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2007年10月

2007/10/31

修復!

ようやくアポがとれた歯医者さんへ。
山ちゃんの手羽先で欠けた前歯を修復してもらう。
「手羽先がきっかけだったかもしれないけど歯ぎしりもするでしょう」と先生。
そういう自覚はなかったんだけどなあ。

ともあれレジンできれいに揃えてもらう。

家に帰って楽器を手に取ると、

      すごい!吹きやすい!

錯覚かもしれないけど、高音も無理なく出る。
もっと早く行くべきだったな、やはり。

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2007/10/26

思考停止

仕事に関することなんであまりつまびらかに書けないけど、「とにかくルールでそうなっているから」とか「他社もみんなそうしているから」とか「お客様からなにか指摘されたら困るから」とかの「他者の」理由でものごとを決定するっていうのは良くない風潮だと思う。集団で思考停止に陥っているようなものだ。個々の理由や背景をきちんとふまえて「ホントはこうあるべきだ」という自分たちの考えに基づいて意思決定をしていく組織だったらさぞかし気持ちいいに違いない。
ところがそう思っていても周りからつぶされることを予見しちゃうと堂々と自己主張できないもので。なんか日本の組織ってそういうとこあるよね。ま、自分もその一員なんだけど。
行政処分をめぐる対応でそんなことを考えさせられた一日だった。

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2007/10/25

ミクロの決死圏

人間ドック というか健康診断を受ける。

胃カメラ、得意ではないけど嫌いじゃない。
自分の体内が覗ける機会なんてそうそうあるわけじゃないし。
去年初めて見た時はむせながらも結構感動してしまった。

「はい、今胃液を取り除いています」
「げほげほ」
「これから空気を送り込んで胃を膨らませますね」
「・・・・」
「はい、しばらくゲップしないで我慢してくださいね」
「・・・・ げほげほ」
「ああ、大変でしょうがもう一回やってみますからできるだけ我慢して・・」
「・・・・ げほげほ」
「はい、もう一回やりますよ」
「・・・・ げほげほ」

結局うまく膨らませて充分胃のひだひだまで撮影することができなかったらしい。
「すみませんねえ、全部は見えませんでしたけど、とりあえず見えた範囲では問題もなくて大丈夫でしたよ」

午後は体内にたまったガスを処理するのがちょっとやっかいだった。

ああ、胃カメラ上手になりたい。

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2007/10/22

10年前のこと(PJ話の続き)

来日してからのフィリップ・ジョーンズ氏の日程は以下の通り、

10/9  NABEO主催フィリップジョーンズ歓迎会(如水会館) パレスホテル泊
10/10 移動 東京→松山→今治       今治橘ホテルチェックイン
    午後 NABEO加盟団体へのアンサンブルクリニック
    夜 ブラスアンサンブルフェスティバル 前夜祭
10/11 ブラスアンサンブルフェスティバル コンサート 今治市公会堂
    夜 後夜祭
10/12 フィリップ・ジョーンズによる公開レッスン 今治市中央住民センター
    移動 今治→松山  道後温泉 ホテルはなゆづき泊
10/13 移動 松山→東京
10/14,15 桐朋学園において特別講義
10/16 公開クリニック 相模原市民会館
10/17 帰国

9日に到着してから13日に桐朋学園の方にバトンタッチするまでのお世話係を僕がかって出ることになった。5日間の蜜月の日々。緊張すると同時に最高に幸せだった。

PJは典型的な中流階級の英国人だった。仕事と家族と犬(英国人にとっては犬も家族だが)を愛し、ユーモアを絶やさず、小食かつ粗食。違うところと言えばビールを飲まないところだろうか。
ただ、この頃から既にPJの体調はすぐれなかったようで、ときどき頭痛がするからと休憩をお求めになることがあった。あのお年(当時69歳)では時差もこたえただろうし、実際はかなりの無理をおして来日されたのに違いない。しかしながらみんなの前ではそうした素振りはおくびにもだされなかったのはすごいことだと傍で見ていてはらはらしつつも感心したものだった。

また、記憶力のすぐれていることと好奇心のおう盛なことにも驚嘆した。記憶力については以前にも書いたけど、十数年前にPJBEで初演した曲についても詳細にスコアを覚えていらっしゃるし、好奇心といえば四国ツアーの最後に案内した松山城での展示品(とりわけ甲冑と武器)についての質問攻めには、よくそこまで関心があるんだなあと通訳としては根をあげる寸前だった。

ともかくいろんな話が直に聞けた充実の5日間だった。こんなに日本でブラスアンサンブルが愛されているんだというところをお見せできてPJにも喜んでいただけたようだった。

というわけで、長くなったけど以上がPJの最後の来日のいきさつでした。
前々からどこかでまとめて記録にしとかなくちゃと思ってたからちょうど良かった。
それにつけても10年一昔とはいうものの、連絡を手紙とFaxに頼っているあたり、時代を感じさせるねえ。インターネットはちょうど萌芽期で電子メールもまだ普及してなかった。今だともっと簡単に連絡がとれるんだろうね、でも天国逝っちゃったらどうしようもないけど。

ツアー終了後PJが僕にくれた本に書かれたメッセージ
Pj2007


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2007/10/21

10年前のこと(フィリップ・ジョーンズ話)

ロンドン勤務の2年間は全く演奏活動をせずもっぱらリスナー専門だったので、それ以上の進展はなかった。今となっては悔やまれる。同じ空気の下で生活していたのに。

ともあれ、帰国してまた件のアンサンブルに出戻りした。そうこうするうち他のアンサンブル団体にも声をかけて日本アマチュアブラスアンサンブル組織(NABEO)というものが出来、加盟団体で幹事持ち回りの年1回のブラスアンサンブルフェスティバルというお祭り騒ぎが定着して数年経過した。
NABEO代表のY氏と「年々フェスティバルも大規模になるし、何か目玉イベントやんないか」「ならば教祖様を招聘するというのはどうだ」という話になったのは96年のこと。

かくしてPJと直電した経験のある僕がPJ招聘係になったのだった。さっそく手紙を出す。

ただ呼べばすぐ来てもらえるというものでもないのは当然のこと。

1996/4/25 フィリップ・ジョーンズからのFax

Dear Mr. Nakamura,

I am sorry not to have replied before as I have been away from London form some time.

Thank you for your kind invitation to visit Japan in September. Unfortunately you have asked me too late for this year, but if you have another time in the future I would like to come. I generally plan a minimum of 1 year in advance as I always have rather a lot of commitments in London and abroad.

Please give my best wishes to all my Japanese brass colleagues, and I wish you every success in Chiba.

Yours sincerely,
Philip Jones

96年のフェスティバルは山形での開催。最上川を川下りしながら水上の音楽を演奏するなどのイベントもやったのだが、あいにく当日は雨模様。それでも決行した。

1996/10/28 フィリップ・ジョーンズからの手紙

Dear Mr. Nakamura,

Thank you for your letter of 9th October. I was pleased to know that your Brass Festival was so successful even if it was rather too "watery" for Handel's "Water Music"!

I shall hope to know by January if I can accept your kind invitation to attend the 11th Festival in October '97. I will be in touch again then.

With kind regards,
Yours sincerely,
Philip Jones

で、11回目のフェスティバルは愛媛ウィンドアンサンブルが幹事となって四国の今治で開くこととなっていた。

1997/4/23 フィリップ・ジョーンズからのFax

Dear Mr. Nakamura,

Thank you for your fax of 9th April. I would like to accept your invitation to attend your Brass Festival in Ehime, (以下細かい事務的なことなので省略)

1997/6/6 フィリップ・ジョーンズからのFax

Dear Mr. Nakamura,

This is to confirm our arrangements for my visit to Ehime in October. I propose to take flight JAL402 from London Heathrow at 19:45 on Wednesday, 8th October, arriving in Tokyo at 15:20 on Thursday, 9th October. I am at your disposal then until I return to Tokyo on Monday, 13th October. I shall work there until Thursday, 16th October, and leave for London on Friday, 17th October on JAL401 at 11:55. May I leave you to make the air travel arrangements for me?

Please give my greetings and good wishes to the St. Valentine Brass Ensemble. I am sure you will have a successful concert on the 18th June with such a splendid programme. I look forward to meeting and hearing the Ensemble in October.

Yours sincerely,
Philip Jones


それにしても最後の確認のファックスの日程のくどいまでに正確なこと!世界各地をいろんなエージェントと交渉、演奏旅行をしてきたPJだからこその間違えようのないメッセージなんだろう。
そちらにお任せ(I am at your disposal)っていうくだりが泣かせるよねえ。好きに使っていいよってこと、にくいじゃないですか。

かくしてプラン発案後交渉すること約2年、1997年10月9日、PJ御大はNABEOの招きに応じてJAL402便で無事成田に到着されたのである。僕は友人の運転するベンツに乗って空港までお迎えに行った。

フィリップ・ジョーンズの手紙を載せていたら思わぬ長文になってしまった。続きは次回ということで。

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10年前のこと

さて、昔話ついでに10年前は何があったかと記録を見れば、、、

1997年10月、フィリップ・ジョーンズ(以下PJと略)来日。

ブラスアンサンブルを始めたのは僕が大学に入った1975年のこと。あのフィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブル(PJBE)が歴史的な初来日をした翌年のことだった。
当時の大学オケ(に限らないかもしれないけど)の金管セクションは、大なり小なりPJBEショックから覚めやらずで、手書きのスザートのコピー譜なんかが出回っていてメンツを集めては合わせたり、そこここのチューバ吹きはといえばヴェニスの謝肉祭をさらっているっていう騒ぎだった。

僕も自然の成り行きでそれに影響されてブラスアンサンブルを始め、自分たちの団体も作り、仲間内ではPJBEのレコードを教典ともあがめ、PJは教祖に奉るといった熱の入れようだった。

雲上人と思っていたPJにコンタクトしてみようと思い立ったのは、すでにPJが引退してしまった87年。僕がロンドン勤務になったときだった。
今考えるともったいないことしたなと思うのだが、PJの連絡先を入手してはいたものの、恐れ多くて連絡する勇気はない。やっと行動に移せたのは、自分たちのブラスアンサンブルが2度目の欧州演奏旅行でロンドン公演をするという計画を立てているとき。

「尊敬するPJ様、来るX月○日に日本からかくかくしかじかの団体が来倫し、演奏会を開きます。ご都合がよろしければ是非ご光臨を賜りたく」という内容の手紙をだめもとでえいやっと思いきって投函した。

演奏会には、来てもらえなかった。

しかし、その数ヶ月後、なんと自宅にPJ御大から直々に電話があったのである!
「やあ、手紙をもらっていたのにいろいろと忙しくて目に留まるのが遅くなってしまった、すまなかったねえ。ところで演奏会はどうだった?」

直電など予想もしてなかった当方は、あわてて直立不動で
「はっ!演奏会は無事終了したであります!」
冷や汗をぬぐったのであった。

長くなったので次に続く。

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20年前のこと(さらに続き)

自宅の裏庭の木が倒れている様子はどんなのだったかと思ってその時写したビデオを見た。

「きょうは、10がつ19にちです」
「きんようびにかぜがふいて…木がたおれました」

庭で長女がカメラに向って説明して(させられて)いる。
おお、まさにブラックマンデーの日ではないか。

それにしてもこの子(4歳)はこんなに小さかったっけ。
お姉ちゃんだからということでいつも年相応以上にみていたからかもしれない。

しばらくビデオを見ていたら、映像の中では4ヶ月の赤ちゃんだった次女がバイト先から帰ってきて、「おとうさん、土曜の夜に一人でホームビデオ見てるなんてさみしすぎることしないでよ」と言われてしまった。

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2007/10/20

20年前のこと(続き)

ハリケーンの記憶のことが気になってちょっと調べてみた。

大型ハリケーン(英語ではStormという言葉の方を使うようだ)がイギリス南東部を襲ったのは1987年の10月15日深夜から16日早朝にかけて。19日がブラックマンデーだったから、つまり木曜日の深夜のことだった。

夜中じゅうひどい風だったが、記録によると風速は時速150km、死者18名、停電数十万世帯、倒れた木々1500万本という被害だったらしい。なんでもこれだけの規模の嵐は1703年以来だという。ヘンデルもびっくりだね(ってまだヘンデルはロンドンに移住してないけど)

イギリスは全土にわたって緑が美しい国だ。街路樹にも北国特有のまっすぐな高木が道の両側に並んでいてドライブしていても気持ちがいい。
ところがそれが倒れてみてびっくりしたけど、イギリスの土地が固い岩盤だからなのか、木の背が高い割りには根っこが深くなくて、むしろ地面を這うように横に広がっているのだった。だから強風には意外と弱いし倒れる時も地面からそれこそ根こそぎひっくり返ってしまう感じで倒れる。
そんな木々が至る所倒れているもんだから道路は使えない、線路も使えないという状態だった。それに庭好きのイギリス人だから裏庭や前庭に植えていた木々が倒れて被害を被った家もたくさんあった。

自分はといえば、金曜日の朝起きて家の外に出てみてびっくり。家の前の道は木が横たわって交通不能だし、裏庭の大きな木も倒れている。幸い自分の家にはぶつからなかったけど、隣の家の方向に倒れていて、さらに幸いなことにはフェンスに阻まれて隣の家をヒットする直前で止まっている。やれやれ。

会社にはBritish Rail を使って通っていた。今日はいくらなんでも無理だろうとは思ったものの、とりあえず平日なので会社行かなくちゃという気持ちだったのかその努力はしたんだという証拠作りのためだったのか、今では気持ちは定かではないが、いつもの通りスーツを着、ネクタイを締めて駅に向う。駅に行く途中も倒れた木に阻まれて障害物走(歩?)みたいなことになっている。駅に着いたが駅員も客もおらず当然列車もなく、復旧の見込みは皆目見当つかずといった雰囲気。

と、そこに向こうからやはりスーツを着た出勤のいでたちのビジネスマンが一人。近づくにつれそれは同じ駅を利用する日本のT銀行に勤めるOさんということが判明。

「おはようございます」
「やー、こりゃひどいですねえ」
「ほんと、これじゃあBRは今日一日ダメでしょうねえ」
「会社にはいけそうもないですね」
「クルマも無理ですしね」
「しょうがないから帰りますか」
「そうですね」

1987年10月16日早朝、ロンドン郊外Purley Oaks駅での日本人2人の会話。
なんかのどかだ。

同類が居たので安心して家に帰ってBBCを見る
「Great StormのためBank of England は本日をBank Holiday(休日)とすることに決定しました。」

ハリケーンがくれた特別休暇でリラックスした一日だった。

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2007/10/19

20年前のこと

20年前のちょうど今日がブラックマンデーだったらしい。
考えてみるともう随分昔だ。この間だったような気がする。

その当時はロンドン勤務だったのだが、ちょうどその週末にイギリス南部をハリケーンが襲い、たくさんの木々が倒れて交通機関がマヒしたことの方が記憶に強烈に残っている。住んでいた地域も被害はひどかった。BR(国鉄)も全線運休。でも数日経たないうちに復旧したのには感心した。いざというときの危機対応能力って意外と優れているんだなあとイギリスをちょっと見直し。
で、週明けの相場で株が暴落。といってもNY発だったからリアルタイムでは見てないんだけど。翌朝日本株も連れて暴落しているのを見て「あー、相当ひどいことになってるなー」程度の感覚だったような。為替をメインに担当していたから対岸の火事程度の意識だったんだろう。

それにしても年月の経過とともにいろいろ正確な記憶を失って、自分の中で淘汰されたストーリーだけが残っていくもんだね。だから同じことを経験しても全く異なる物語が人それぞれの記憶の中に残っていることになる。人の数だけ歴史があるってことかな。

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2007/10/17

先見の明

原油価格が高値を更新している。WTIで1バレル88ドル突破だとか。
金も28年来の高値。

思えば約10年前に、あの投資家ジム・ロジャーズがバイクでの世界一周旅行を終えた後に、当時勤めていた会社に講演に来た時、「これからはコモディティの時代。買うなら商品。一番魅力的な投資対象国は中国とインド。言葉を覚えるなら中国語にしなさい」と力説していたが、あれこそ先見の明というものだろう。いや、さまざまに実際に自分自身で見聞しての確信だったに違いない。

自国の株式市場を相手にああでもない、こうでもないと時間を浪費する(結局我々機関投資家は大なり小なりそれをやってきたわけで)より、投資対象と時代の流れを大きなスケールで捉えてダイナミックに投資戦略の舵をとる彼のような投資家が大成功をおさめるのも道理というわけだ。

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2007/10/16

どっちに見える?

昨日職場で某所から回って来たこのウェブページ

会社でみんなで見たら面白かった。
時計回りに見える者、逆回りに見える者。はてはときどき回転の向きが変わるという者、さまざまだった。
同じものを一緒に見ても見え方が違うっていうのが不思議。でも案外世の中いつもそんなもんなのかもしれない。「自分の見方が唯一」っていう思い込みを自戒するにはいい教材かも。

時計回りは右脳派、反対は左脳派だそうです。
あなたはどちら?

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2007/10/14

練習準備

次のコンサートは11月のバッハ・カンタータ・アンサンブル。
僕はどうやら3曲乗ることになりそう。
そのうち、16番と95番は楽器の指定がCorno(ホルン)となっている。CDによっては95番はコルネット(ツィンク)で演奏しているものもあるが、今回はそのどちらもポストホルンで吹こうと思っている。ま、コルノダカッチャの代わりだね。

Posthorn

ポストホルンはB&S社のB管。今まではこの楽器を買った時に付けてもらったB&Sの6C-FL(フリューゲル用?)を使っていたんだが、今回いろいろ手持ちのマウスピースを試してみた結果、モダンコルネット用のデニスウィック5Bというのを使おうかと思っている。ところがこれ、コルネットシャンク用なのでシャフトの部分が細くて合わない。窮余の一策として、マウスピースのシャフトに凧糸を巻き、その上からデンタルフロスを巻いてぴったりとはまるように調整。こんな荒技コルネットやってなかったら思いつかなかったかも。

Denis_wick_5b


それから楽譜に歌詞をふる。コラールはもちろんのこと、それ以外の曲でもフレージングや曲想を掴むため必要な作業。こんなときインターネットのウェブサイトは便利。カンタータのスコアは簡単に手に入るからだ。

さて、今日は夜練習。

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2007/10/10

公開講座

昨日はちょっとした縁で夜某大学の公開講座に参加。
東京駅の回りにはいろんな大学が事務所を構えているんだね。
お題は「空間経済学」。 またしてもいかに日本が他のアジア諸国の発展に遅れをとっているかという話が満載だった。

それにしても授業ってどうしてあんなに眠くなるんだろうか。
講義が始まるやいなや上のまぶたと下のまぶたが急に仲良しになる。
ほとんど性(サガ)だね。

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2007/10/09

新響雑感

昨日の新響の演奏会は199回だったそうだ。高関さんの指揮でマーラーの9番。記念すべき次回200回は小松一彦の棒で芥川さんの交響三章とストラヴィンスキー「春の祭典」ほか。

僕が在籍していたのは87回から146回まで。辞めてからもう干支が一回りしてしまったから年4回のペースでいけばそりゃ200回にはなるわな。100回目の時は選曲委員会が芥川作品展を主張したのだけれど音楽監督の芥川さんが拒んだので(だって自作をやりたいがためにオケを指導しているのかと思われたらいやじゃない、というのがその理由だったけど、真相は単に照れていたんだと思う)、穏当にベートーヴェンの第九に落ち着いたのだった。

そういえばその時は長女が誕生したばかりだったので妻は降り番だった。100回を記念して集合写真を東京文化のステージで撮ったのだけれど、そこに妻の姿がないのはそういう訳である。

高関さんといえば127回演奏会でブラームスの1番をやったのが最初の顔合わせだった。新響のラッパは当時とにかくバック一辺倒だったのだけれど、なぜかそのときロータリーを使おうということになって、ロータリーを持っていない僕は友人からモンケのB管を借りて演奏した。思いっきり吹いても弦の邪魔にならない(ような気がして)気持ちよく吹かせてもらった記憶がある。後にも先にもロータリーで演奏した本番はそれだけ。

マーラーの9番といえばヤマカズさんのマーラーチクルスのときに、トップが決めたローテーションでは僕は1番のアシスタントということだったのだけれど、「どこを重ねるんですか?」と訊くと4楽章の数小節だけということだったので「それくらいならアシスタントいらないでしょ」と断ったのだった。トップにしてみればきっと生意気で扱いにくいパートメンバーだったに違いない。

なんか昔話ばかり書いているね。

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2007/10/08

ニッポン・パッシング

今日は日本は休みだけど海外の市場は開いている(NYも休みだけどね)。
円がまた弱含んでいてドル円で117円のミドル、ユーロ円が165円だ。

対ドルで110円から120円の間をうろうろしているんだから別になんてことないように見えるけど、実はこのところの米ドルはめちゃめちゃ安いのだ。インデックスで見ると市場最安値水準じゃなかろうか。それに連れているということは円もまた限りなく安い水準にあるということである。

通貨に限らず日本に魅力がないんだなというのは株価を見れば一目瞭然。TOPIXで見れば上がったり下がったりでトレンドはなく今は結局年初と同じくらいの株価水準でパッとしない。何となく世の中こんなもんなのかな〜と思って他国の株価を見れば、年初と変わらず足踏み状態なのは日本だけで、ヨーロッパやアメリカの株価指数は10%とか20%とか結構上がっているのだ。アジアに至っては2倍以上になっている中国株は別格としても、東南アジア、インドみんな結構成長している。中国市場の恩恵を直接受けるホンコンが40%なのは納得がいくが韓国でも同率程度の伸びを見せている。逆に日本の新興市場は年初来マイナス数十%の下落だから地盤沈下は目を覆わんばかり。

成長が期待出来ない、投資魅力がない、通貨が弱い、いろんな要素があってこういうていたらくなんだろうけど、どういう風に変化していったらこの状況がプラスに転換するんだろうか。このまま割安に放置されてパッシング(素通り)されるだけの国に甘んじるんだろうか。

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連休の行状

ミューザ川崎までバッハ・コレギウム・ジャパンのロ短調ミサを聴きに行く。
そのあとラゾーナ川崎のパトラッシュでベルギービールを堪能。

映画「めがね」を観る。 ときどき沈没。

今季初の鍋(しゃぶしゃぶ)。
それから昼は材料を買ってきてインスタントじゃない担々麺にトライ。

空いた時間でラッパとリュートの練習。

あ、ロッテvsソフトバンク初戦も観たんだった(千葉テレビでね)
結局新響の演奏会には行かずじまい。今日は家でのんびりの一日。

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2007/10/02

ギブス?

昭和40年代には日本人が参加するなど夢物語だったに違いない、大リーグ。
これだけの選手がメジャーで活躍するようになるとは。
夢を夢として遠くから憧れるためには大リーグでも通用するようなボールを投げるための養成ギブスが必要だったということだね。

ラッパの早朝練習ではそのまま吹くことはままならないからミュートを使う。お世話になっているのはヤマハのサイレントブラス。ただでさえ片手でずっと持ち続けるには重いラッパにピックアップミュートをつけると更に耐性時間が短くなる。あたかも養成ギブスをつけているかのようだ。思うにこれで腕を鍛えたからといってあんまり利点もないような。むしろ傷めそうだ。アレキサンダーテクニックも使えなさそうだし。

いまどきの野球マンガに大リーグボール養成ギブスの発想は通用するんだろうか。

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