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2007/09/21

バブリーな思い出

僕が関わってた某ブラスアンサンブルではいろんな仕事をやらせてもらったけど、一番エポックメーキングだったのはとある都銀のパーティーでのカラオケの生バンド版というやつだった。
時は1990年の5月。日経平均は前年の12月末に天井をつけていたけど、地価も株価も(今から思うと)大気圏外みたいに高くてバブルの真っ盛り。ある意味その中心で踊っていた銀行のディーリングルームと為替ブローカーの内輪のパーティーで、ただのカラオケじゃつまらないから生バンドを呼ぼうということで僕らのブラスアンサンブルにお声がかかったのだった。

場所は都心の一流ホテルの宴会場貸し切り。ギャラが良かったのはいうまでもないが、パーティー終了後にそのホテルで打ち上がった我々の飲み代も、その機会に便乗したさまざまな楽譜購入など(なにせ伴奏のリクエスト曲も多かったもので)の経費もすべて主催者の丸持ち。僕らも感覚マヒしてたんですっかり丸ごとお世話になってしまった。

昨日、そのときの幹事の方と久しぶりに会って昼食をご一緒した。今は銀行を辞めて関西の私立大学の東京事務所に勤めているとのこと。仕事で付き合いのあったときも時々飲みに行ったりしてたし双方音楽好きということもあり多面的なつながりがあったので、いろんな話や共通の人のうわさ話などであっという間の一時間だったんだけれど、数年振りに会っての開口一番が「いやあ、あのときのパーティーは楽しかったですねえ」ということで話が一致してしまったのだった。我々だけではなくてあちらにも相当インパクトのあるイベントだったというわけだ。

僕らのアンサンブルがおこぼれにあずかったのはバブルのほんのちょっとだけとも言えるが、それでもなんかその時代を象徴する出来事だったと思う。そのあたりの残滓が定演でのアンコール(団員による生バンド付き歌唱)に後遺症として未だに残っているわけで。

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