就活の思い出
息子の就職活動も終盤戦。
もう四半世紀前の話になるけど、僕の時は10月1日が会社訪問の解禁日だった。当時はエントリーシートもなく、ましてやインターネットの受付などあろうはずもなく、解禁日初日に訪問したかどうかによって採用する側の心証もずいぶん違うという時代だった。僕はそのとき読んでいた城山三郎の小説の影響もあって、第1志望をNという船会社に決めていた。海外勤務に憧れていたんだと思う。小説の影響で決めるところといい、いかに思慮不足だったか暴露しているようなもんだが。
N社はその時まさに僕らの会社訪問の直前に、三田の仮住まいから東京駅前の一等地に建て直した新社屋ビルに移転したばかりだった。N社の向かいは当時学生に一番人気のT損保。三田のオフィスだったらわざわざ初日に訪問する学生もそれほど多くなかったろうものの、便利な地に真新しいオフィスを構えていたことに加え、T損保の会社訪問から流れてきたと覚しき学生も巻き込んで予想外の競争倍率となった(ように思えた)。まあ真実は単に面接官の僕に対する印象が良くなかっただけなんだろうが、言い訳はともかくとしてそんなこんなで2次面接あたりで早くも脱落。
第2志望だった都市銀行にもフラれ、とりあえずオケの先輩の顔を見に行っとこうかと2日目に冷やかしで訪問していた専門商社に拾ってもらうことになるのだが、とりあえずそれはおいといて。
N社には一年遅れでブラスアンサンブル仲間のM君が就職した。ちょっとうらやましかった。システム部門から南太平洋路線の営業に回り、その後ロンドン勤務になった。どの部署でも激務でいつも遅くまで残業していたような印象がある。その彼はロンドン在住中にモロッコ出張から帰ってきた直後病気にかかりあっという間もなく亡くなってしまった。まだ30台半ばの若さで。直接の原因はその病気なんだろうが僕は未だに彼が過労死したんじゃないかと思えてならない。
僕が今勤めている会社はそのT損保の建物の中にある。皮肉なことに毎朝毎夕東京駅からの行き帰りにN社の本社ビルを横目で見ながら通勤している。行きたかったけど入れなかった会社、友人のM君が勤めていた会社、そして僕はなぜか紆余曲折ののちお隣のビルで働いていて本来N社のビルにいるはずのM君はもうこの世にはいない。
この建物の横を通り過ぎるたびに言葉にしがたい複雑な心境になる。
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