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2006/10/28

ふるさと

今回小倉に帰ってみて思ったけど、結局のところ「ふるさと」って旧友(人)と山河(自然)ってことに尽きる。

普通は「ふるさと」=「実家」ということになるのだろうが、自分の場合、両親は健在だが、今は僕にとってあまりゆかりのないところ(福岡市)に住んでいてそちらには知り合いもいなければ郷愁のある場所があるわけでもない。ときどき帰る時は「両親に会いに行く」という感覚だ。自分にとってのふるさとは7歳から18歳までの小中高時代を過ごした小倉ってことになる。

街は変貌する。平和通りや魚町銀天街は東京のどこかの街と区別はつかないし、店も全国チェーン、そもそも学生の分際で行きつけの店とかあるわけないし、あってもとっくになくなっているだろう。(あ、行きつけといえば週一通った音楽教室の小倉YAMAHAかな、もちろん全面改装されてたけど)

食べ物。これは今や離れていても地方の特産品が食べられる便利な時代になったし、そもそも外食なんてめったにしたことないからこだわりなし。

結局、自分と同じ時代を過ごした人に会うこととそこにしかない自然に触れることがふるさとを強く意識することになる。さすがに山は動かないもんね。足立山や皿倉山はなんてことのない昔の姿でいるだけなのに懐かしい。門司港に寄った時も結局真っ先に行きたかったのは和布刈公園(これも山だ)とそこから眺める関門海峡だったし。それにしても門司の町を自転車で走り抜けたときの潮の香りと(なんかわからん)海産物の臭いにはまいりましたねえ。そうや、これやったんやと。
それから自然とはちょっと違うけど若戸大橋の赤い姿もえらく懐かしかった。

そんなわけで「国破れて山河あり」ではないけど、自然はいつでも自分を迎えてくれるという気がしたのだった。
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