仮説その1
ハイドンのトランペット協奏曲についての仮説
(その1)
この曲にはキイ・トランペットじゃないと出せない音がある。
この曲はよく知られている通り、当時出てきたばかりのキイ・トランペットの為に作曲された。当時の聴衆は当然ナチュラルトランペットの音、演奏に馴染んでおり、スケールや半音階が演奏できるキイトランペットには実演で初めてお目にかかったはず。1楽章の第1主題の提示(下の音域での「ドーレー・ミ」)にはトランペットの音でその音域のスケールが吹けることにびっくりしたに違いない。それを逆手にとってハイドンはある面白い試みをしている。
自分がキイを吹いてみて初めて気がついたんだけど、その試み(いたずら)を実現するためにはモダンのEs管やBb管ではどうやっても出せない音があるのだ。正確には2カ所。
今この時代にその音を作曲者の意図通り出してみても聴いている人には全く理解できないだろうし、第一「受けない」であろうことは間違いない。でも1800年の初演時の聴衆が、その場所で「やっぱりね」と眉をひそめるのをみてパパ・ハイドンが「してやったり」とほくそ笑んだんじゃないかと思うとちょっと楽しい。
3楽章の終わりのソロがああいう形になっているのもハイドンのユーモアでつじつまがあう(気がする)。
ささいなことだけど、こんな小さな発見が面白い。
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