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2007年9月

2007/09/29

多芸多才

幸い自分はアマチュアのラッパ吹きとしては所属団体には恵まれてきた方だと思っている。オーケストラ(新響)もそうだしアンサンブル(聖バレンタイン)もそうだ。だからモダン楽器をやめた今もそれほど悔いはない。ただ永らくやってきたうち「ああ、このグループに入っていたら幸せだっただろうな」と思える団体がただ一つある。僕より数年若い世代の集まりなので年次が違って加わるのは無理だったのだが、もし同年代だったら絶対門戸を叩いていたに違いない。それが叶わなかったのでほとんど嫉妬に近い感情をそのメンバーに持っていたように思う。その団体の演奏会を今日聴きに行った。

 ピストンクラブ 第15回定期演奏会(川口リリアホール)

ピストンクラブというのはトランペットだけのアンサンブルだ。もちろんトランペットだけのアンサンブルだと音域的に苦しいのでトロンボーン奏者も一人入っている。ただし使用しているのはバストランペットで、あくまでもピストン楽器にこだわっているわけだ。
なぜうらやましいかというと、メンバー各人の才能、才知を尽くして音楽活動をしている点につきる。今回も市販の譜面はひとつのみで他は全てメンバー6人によるアレンジ。それもクラシックの編曲ありポピュラーのアレンジありと多様。

「お客さまに楽しんでいただく」「トランペットアンサンブルの可能性を追求する」という団のコンセプト通り楽しくかつ飽きさせないプログラミングだった。演出にもこだわりやいさぎよさを感じるし。個人的には最後の野口氏編曲のアガサクリスティ「そして誰もいなくなった」がオリジナリティにあふれていて(最初からオチは予想できたけど)楽しめた。それからアンコールの「紅葉」には不覚にもちょっとほろりとさせられた。

この団体のホームページを見てもらうと分かるけど、この連中、ラッパやアレンジにとどまらず、文章を書かせてもうまい。類は友を呼ぶという典型なのかもしれないが、こういう付き合いは楽しくてやめられないだろうな。やっぱりうらやましさを再確認してしまった今日のコンサートだった。

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2007/09/24

リスクテイク

さんざん迷った昨日の演奏会で使った楽器とマウスピースは結局次の通りになった。

ヘンデル「水上の音楽」
 1曲目Allegro と2曲目 Alla Hornpipe の前半まで
  エッガーの孔なし マウスピースは SI7
 Hornpipeのダカーポ部分から4曲目 Lentementまで
  ハイデの1つ孔 マウスピースもハイデ
 5曲目Bouree
  エッガーの孔なしに戻る

シャルパンティエ「テ・デウム」
 ファンファーレ、プレリュード、次のテュッティ終了まで
  ここまでハイデの孔なし マウスピースもハイデ
 途中Guay から最後まで
  ハイデの1つ孔 マウスピースもハイデ

バッハ「マニフィカト」
  基本的にエッガーの4つ孔、マウスピースはSI7
  10曲目のSuscepit Israelのみ ハイデのスライドトランペット マウスピースはSI7

というわけで、結局でかマッピ(BL1)は使わなかった。
完全ナチュラルを普通のサイズのマウスピースで吹くことによってベンディングがしにくくなったが、それよりも1回のコンサートでサイズの大きく違うマッピを取り替え使うというリスクを避けたかった。
スライドトランペットは前夜家でさらってて急に使うことに決めたもの。

水上は結局楽器を混合で使うくらいだったら最初からハイデの1つ孔にすべきだった。コンサートの冒頭から片手で演奏するという見た目を重視したのが余計だったね。
水上で2ndを担当したカオルさんには最後の最後まで僕がどの楽器を使うかわかんなくて(というか自分自身も決めてなくて最終判断はステージでだった)ご迷惑をおかけしました。

それで、肝心の出来ばえだが、
「水上」やはり1曲目で10小節目の「ソ・ミ・」を外したのが痛かった。加えてファのベンディングが上手くいかない。
これだと相当音痴に聴こえるだろうなあ、と危惧していたら案の定アンケートでは「金管がひどかった、トランペットがコケた、やはりアマチュアじゃあね、水上が音痴だった」などの声が寄せられていた。打ち上げ2次会でこれらを見て当然ながら凹む。

「テデウム」
大体想定どおりの出来映え。これが一番良かったかな。アンケートも同様の感想が多かった。唯一の大きなミスは、なぜか終曲を3拍子と勘違いして2拍目に出てしまった(本来は3拍目)こと。それ以外はファンファーレの入りも決まったし、良かった良かった。
Te_deum

「マニフィカト」
この曲はさらってて困難な部分が2カ所あったのだが、そのうちの1つ、7曲目Fecit potentiam の23小節目がやはり上手くできなかった。(もう1カ所は1曲目の64小節目で、これはなんとかしのげた)
あと目立ったミスはスライドに替えた10曲目で「ミ・ソ・」に上昇するところがきれいに決まらなかったこと。
magnificat

結局「ソミ」と「ミソ」でミソをつけたってことか(これぞ正真正銘のおやじギャグ?)

以上演奏会の個人的反省。どうしても技術的なことばかりに偏ってしまうが、まだまだ道遠しってことだわな。

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2007/09/23

僕がラッパを高く掲げるわけ

ただカッコをつけているわけではない。

ラッパの音が鳴るしくみを単純化すると、肺からのど、口を通って送り込まれる空気、音の高さを決める口蓋の形状、振動を生む唇、この3つが人間の体の役目で、そこから後は音の性格を決定するマウスピースを経て管と朝顔が音を増幅するだけに過ぎない。楽器本体は音色や音程を確定することはできても音を作り出すことには何も貢献できない宿命だ。

従っていかに体を使うかがラッパを上手く吹けるかに直結している。これは当たり前でとても重要なことなんだが、ややもすると技術的な瑣末事項に気をとられてしまって忘れ去られがちだ。

オルガンに於けるふいごの役割を果たす肺は充分な息をしっかりしたサポートで送り込まなければならない。胸は大きく開くべし。両手で楽器を持つのは胸を狭くするので厳禁。空気の通過過程もなるべく邪魔がないほうがいい。途中のどを絞めたりするのはもってのほか。うつむき加減の姿勢で吹くと空気の通り道が(人体を横から見て)英文字のJをさかさにしたかたちになって抵抗を生む。できれば逆さ文字のLのほうがいいに決まっている。

そのためには顔を上げてラッパを地面に並行するように持つ必要がある。マーラーのシンフォニーで時々指示が出てくる"ベルアップ"を始終やってることになる。ナチュラルはただでさえ楽器が長いし、長く持っているとだんだんしんどくなるんだけどね、そこは我慢。

そうする(ベルアップ)ことは副次的効果も生む。すなわち楽器を意識的に水平に保つには、通常の人間の口の作りからは不自然だが、上の歯と下の歯の並びを垂直に揃える為に敢えて下あごを出す(すなわち受け口にする)必要がある。

それがどう影響するかということだが、振動を作り出す唇は上下同様の働きをしていると誤解されているかもしれないが、実は振動して音を出しているのは上唇なのである。下唇およびそれをサポートする下の前歯は上唇がフレキシブルに振動しやすいように 位置決めをし、固定されてなければならない。
これが逆に上下の歯並びに傾斜がある(うつむき加減だ)と、上唇および上の前歯がポジショニングすることになり、自ずから振動出来る部分を殺してしまうことになる。

以上の論理の正しさを裏付ける証拠として、昔の絵を見ると、ラッパ吹きは必ず右手で(左手は馬上だったらたずなを持っていなければならないので)ラッパを高く掲げて回りに聴こえるように朗々と吹いている。重力には逆らっているが理にはかなっている。
斜め下をねらって吹いているような絵は(マーチングを除いて)一つも残っていない。

以上の話も今年の夏マデウフさんから教わった大事な教えだ。

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2007/09/21

バブリーな思い出

僕が関わってた某ブラスアンサンブルではいろんな仕事をやらせてもらったけど、一番エポックメーキングだったのはとある都銀のパーティーでのカラオケの生バンド版というやつだった。
時は1990年の5月。日経平均は前年の12月末に天井をつけていたけど、地価も株価も(今から思うと)大気圏外みたいに高くてバブルの真っ盛り。ある意味その中心で踊っていた銀行のディーリングルームと為替ブローカーの内輪のパーティーで、ただのカラオケじゃつまらないから生バンドを呼ぼうということで僕らのブラスアンサンブルにお声がかかったのだった。

場所は都心の一流ホテルの宴会場貸し切り。ギャラが良かったのはいうまでもないが、パーティー終了後にそのホテルで打ち上がった我々の飲み代も、その機会に便乗したさまざまな楽譜購入など(なにせ伴奏のリクエスト曲も多かったもので)の経費もすべて主催者の丸持ち。僕らも感覚マヒしてたんですっかり丸ごとお世話になってしまった。

昨日、そのときの幹事の方と久しぶりに会って昼食をご一緒した。今は銀行を辞めて関西の私立大学の東京事務所に勤めているとのこと。仕事で付き合いのあったときも時々飲みに行ったりしてたし双方音楽好きということもあり多面的なつながりがあったので、いろんな話や共通の人のうわさ話などであっという間の一時間だったんだけれど、数年振りに会っての開口一番が「いやあ、あのときのパーティーは楽しかったですねえ」ということで話が一致してしまったのだった。我々だけではなくてあちらにも相当インパクトのあるイベントだったというわけだ。

僕らのアンサンブルがおこぼれにあずかったのはバブルのほんのちょっとだけとも言えるが、それでもなんかその時代を象徴する出来事だったと思う。そのあたりの残滓が定演でのアンコール(団員による生バンド付き歌唱)に後遺症として未だに残っているわけで。

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2007/09/20

エネルギーがなくなっていく

昨日東京駅のコンコースを歩いていて思ったこと。

なにか面白いことをみつける。
自分なりにできるところまでやってみる。
同好の士をみつけて一緒にやらないかと声を掛ける。
イベントを企画する。
そのイベントに向けて準備する。
イベントが終わればまた次のイベントを考える。
やりたいことがある程度満足いくまで続ける。
ループ

最近年をとったせいか、自分の中から湧いてきていたエネルギーが枯渇して来た感がある。たいしたこともやってないのに。潮時?
ほんとにエネルギーがなくなったら引退するんだろうね。

生涯現役って人は尊敬するなあ。

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2007/09/18

かもめ食堂

深夜に目覚めたら日テレで「かもめ食堂」をやっていた。
夜更けにぼんやりと見るのもいいね、この映画。

フィンランドを初めて訪れたのは1992年の夏。それ以来トランジットで一回ヘルシンキ空港に降りただけでまともに彼の地を踏んでいない。
「フィンランドはいいよ〜」という僕の言葉にそそのかされて留学した娘とその縁でフィンランドと関係が深くなった妻はもう何度も行ったというのに。

92年というのは忘れもしない、マーストリヒト条約を批准するかどうかで揺れて結局ユーロ統合への歩みが停滞したとき。ロシア崩壊の影響で疲弊していたフィンランド経済がデンマーク国民投票(批准反対)の余波を受けて通貨マルッカが2度も大幅切り下げにあった年だ。世間一般的にはイギリスポンドが対マルク相場を維持できなくなって「イングランド銀行がジョージ・ソロスに破れた日」という方が有名だろう。

とにかくそのへん(欧州内)のキャリートレードが軒並み手痛い目にあった年だった。なんでそんなことを覚えているかというとその痛い目をさせられた一人だったから。それも一度ならず何度か。マルッカの次はクローネ、そしてポンドと持ってるポジションことごとくアゲインストだったよなあ。まあキャリートレードを戦略としたファンドだったからやむないと言えなくもないが、それは言い訳にすぎない。相場もリスク管理もどちらもへたくそじゃん、と痛感した。

なんかかもめ食堂から日記を書いているうちに昔の相場の辛かった日々を思い出してしまった。そんなつもりじゃなかったんだけどね。

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2007/09/09

2週間前の記憶

ニンテンドーDSの国民的ソフト「脳トレ」の設問に「○月○日(2週間前)の夕食は何でしたか?」というのがある。もちろんその○月○日には「今日の夕食は?」と言って訊かれて自分でデータをインプットしてあるのである。
その時は(後日訊いてくるんだから、こりゃー絶対に忘れないゾ)と思って入力するのだが、意外と日にちが経つと忘れてしまっていて答えられなかったりする。情け無いもんである。

ところで話は変わるが、自分は小さいときから極度の近眼なのでコンタクトレンズを使用している。今は2ウィークで使い捨てのソフトコンタクトのお世話になっている。
キリ良く隔週日曜日に新品を卸すことにしているんだが、これが覚えられないんだな。「あれ?新しいのにしたのは先週だったっけ、それとも先々週だったっけ?ひょっとしてまさか3週間使ってないよね」 いつも日曜朝はしばし記憶の糸をたぐることになる。ときどき糸が切れたまんまだったりしてこれまた情け無いもんである。

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2007/09/08

縦書き

日本古来の文化である縦書き。

外国を旅行中に列車で読書しながらコンパートメントで見知らぬ外国人と会話をしたりすると、一様に縦書きの文字、右開きの本に驚いてくれる。日本語は横書きも縦書きも出来るんですよ、というとしきりに感心される。

金融商品取引法施行まで秒読み段階(9月末)という時節柄、法令を読まされることが多くなってきた。ところが法律はすべて縦書きなんだね。数字も漢数字の世界。一方の仕事は普段は完璧な横書き作業にアラビア数字。これが混在するってほんっとにやりにくい。一緒に綴じ込んだりするとページを繰るのもよく間違える。勘弁して欲しいわ。

家で新聞読んだり会社の行き帰りに文庫本を読んだり(どちらも縦書き)するのは全く問題ないのにね。新聞社で仕事するのはそういう意味で大変なんだろうか。

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2007/09/05

五木の子守唄

   おどんがうっ死んだちゅうて、だいが泣いてくりゅうか
   うらの松山蝉がなく

雑誌「東京人」の今月号に濱田さん&アントネッロの「天正遣欧使節の音楽」の記事が出ている。

本屋で見た帰り久しぶりにそのCDを聴く。
冒頭の五木の子守唄は(たぶん地元のおじいさんであろう)三浦一雄さんの朗唱。

  〜うらのまつやま〜 せみが〜な〜く〜

この「せ」の発音が純粋な九州なまり(なんとも表記しがたい「せ」と「しぇ」の中間音)なことに九州人としての自分の胸が「ぐっ」とわしづかみされる。

たまには田舎に帰ってオヤジの顔でも見ないかんな

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2007/09/02

ホルスト

N響アワーを見る。
今年の8月5日にNHKホールで開かれたN響ホットコンサートの模様。
なかなかバラエティに富んでいて面白い。
(N響じゃないけど)ユーフォニアムの外囿さんのソロ(曲はスパークのパントマイム)が素晴らしかった。多分世界一の奏者だね。他は知らないけどきっとそうに違いないと確信した。

ホルストの吹奏楽の為の組曲第1番、懐かしすぎ。

高校2年のときのコンクールで村上ヒデの指揮する小倉工業高校の演奏は今日のみたいに端正ではなかったけど感動的だった。
終曲でシャコンヌのテーマがピークをうつとこなんか涙なしには聴けなかったもんなあ。未だに僕の中であれを越える名演はないし、きっと今後もないんだろう。

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でかマッピの効用

マデウフ氏も言っていたけど、大きいマウスピースを使っての利点はどんなにハードな練習をしても唇のバテが翌日に残らない点だ。これはリップを局地的にプレスしない(できない)から当然といえば当然。その代わりバテるのは口の回りの筋肉。音を出すためのアンブシュアを維持するにはこれらの筋肉が鍛えられてなければならない。トロンボーンやチューバ奏者と同様と考えれば分かりやすいかも。

小さいマッピで長時間きつくプレスされた唇の筋肉の回復度合いと口回り全体に疲労した筋肉の回復度合いとでは後者のほうが分散されている分有利といえるだろう。

翌日に持ち越さないという点では蒸留酒みたいなもんだね。

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2007/09/01

新ベーレンライター版

今日は一日ベートーヴェンの第九の練習。

ベーレンライターの新版は果たしてそちらが正統なのか良く分からない。というのも通常聴き慣れているバージョンに比べてなんだか明らかに誤植じゃないかと思われる部分が多いからだ。例えば4楽章のファゴットのオブリガートのリズムとか、マーチのあと合唱が入る前のホルンの伸ばしの音のタイとか。前から違和感があったけど今日スコアで確かめてみて改めてそう思った。

そう思って自分の持っているCDを聴き直してみたらレコーディングの年代のせいかもしれないけど、新ベーレンライターで演奏しているのはヘレヴェッへだけで、ガーディナー、ブリュッヘン、アーノンクールのいづれも旧版だった。昨年横浜でチクルスをやったパーヴォ・ヤルヴィは新バージョンだったみたいだけど。

さて、それはともかく、この数日悩んでいたマウスピースの選択の問題はあっさり解決。結局今日の練習はずっとBL1のマウスピース(大きいサイズのもの)で通し。明日もこれを使うしか選択肢はなさそうだ。本番はどうなることやら。

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