10年前のこと
さて、昔話ついでに10年前は何があったかと記録を見れば、、、
1997年10月、フィリップ・ジョーンズ(以下PJと略)来日。
ブラスアンサンブルを始めたのは僕が大学に入った1975年のこと。あのフィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブル(PJBE)が歴史的な初来日をした翌年のことだった。
当時の大学オケ(に限らないかもしれないけど)の金管セクションは、大なり小なりPJBEショックから覚めやらずで、手書きのスザートのコピー譜なんかが出回っていてメンツを集めては合わせたり、そこここのチューバ吹きはといえばヴェニスの謝肉祭をさらっているっていう騒ぎだった。
僕も自然の成り行きでそれに影響されてブラスアンサンブルを始め、自分たちの団体も作り、仲間内ではPJBEのレコードを教典ともあがめ、PJは教祖に奉るといった熱の入れようだった。
雲上人と思っていたPJにコンタクトしてみようと思い立ったのは、すでにPJが引退してしまった87年。僕がロンドン勤務になったときだった。
今考えるともったいないことしたなと思うのだが、PJの連絡先を入手してはいたものの、恐れ多くて連絡する勇気はない。やっと行動に移せたのは、自分たちのブラスアンサンブルが2度目の欧州演奏旅行でロンドン公演をするという計画を立てているとき。
「尊敬するPJ様、来るX月○日に日本からかくかくしかじかの団体が来倫し、演奏会を開きます。ご都合がよろしければ是非ご光臨を賜りたく」という内容の手紙をだめもとでえいやっと思いきって投函した。
演奏会には、来てもらえなかった。
しかし、その数ヶ月後、なんと自宅にPJ御大から直々に電話があったのである!
「やあ、手紙をもらっていたのにいろいろと忙しくて目に留まるのが遅くなってしまった、すまなかったねえ。ところで演奏会はどうだった?」
直電など予想もしてなかった当方は、あわてて直立不動で
「はっ!演奏会は無事終了したであります!」
冷や汗をぬぐったのであった。
長くなったので次に続く。
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