなことが書きたかったのではなくて、ドルが売られて気持ち悪いというかすわりが悪い感じがするということを言いたかったのだった。

そもそも自分が為替相場に関わり始めたのは80年代前半、もう誰も覚えてないかもしれないけど、大統領はレーガン、財務長官はボルカーで、金融政策はマネーサプライを指標に金利が上下してた。
モットーは「強いアメリカ、強いドル」というわけで、なぜか米国の実態とは乖離してドルは高水準が維持されてた。レベルで言えば240円から260円といったところだ。
そんな時期にこの世界に入ったもんだから、ドルは理屈なく強いもの、なんてったって基軸通貨だし、という気持ちが自分の中にしみついている。ドルは長くもってキャリーで稼ぐもの、でもときどき急落することもあるから気をつけようね。これが基本ディーリングスタイル。

そんな米国の政策は化けの皮がはがれて85年のプラザ合意でドル安になり、一気に200円割れしたことはご存知のとおり。それ以来(というかその前も基本的にはそうなんだけど)のドル安でついには100円も割れて70円台まで行ったとこもちゃんと体験した。ドルのショートもさんざんやった。でもなんかドルが買われている方が自分の気持ちが落ち着くのはなぜだろう。これを原体験とでも言うのだろうか。

たぶん僕だけではなくて、他の人にもそういう傾向はあるようで、僕らの上司の世代(ニクソンショック体験派)はとにかくドル売りが好きだったし、プラザ合意以降のディーラーも当たり前のようにドルショート派。僕はそんな世代に挟まれた少数派なのかもしれない。

ここ数日、仲のいい銀行のディーラーから送られてくる相場コメントはこんな感じ。
「なんでこんなにドル売られるんでしょうねえ。一気にはいかないと思うけど、とりあえずストップロス置いてショートから入りましょう」

彼も僕と同じ頃に為替相場を始めたクチ。歯切れの良くないコメントに、体質は同じだなあと苦笑してしまった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/05/08

こだわりの北九弁

まだリリー・フランキーにこだわっている。

方言をなんの注釈もなくそのまま晒しているいさぎよさに脱帽しつつも、やはりちょっと説明したくなってしまう。
主人公のオトンは在小倉。東京でオカンが癌で入院したと聞いて息子に電話で言う。(今手元に本がないので台詞はうろ覚えだが)

オトン「今は大部屋におるんね」
息子 「ああ、6人部屋だよ」
オトン「個室に入ったらつまらんたい」
息子「その話はまえにきいたよ」

これは大部屋から個室に移されたらつまらないという意味では決してない。個室に移されるような容態になったらもうどうしようもないよ、覚悟はしないといけないよ、という意味なのである。「つまらん」でこのニュアンスが伝わるかどうか不安になってしまったもので、一言。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/05/07

「熱狂の日」音楽祭

東京国際フォーラムを舞台に5月3日から4日間繰り広げられた音楽祭。昨年は事前にチケット取ってなくて結局何も聴かなかったけど、今年は以下の公演+マスタークラス見学をしてきた。

ホールでのコンサートは
RIAS室内合唱団、ベルリン古楽アカデミー、指揮カリユステによるレクイエムを2回(4日と6日)
ケルン室内合唱団、コレギウム・カルトゥシアヌム、指揮ノイマンによるハ短調ミサ(5日)

フリーのコンサートは
桐朋学園オーケストラ(5日)
丸の内交響楽団(6日)
の2つ

マスタークラスは
フランソワ・フェルナンデス(バロックヴァイオリン)
ライナー・ツィパーリング(チェロ)
フィリップ・ピエルロ(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
の3つ

2年目になって早くも定着してきたのか、GWの東京の目玉イベントになりつつある感じがする。時期もいいし、値段設定も手頃だし、なにより集中的にまとめて聴けるのがいい。いい演奏家もきているし。
欲を言えば、公演内容が決まったら、薄っぺらな新聞じゃなくて、有料でいいからちゃんとしたプログラム冊子を作ってアーティスト、曲目などが詳しく分かるように事前に情報を提供してくれるといいのではないかと。ロンドンのプロムナードコンサート(プロムス)はそうした冊子があって予約開始の時期には本屋さんの店頭に並んでいる。それを見て今年は何を聴こうかなと検討するのも楽しい。(と書いてアップしたら、妻から「ちゃんとした公式ガイド1000円で売ってるよ」と言われてしまいました)

今回はエンリコ・オノフリ(ヴァイオリン)を聞き逃したのが残念だった。予約は小さいホールから先にするのが鉄則だね。

さて、演奏の方はというと、
ベルリン古楽アカデミーは期待していた以上に良かった。というかレクイエムはやはり合唱の曲だね、RIAS室内合唱団が素晴らしかったというべきか。あれだけの人数(女声19人、男声16人)であの大ホールにコーラスが行き渡るところがまずすごい。オケの弦とトロンボーンもきっちりアンサンブルしてる。ラッパとティンパニは4日の時は良かったんだけど、最終公演はちょっと集中力切れたかなという感じで不調に見えた。

ハ短調ミサはまずどんな曲なのか知りたくて行ったのだが、ソプラノのヒョン・ミョンヒがのびやかな美声で素晴らしかった。あとのソリストは付け足しだね。オケはベルリンの方に軍配が挙がるかな。

あと、マスタークラスは(段取りの悪さが目立つにしても)それぞれの先生の味が出ていて見ていて面白かった。みんなバロック系の人(先生も生徒も)だったので、なんかどこかヨーロッパのサマースクールにまぎれこんだような気分。それにしても、よくお客さんが入るもんだと感心。最終日のクラスでは入場制限が出たとか聞いたし。

そんなわけで古楽系の演奏ばかり聴いていたので、地下で行われていたフリーコンサート(桐朋学園と丸の内交響楽団)は僕の耳には新鮮なバリバリのモダンオケの音がした。ある意味懐かしかった。

来年のテーマは国民楽派だとか。この音楽祭、ちょっとコンサートをつまみ食いするというよりも、一日どっぷりと国際フォーラムに滞在してコンサートetc.のはしごをするのが正解のような気がしてきた。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006/05/05

筑豊弁

リリー・フランキーの「東京タワー」を読む。

北九州弁がなつかしい。方言のうち博多弁はポピュラーでほとんど全国区だが、同じ福岡県でも小倉と博多は文化圏が違うので言葉もかなり違う。で、飯塚、田川などの筑豊地方の言葉は北九州寄り、久留米などの筑後地方は博多寄りの方言だ。人の流れもその方が親密性があったからだと思う。(筑豊の炭坑で採れた石炭は遠賀川を下って若松、八幡の工場地帯へ運ばれた)。北九州の方が気性も荒く、言葉もぶっきらぼうできついような気がするのはそうした川筋気質を反映してのことなのだろう。一方博多は商業都市だったし、筑後川周辺はなべて農家だったからのんびりとした穏便な言葉になったんだと思う。

一例をあげよう。「〜だから」というのを小倉では「〜け」と表現する。
小倉だと「バイトが休みやけ、カラオケにいっちょーと」(バイトが休みだからカラオケに行ってるんだよ)
これが博多だと「バイトが休みやけん、カラオケばいきよんしゃると」となる。あるいは「バイトが休みやけんくさ、カラオケば〜」。「ん」があるとないとで柔らかさが違うような気がするんだが。

小倉の中学校に通っていたとき、筑豊の直方から転校してきた子がいた。僕らが「〜やけ、」というところを、その子が「〜やき、」というそれだけで「田舎もーん」といっていじめたもんである。いじめたといっても陰湿なものではない、単に揶揄しただけだ。目くそ鼻くそを笑う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/05/03

懐古風随筆(その3)

(その2よりつづく)
問題は二つあった。コルネットのときのような良い先達が身近にいないこと、それから高音域をどうやって克服するかということ。

第1点はそれでもなんとかすることができた。まず良いと思うCDを聴いて(特にNAXOS から出ているバロックトランペットのシリーズは素晴らしい!奏者はスウェーデンのNiklas Eklund、この人は世界一上手いと思う)イメージトレーニングをする。外国から奏者が来日したときにコンタクトをとってプライベートレッスンを受ける。海外で開かれる古楽音楽祭に併設されるサマースクールなどに参加する(インスブルックやイタリアでのセミナー)などなど、求めて行けばいろんな機会がある。

ここでも参加者の少ない狭い世界ゆえか、一流プレーヤーから直接レッスンを受けられる贅沢さを痛感する。だってモダンでは考えられない。例えて言えばアルゲリッチのプライベートレッスンを受けるとか、クレーメルと一週間生活を共にしながら秘伝を教えてもらうとか。ま、古楽プレーヤーはアルゲリッチやクレーメルほど世間に認知されてないのも事実ではあるが。

問題の第2点は高音域の克服。先述のようにヘンデルやバッハの音楽には高音域が多用される。殊にバッハのミサ曲やカンタータには普通に上のDの音(通常のB管の楽器の最高音Bbより3度上の音)が頻発する。実はモダンの時から高音域はそれほど得意ではなかった。ナチュラルでも楽器に唇を強く押し付けてみたり、唇を引き締めてみたり、あるいは息をたくさん吹き込んであげてもBより上の音域は出る時もあれば出ない時もあるという状態で安定しない。安定しないと苦手意識が醸成される。案の定本番では音をはずす。というネガティブスパイラルの世界に入り込んでしまっていた。自分はもともと高音域が吹けるような奏者ではないのだといくぶん諦めの境地にいた。

ところがバッハの楽譜は厳然としてDを要求する。そうこうするうちにバッハのクリスマスオラトリオ全曲を演奏するのだが吹けないかという話がきた。有難い話で是非吹いてみたいがラッパには超難曲だ。特に最終第64曲のコラールはほとんど合唱オケ伴奏付きのトランペット協奏曲のような曲なのだが跳躍で何度もハイDを吹かなくてはいけないところがある。

これはなんとかしなくてはいけない、とせっぱつまった状況になった。今までのセミナーで教わったこと、バロックトランペットの教本に書いてあること、などどこかにヒントはないかと探しつつ、同時にハイトーンの得意なプロの奏者2、3人の門を叩いて教えを乞う。

そうしていろいろ試行錯誤するうちに、半年位して「これじゃないだろうか」という奏法にたどり着いた。これは秘伝なのでここにつまびらかにする訳にはいかないのだが、ポイントは舌の形状にある。全然唇のアンプシュアとかアパチャーとかの問題ではなかった。その奏法に開眼したときのうれしかったこと!

そんなこんなで昨年の年末、西荻窪の本郷教会におけるクリスマス・オラトリオ全曲演奏は自分としてはそこそこに満足のいく演奏をすることができたという訳だ。1年前だったらとても吹けなかったと思う。ラッパを吹き始めて40年近く、それでもこの年になってから高音域の克服ができるなんで思いもよらなかった。自分のラッパ史においては重要な進歩を遂げた1年となったのだった。(この稿終わり)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006/05/02

懐古風随筆(その2)

(その1よりつづく)
始めてみると、古楽器演奏の可能性の広さに魅せられてしまった。師匠の濱田さんはコルネット(木製でリコーダーの先にトランペットのようなマウスピースがついている。バロック時代には活躍したが一旦滅びて、戦後再び蘇生した極めて珍しい、しかも演奏は困難を極める楽器)の世界的奏者である。
古楽の世界はこの楽器に限らないが、自分のような初心者でも世界の超一流プレーヤーにすぐアクセスできる点がたまらない魅力でもある。
レッスンに通い出すと、楽譜の読み方に始まって、使用する音律(昔は平均律はなかったので)、楽器の奏法、音楽の作り方、アンサンブルの仕方などなど、目からウロコのことばかり。なんでこんなことも知らずに音楽をやってきてたんだろう。古い時代の音楽でありながら、クラシックが失ってしまった何かを創り出すというクリエイティヴで刺激的な世界がそこにあった。

よーし、いっちょこの世界に思いっきり飛び込んでみるか、ということでオケもアンサンブルも辞めて、ついでに(モダンの)トランペットもほとんど売っぱらって、今まで住んでいた世界とおさらばをした。それから数年コルネット1本(実際は数年で家の中にコルネットが数本ゴロゴロすることにはなったが)での修行生活。修行の話はまた別の機会にお話するということで割愛して、とりあえずレッスンの甲斐あってなんとか曲も吹けるようになった。師匠の主宰する団体、アントネッロでもお手伝いで使っていただけるまでになった。実はそれがこの楽器を始めたときの夢の一つでもあったので、実現した時にはうれしかった!

そしてコルネットが一段落したところでなんだかまたラッパが呼んでいるいるような気がしてきた。ラッパと言っても今度はナチュラルトランペットという楽器。17,18世紀頃の花形楽器で、ヘンデルやバッハで大活躍する。ピストンがなく自然倍音のみで音を組み立てるうえに、楽器の長さが普通のトランペットの2倍近くはあるからコントロールに苦労する、これもまた演奏困難な楽器だ。しかもバッハはブランデンブルグ協奏曲第2番に象徴されるように、とんでもなく高い音域での演奏を要求する。

モダン楽器を吹いていた頃には音を外してばかりで手が出なかったこの楽器(実際昔ブラスアンサンブルのコンサートで使ったことがあったが、結果は惨憺たるものだった)だが、一旦コルネットだけの修行をして数年のブランクがあったのが良かったのか、改めてこの楽器にチャレンジしてみたらなんとかなりそうな気がしてきた。というわけで、我流でこの楽器に取り組み出す。

ところが、やはり一筋縄ではいかない問題がそこにはあった。(その3につづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/05/01

懐古風随筆(その1)

今年始め、自分の出た大学オケのOB会誌に何か記事を、と頼まれたので古楽を始めるきっかけとか最近の状況とかをエッセーにまとめて投稿した。もう会報も発刊したし、読者も限定されてるってことでここに公開してしまおうかな。というわけで、ちょっと長いから複数回に分けて転載することにします。

=============================================
一昨年、高校のブラスバンド部OBの集まりがあった席での話。
プロのジャズクラリネット奏者になった後輩が、「最近しみじみと思うのはですね、人間練習していれば必ず上達するっていうことなんですよ」と言う。どうしたのと聞いたところ「職業柄、いろんな人にレッスンをするんですが、年配の方、それも70を越えるお年の方でも熱心に練習をなさると、着実に上手になるんです。僕感動しました」
当方、70の声を聞くのはまだまだ先の話ながら、それでも同様のことを昨年経験したので、今回はそのことをお話したい。

自分の音楽経歴はというと、小学校の5年のときにトランペットを始めて以来、中学・高校とバリバリのブラスバンドでのラッパ少年。大学に入ってエスカレートし、自分のオケだけでは飽き足らず、他大学のオケやジュネスなど複数掛け持ちするに至る。卒業してからは新交響楽団というアマチュアの社会人オケで鍛えられ、それと並行して同世代で聖バレンタイン・ブラスアンサンブルという名の団体を立ち上げ、それこそ土日はラッパどっぷりの生活を20年近く続けて来た。

ところが40才手前のあたりでそうした生活、やっている音楽に飽きがきてしまった。毎週土曜日のオケ練は欠かさないものの、ラッパを手にするのはその時だけ。アンサンブルも演奏はマンネリ化し、企画、アレンジに凝ってラッパの腕は過去の貯金で食いつないでいるありさま。

このままではいかんなあ、と思っていたところに別世界が開けた。古楽。古楽器での演奏。それまでもバロック以前の音楽には興味があって、リコーダーに手を出したりなどしていたのだが、縁あって95年に新進気鋭のリコーダー・コルネット奏者、濱田芳通氏と知り合いになることができた。氏のコルネット演奏に一目(一聴?)惚れして即座に弟子入り。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »