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2007/10/22

10年前のこと(PJ話の続き)

来日してからのフィリップ・ジョーンズ氏の日程は以下の通り、

10/9  NABEO主催フィリップジョーンズ歓迎会(如水会館) パレスホテル泊
10/10 移動 東京→松山→今治       今治橘ホテルチェックイン
    午後 NABEO加盟団体へのアンサンブルクリニック
    夜 ブラスアンサンブルフェスティバル 前夜祭
10/11 ブラスアンサンブルフェスティバル コンサート 今治市公会堂
    夜 後夜祭
10/12 フィリップ・ジョーンズによる公開レッスン 今治市中央住民センター
    移動 今治→松山  道後温泉 ホテルはなゆづき泊
10/13 移動 松山→東京
10/14,15 桐朋学園において特別講義
10/16 公開クリニック 相模原市民会館
10/17 帰国

9日に到着してから13日に桐朋学園の方にバトンタッチするまでのお世話係を僕がかって出ることになった。5日間の蜜月の日々。緊張すると同時に最高に幸せだった。

PJは典型的な中流階級の英国人だった。仕事と家族と犬(英国人にとっては犬も家族だが)を愛し、ユーモアを絶やさず、小食かつ粗食。違うところと言えばビールを飲まないところだろうか。
ただ、この頃から既にPJの体調はすぐれなかったようで、ときどき頭痛がするからと休憩をお求めになることがあった。あのお年(当時69歳)では時差もこたえただろうし、実際はかなりの無理をおして来日されたのに違いない。しかしながらみんなの前ではそうした素振りはおくびにもだされなかったのはすごいことだと傍で見ていてはらはらしつつも感心したものだった。

また、記憶力のすぐれていることと好奇心のおう盛なことにも驚嘆した。記憶力については以前にも書いたけど、十数年前にPJBEで初演した曲についても詳細にスコアを覚えていらっしゃるし、好奇心といえば四国ツアーの最後に案内した松山城での展示品(とりわけ甲冑と武器)についての質問攻めには、よくそこまで関心があるんだなあと通訳としては根をあげる寸前だった。

ともかくいろんな話が直に聞けた充実の5日間だった。こんなに日本でブラスアンサンブルが愛されているんだというところをお見せできてPJにも喜んでいただけたようだった。

というわけで、長くなったけど以上がPJの最後の来日のいきさつでした。
前々からどこかでまとめて記録にしとかなくちゃと思ってたからちょうど良かった。
それにつけても10年一昔とはいうものの、連絡を手紙とFaxに頼っているあたり、時代を感じさせるねえ。インターネットはちょうど萌芽期で電子メールもまだ普及してなかった。今だともっと簡単に連絡がとれるんだろうね、でも天国逝っちゃったらどうしようもないけど。

ツアー終了後PJが僕にくれた本に書かれたメッセージ
Pj2007


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