« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »

2009年5月

2009/05/31

楽器貸し出し中

我が家のナチュラルトランペットたちが出払ってしまっている。

Egger (4 hole long type in D&C)・・・オランダに長期貸し出し中

Munkwitz (3 hole short type in D&C)・・・磐城に長期貸し出し中

Heide (natural in D&C)・・・埼玉に7月まで

Raquet (natural in D&C)・・・川崎に6月まで

Keavy (4 hole long type in E)・・・川崎の別のところに8月まで

全部で5本か。メモっとかないと忘れそう。

というわけで、今手元にあるのはEggerのロングタイプと、Heideのスライドトランペットのみという状況。

体は一つしかないから、これでいいのだ。

| | コメント (0)

本番終了

西荻窪、本郷教会でのカンタータ連続演奏、<賛美と祈りの夕べvol.251>が土曜日にあった。
今回は183番と128番の2曲で、ラッパの出番は128番のみ。

当日のリハーサルは午後3時から。ところが会場に行く途中でトランペットのマウスピースを持ってくるのを忘れていることが発覚。バロックラッパ仲間のO氏がリハーサルを聞きに来てくれる予定になっていたので、急遽電話をして、とりあえず何でもいいからバロックのマウスピースを持って来てくれるように依頼。無事S8が手に入って事なきを得た。普段使っているSI7よりは若干小さめだが、自宅での練習のときにS8もたまに使っているので全く問題ない。

もし途中で気がつかなかったらポストホルンのマウスピースでやりくりしなくちゃいけないところだった。危ない危ない。

128番3曲目のラッパのソロはナチュラルでチャレンジ。一息で吹く(吹かざるをえない)メリスマの部分は本番よりリハーサルの方が調子が良かったか。このあたり、まだまだイメージトレーニングが足りない。本番のときに何かが邪魔をしている。それは邪念だったり、余分な緊張だったり。常にベストを出すにはどうしたらいいか、真剣にさらわなくちゃね。

さて、今年前半の演奏活動は6月13日の逗子でのカンタータで締め。
そのあとは当分出番はなくなる。
それにしても今年前半の山は高くて険しかったなあ。

| | コメント (0)

2009/05/30

人口が減っている

仕事上での知り合い(金融関係)のブログに、

「昔からの仲間たちが昨今の金融危機で痛んでしまい辛い状況にあるため、あまりお気楽なことは書けなくなった」とあった。

そうだろうなあ、と思う。
オフィスの移転の関係もあり、今週はヒマをみつけて書類の整理などをしている。いただいた年賀状も整理してみた。
試しに2008年の年賀状を区分してみると、その約半分は今もその会社に健在な人からのものだが、4分の1弱はまだその会社に勤めているか不明のもの(1度の名刺交換だけという関係で賀状が来たりするとそうなってしまう)、そして4分の1強はもう既に辞め(させられ)たか、その会社が存在しない人からのものだった。
たかだか1年半前の賀状なのに、実に30%近くがなんらかの理由で離職したってことだ。

もともと金融関係では外資系主体に人材の流動性(モビリティ)は高いのだが、バブリーな時に比べて違ったのは、「ここに転職しました」という挨拶状の少なさだ。つまり知らないうちにいなくなったり、ひっそりと転職していたりという事例が多い。

冒頭の僕の知り合い(外資に移ってはや20数年)の彼の回りなら、より離職率は高いかも。かっては持ち前の情報網で「あそこが人を探しているみたいだよ」というアドヴァイスもできたのだろうが、人口が急速に減っている今はそういう再就職の相談にも乗りづらいんだろう。「家を売らなくてはいけなくなった」という相談にはどう答えてあげればいいのか。

金融の場合はどうしても極端に走りがちだから、身から出た錆的部分もあるんだけど、それはむしろ組織の問題。ミクロの個人レベルだとどうしても被害者的な暗い話になってしまう。

所詮、他業界の人からすれば、「そんなこと言ったって、それまで法外な年俸とかもらってたんでしょ。我が世の春を謳歌していた天罰がくだったのさ」ということで溜飲が下がる話なのかもしれないが。

| | コメント (0)

2009/05/24

チカラが抜けてきた

いい意味でね。

今日は西荻の本郷教会で来週のカンタータ礼拝の練習。カンタータは128番。1曲目と5曲目はコルノ、3曲目がトランペットというラッパ吹きには出番が多くて忙しいもの。

もはや本郷教会は僕にとってホームグラウンドの一つ。いろんな冒険もやらせてもらえるし、それを淡野親子始めみなさんが温かい目で見守って応援してくれる。ありがたいことだ。

というわけで、今回3曲目のトランペットオブリガートは穴なしの完全ナチュラル。礼拝堂の響きに助けられて酸欠にもならず気持ちよく吹くことができた。ナチュラルトランペットを始めた頃は正直ここまで来れるとは全く思ってなかったけど、何かに導かれて来てしまいましたという感じ。却って指穴を使うほうが音色が不揃いで変なんじゃないかという気にさえなってきた。

昨日の逗子での練習でもカンタータ19-5を試しに4つ穴と穴無しでやってみたが、安定感と音程は4つ穴だけど音色は明らかに穴無しに軍配が挙がる。どちらがいいかと天秤にかけると、やはりまだ有料の演奏会だと前者になるんだよなあ。その差を逆転するのが今の目標。

| | コメント (0)

2009/05/21

日本モーツァルト協会例会終了

ふーっ
本番終了。

本番をベストにもっていくのが今後の課題だな。
(たぶんステリハのときが一番良かったような気がする)


雑感

その1)お客さんの年齢層が非常に高め。前半は降り番だったから、ラッパの相棒と一緒に客席で聴いてたんだけど、僕らはホントひよっこって感じだった。ヨーロッパのクラシックの演奏会に行くとこんな感じだよね。

その2)ステージに上がる直前、舞台裏で、そういえばこのホール(東京文化の小ホール)は年初のコンサートのときにへくった(ヘマした)とこだったんだよなあ、と瞬間過去の悪夢が蘇った。今日はそんなことがありませんように。

その3)古典派の演奏には大分慣れた。編成が小さいからということもあるのかな。

その4)ティンパニの存在はありがたいね。弦とラッパのみの曲のあと、ティンパニが戻って来てくれると「おお、こんなに吹きやすかったのか」と思うもん。

その5)ファの音がなんとかなってきたのがうれしかった。ヴァイオリンからも今日はファの音程は全く気にならなかったと言われたし。

その6)プログラムが終わって立ち上がってみたら客席かぶりつきにBCJのオーボエのS氏が座ってるのを発見してびびった。人がわるいよなあ。それでも事前に知るよりはましだったか。


ともあれ、無事にコアでティープなモーツァルティアン向けのコンサートは終了。
やれやれ

| | コメント (0)

録音を聴いて

昨日のMATのゲネプロのあと、指揮者殿にムリ言って2月のロ短調ミサ曲と先日のハイドンのコンチェルトをCDに焼いてもらう。

うちに帰って今日ゆっくり聴いてみた。

感想

1. ロ短調ミサ、オケの中のラッパのバランスはすごく良かった。欲を言えばあと1割増しくらいあっても良かったか。とにかく僕の中での理想に近い感じ。あ、あくまでもバランスね。

2. 二カ所でハイDをはずしたのが目立っていて痛い。ピアノで軽く行きたかったんだけどなあ。かなりもったいない。

3. ハイドン、健闘してるけど、相変わらずポカがある。しかもそれぞれの楽章に。せっかくステージリハーサルで合わせ直ししたのに、第一主題のドの音をフライングしてるし。 (最初のドレミはオーディションでも大事だというに・・)

4. 2楽章は一部アタマが白くなったところがもったいなかった。練習では一度もなかったのに。うーん、リベンジしたいなあ。

5. 3楽章ってあんなに音外したっけ。数えたら15くらいもあった。テンポも早かったけど、ダメじゃんこれじゃ。

なかなか納得いく演奏はできないもんだね。
でも、ロ短調ミサが今のところ今年のベストパフォーマンスかも、と思ってしまった。

| | コメント (0)

今日は演奏会

当日にお知らせしてもほとんど意味ないけど。
一応、記録ということで。

日本モーツァルト協会 2009年5月例会

○日時:2009年5月21日(木) 18:45開演
○場所:東京文化会館 小ホール
○指揮:坂本徹
○演奏:モーツァルト・アカデミー・トウキョウ(MAT)
○曲目:元后、童貞聖マリアのためのリタニア
    ミサ・ロンガ
    教会ソナタ
    聖体祝日のためのオッフェルトリウム
    レジナ・チェリ
○入場料:4,500円(当日学生券2,000円)
○詳細:モーツァルト・アカデミー・トウキョウ ホームページ
    日本モーツァルト協会 ホームページ

| | コメント (0)

2009/05/20

ハイドン演奏後日談(日本初演は)

先日疑問に思っていた、ピリオド楽器によるハイドン/トランペットコンチェルト全曲の日本初演はうち(OPT)じゃないことが判明した。

数年前、オーケストラS、トランペットソロS氏によるコンサートがあったらしい。うちの指揮者殿が立ち会ったとのこと。

なんだ、早く教えてよ

| | コメント (0)

2009/05/19

ハイドン演奏後日談(楽器の持ち方)

ステリハが始まる前にヴィオラのY氏と雑談していて、能のはなしになった。
能は昨年初めて鑑賞したけど、いろいろと所作が決まっているわりには中身は自由(アドリブあり)ということらしい。バロックですねえ。
などという話から、

「いや、実は今回のハイドンにも僕なりの所作があるんですよ」と僕。

「へえ、なんですか?」

「あのね、僕がラッパを片手で掲げて吹いているときは、これはナチュラルトランペットですよ、という合図のつもりなんです」

「そうなんですか、気がつかなかった」

「曲の冒頭はナチュラルだよっていうのを示しておいて、主題からキイトランペットに変貌する。だけど3楽章の最後ではまたナチュラルに戻って終わるんです」

「なるほどねえ、そうなんだ。今度はちゃんと気をつけて見てみます」


というわけで、コンチェルトのなかで正規のナチュラルトランペットの持ち方(片手で楽器を持ち、もう一つの手は腰に充てる、いわゆる仁王立ち牛乳ラッパ飲み体勢)をした部分が何カ所かあった。


演奏会が終了してから、何人もの人から、「あの、片手でラッパを吹くのは格好良かったねえ」と言われる。


それでハタと気がついた。

今のお客さんには片手で吹くのが新鮮に見えるんだろうけど、当時の聴衆にとってはそれが当たり前で、むしろ両手でトランペットを操るのが異端(というか見慣れないこと)だったんだろうなと。

だとすると、楽譜や自然倍音だけの問題ではなくて、これは視覚的にも聴衆を欺くために、あの持ち方をしたのは正解だったんじゃないだろうか。

うーむ。終わっても新たな発見があるもんだ。

| | コメント (0)

2009/05/18

ハイドン演奏後日談(カデンツ)

本番無事終了。おかげさまでコンチェルトは好評だった。

昨日の演奏会後の打ち上げでも披露した話だけど、ちょっと内輪話。

一楽章のカデンツをどうするかは数ヶ月前から迷っていた。

今回は幸い自分のオケでのソロだから参加する練習回数も多いし、みんなの理解も得やすいのでいろんな実験もできる。いわゆるトライ&エラー方式ね。
というわけで練習の時には数種類のカデンツを試させてもらった。

Wobish, Segal, Immer あたり。それからそれらをブレンドしたものなど。いろいろ試すうちに、モダン楽器で演奏されたカデンツはキイ・トランペットには適さない部分が多いということに気づいた。キイはキイなりの聴きどころを選んだほうがいい。そういう意味でImmerのは最初にCDを聴いたときはぱっとしない感じだったけど、自分で吹いてみるとなるほどムリがない。

そんなこんなで練習を重ねるうち、指揮者用にもカデンツの譜面があるといいかなと思い、その時々に試すカデンツの譜面を書いて指揮者に渡すことにした。すると、ここはもっとたっぷりやったほうがいいとか、上昇音型はどの音から始めた方がいいとか、いろいろアドヴァイスをくれる。練習としては一石二鳥だ。

さて、本番当日の朝、家を出る前に、最終的に心の中で決めたカデンツの楽譜を指揮者用に書いた。なにしろもう決まっているのだから白紙の五線紙の上にすらすらと譜面が書ける。まるでモーツァルトにでもなったかのような境地(笑)。
実はそのカデンツにはちょっとしたいたずらが盛り込まれていた。カデンツの終わり頃にちらっとフンメルのトランペットコンチェルトの第1主題冒頭のフレーズを入れてみたのだ。

本番前のステージリハーサルでそのカデンツを試す。1楽章終了後、指揮者曰く「この部分はちょっと余計じゃない?」と指差したそこは例のフンメルの数小節。「そうですか、そうかなあ」

結局本番ではフンメルにはご登場いただかないことにした。カデンツが一部乱れたのは、頭の中に清書されてた譜面が一部ぐしゃぐしゃっとしてた、そのせいかもしれない。

| | コメント (0)

2009/05/17

曲目解説(ハイドンのトランペット協奏曲)

今日の演奏会のプログラムから転載。

==================================

ハイドンのトランペット協奏曲とキイ・トランペット

ヨーゼフ・ハイドンのトランペット協奏曲といえば古典派のトランペットコンチェルトを代表する曲です。作曲されたのはハイドンの晩年にあたる1796年。すでに104曲におよぶ交響曲も書き終わり、最後の弦楽四重奏曲集やオラトリオやミサなどの大作の創作に取りかかっている集大成の時期でした。協奏曲といえばもう10数年も手がけていません。そんな時期になぜトランペット協奏曲を作曲したかと言えば、ウィーンの宮廷トランペット奏者でハイドンの友人でもあったアントン・ワイディンガーからの依頼があったからです。ただし普通の依頼だったらハイドンの興味は惹かなかったかもしれません。敢えて曲を作ってみようかと思ったのは、おそらくワイディンガーの頼みがその当時発明されたばかりのキイ付きトランペットのためという目新しさがあったからではないでしょうか。それまで自然倍音しか吹くことのできなかったナチュラルトランペットと違い、半音階を自由に出すことができるその楽器の可能性を試してみたいという実験的企みがハイドンの創作意欲をかき立てたに相違ありません。

そうした背景からか、この曲には円熟した作風の中にもハイドンのユーモアやちょっとした裏切りがあちこちに仕組まれているように思われます。冒頭の、あたかもナチュラルトランペットのようなソロの出だしのあと、(ナチュラルでは不可能だった)中低音域の音階で始まる第1主題を提示させる部分。執拗なまでの半音階の繰り返し。ここで終わりかなと思わせておいてまだ曲を続ける偽終止、などなど。当時の聴衆をびっくりしてやろうといういたずら心でしょうか、パパ・ハイドンの面目躍如たるところです。

初演は1800年3月28日、ウィーンのブルグ劇場、アントン・ワイディンガーによる新作のオーガナイズド・トランペットを使用した自主演奏会にて披露されました。作品が出来てから初演までに年月があるのは楽器奏法を手中のものにするのに時間がかかったのと、演奏会を開くための当時の宮廷の煩雑な手続きのためだったようです。満を持して開かれたワイディンガーの試みは成功したのかと言えば、残念ながらそうではなかったようで、お客さんは少なく、共演したソプラノ歌手の状態も酷くて散々な演奏会だったようです。しかしながら1802年にライプチヒに演奏旅行を行った際には大成功をおさめ、彼と彼の新しい楽器は一時期脚光を浴びることになります。

ただ時代は彼には味方しませんでした。オーケストラでは新しく開発されたバルブ式のトランペットが主流を占めるようになり、ワイディンガーの引退と時を合わせるように1840年頃を最後にキイ・トランペットは世の中から姿を消して行きます。まさに金管楽器史においては半世紀しか生き永らえなかった一世代限りの変種という存在になってしまいました。

ハイドンの曲も一旦は忘れ去られてしまいます。しかしながらこの貴重な名曲は20世紀になってブリュッセルで再発見され、以来トランペットのコンチェルトと言えばこの曲、というくらい不動の位置を占めるに至ります。楽器は消えども曲は残りました。今日の演奏会ではその消えた楽器も復活させたいと思います。なにか新しい発見があるかもしれません。 

| | コメント (0)

2009/05/16

ハイドン演奏の謎(どこまで自由なのか?)

もうコンサートは明日に迫ってしまったので、このハイドン演奏の謎シリーズもこのへんで最終にしておこう。

冒頭の無意味に思える(?)伸ばしの音を吹かないのも、トリルを上下どちらからかけるかも、結局奏者に委ねられている問題だ。
そもそも譜面自体にスラーやスタッカートなどのアーティキュレーションやダイナミクスなどが最小限にしか書き込まれてないし(あくまでもこれは自筆譜のこと)、あってもバイオリンとソロとでは同じフレーズなのにスラーの位置が違ったりもしている。これもどう解決するかは奏者の問題となる。

しかし自由度という面で一番大きい問題はやはりカデンツをどうするかだろう。ハイドン自身はカデンツを書いていない。それも道理で、ピアノフォルテのように作曲者の手中にある楽器ならともかく、新種の楽器の聴かせどころをどうするかはそれこそアントン・ワイディンガーに任せるのが一番だっただろうから。
従ってカデンツは奏者の自由に完全に任されている。「完全に?」いや、そんなことはない。ソリストの技術を誇示したり楽器から奏でられる美しさをアピールする場ではあるけれど、あくまでもウィーン古典派のハイドンのスタイルからはみ出してはいけないだろう。他人が作ったのをコピーするのはその意味では安全かもしれない。でも人の好みや得手がそのまま自分に当てはまるとも限らない。できれば自分のカデンツを作るべきだろう。

そういう観点から1楽章最後のカデンツを市販の演奏で聴き比べてみる。
一番多いのはアンドレのコピー(Guy Touvron)か、そのアイデアをパクったもの(Alison Balsom, Tine Thing Helseth, Miroslav Kejmar, Geoffrey Payne)。非常に無難。
それどうなの?と思う演奏は、ShowOffが過ぎたのか、つい手癖が出るのか、エチュードっぽいフレーズが入っているもので、いかにもラッパ吹きらしいし上手なんだけど、スタイルという面からはちょっと首をひねる(Wynton Marsalis, Charles Schlueter, Rolf Smedvig, Gerard Schwarz)。あ、みんなアメリカ人だね。
それに比べ上手に作ってあるのが、Reinhold Friedrich, Niklas Eklund, Jeffrey Segalあたりのように思われる。一方、場外はSergei Nakariakovだね、これは全くのロマン派。どっか他の曲でやってくださいって感じ。

3楽章のカデンツ。これは前半の124小節目。なくてもいいし入れてない演奏も多い(28のうち17はカデンツなし)。逆に入れようと思えば最後の280小節目のGPに入れることも可能(Rolf Smedvig, Geoffrey Payne, Pierre Thibaud)だけど、これは作曲者のGPの意図(だまし)を汲んでないし、スタイルという面でも概ね失敗している。まあ、入れるとしたら前半に短いフレーズをさりげなく、っていうのがセンスいいんじゃないかと思う。

カデンツ以外に音を入れる(つまり装飾などで音を増やす)ことは許されるのだろうか。これは作曲年代を考えると普通に行われていたことではないかと推察される。つまり、即興的に装飾を入れることは問題ないのではないかと思うのだ。ただし、これもあくまでもスタイルが同一で、かつ装飾することでフレーズの効果が引き立つようなものに限るのはいうまでもない。そういう目で見るとリリカルな2楽章は装飾を入れるのに格好の場所なのではないかと思う。しかしながらCDを聴く限りではそうした試みはGerard Schwarz1人のみ。録音ではなくてライヴ演奏ではもう少し実例があるのかもしれないが。

さて、明日の演奏はどんなでしょうか。まずは聴いてのお楽しみ。

| | コメント (0)

「心はなぜ不自由なのか」

「心はなぜ不自由なのか」 浜田寿美夫(PHP新書)

著者は奈良女子大学文学部教授。本稿はPHPの「人間学アカデミー」での3回にわたる講義内容を新書に書き下ろしたもの。

 第1回講義 取調室のなかで「私」はどこまで自由か         
 第2回講義 この世の中で「私」はどこまで自由か
 第3回講義 「私」はどこまで自由か

初回はいわゆる冤罪、虚偽自白の問題。犯人でもないのに虚偽の自白は取調室という特殊な状況下でどのようなメカニズムでなされるのか、その心理的要因を多くの調査から心理学者の目を通して見直してみたもの。検察や裁判官からの目ではなく犯人に仕立てられた一個人の心理的葛藤(無実なのになぜ落ちるのか)にメスをいれている。普段はすごく遠い出来事のように思うが万一そうなったときは自分もそうなるだろうな、なるほどと思わせる。

筆者は日本の取調べ方法について強く疑問を抱いている。次のような文章まである。

「80年代には、4人の確定死刑囚が再審請求の結果、社会に生還するということがありました。免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件の4件です。そのいずれにも自白はありました。この4人が30年もたって再審請求が認められて娑婆に出てきた。そういう事件が4件も続いたにもかかわらず、なぜそういうことが起きたかのかを国が調査することはなかったのです。
日本という国はまことに恐ろしい国です。聞いたところによりますと、検察庁では反省会を開いたらしいのですが、どうして自分たちは負けたのか、そういう反省会だったというのです。これはとんでもない話だと私は思います。」

確かに。
自分も犯人でなくて捕まえられたらきっと犯行を自白してしまいそうな気がする。この章を読むと。

第2回はガラッと変わって羞恥心という側面から、我々人間がいかに人間関係の網の目に絡み取られていて不自由であるかという問題を論じている。自分の視点、他者の視点、世間の視点、神の視点、いろんな視点を同時に使い分けをしつつ、その分自由度を失っているというわけだ。

最終回は自由を制約する「壁」の問題。「自然の壁」、「生活の壁」、「人間の壁」というわけ方で説明する。現代社会が拝金主義になってるわけだなあと深く納得。
最終的に前の2つの回の話と合体されてうまくまとまった講義となっている。

自分にとっては第1回講義のインパクトが強かったかな。人間とは真に弱いものだということを再認識した一冊だった。

| | コメント (0)

ハイドン演奏の謎(上から?下から?)

次にトリルの問題について。

トリルのついた音はソロのパートにはそれほど多くない。が、このトリルを上の音からかけるか、その音からかけるか(これをここでは便宜上「下から」と呼ぶことにする)、という問題がある。

ハイドンに先立つバロックの時代だと基本的にトリルは上からかけるお約束になっている。ところが、ハイドンより少しあとのフンメルやツェルニーの教本には「トリルを上の音からスタートするのはメロディーを損ねるからその音からかけるべきである」との記述がある(フンメル1828、ツェルニー1839など)。
裏返すと19世紀前半は前の(バロックの)演奏慣習が残っていて、それを払拭するためにわざわざフンメルらが新しい主張をしたという捉え方もできる。

トリルがメロディーを損ねるかどうかという視点でいくと、トリルのついた音がどういう位置づけなのかということも併せて考えた方がいい。
実際に楽譜にあたってみると、トリルには2種類あることが分かる。一つはフレーズの終止音の一つ前についている(これをカデンツトリルと呼ぼう)ものでこれが大半だ。もう一つがフレーズの途中についたトリル(ここではメロディートリルと呼ぶ)でこれは実例が少ない。1楽章の60-61小節と、3楽章の249から253小節目までの2カ所。

僕の考えだと、カデンツトリルは「ここで終わりですよ」というお約束を聴き手と共有するために、昔ながらの上からトリルが似合っているように思う。
問題はメロディートリル。3楽章は一音ずつ降りて来るそれぞれの音にトリルがついているので、確かに上からトリルをするよりは下からトリルの方が聞いていて自然だ。1楽章の上昇音型、ここは聴いた感じどちらでもいいように思うし、自分も今までは何となく上からトリルをかけていた。ただ、フンメルらがわざわざそう記述もしているし、当時の新しい考え方も取り入れて、ここは下からトリルを採用するのも面白いかもしれない。

ということで僕の推論は2カ所のみ下からトリルで他は上からトリルというのが適当なのではないかというもの。

さて、市販の演奏はどうだろう。
例の28種類の演奏を聴き比べる。カデンツトリルの代表として1楽章の43小節目を、メロディートリルとして同じく1楽章の60-61小節目を取り上げ、それぞれどう吹いているかを聴いてみた。

 カデンツもメロディーも上から・・・22例
 カデンツもメロディーも下から・・・ 5例
 カデンツ上からメロディ下から・・・ 1例

下からの5つはDon Smithers, Walter Gleisle, Charles Schlueter, Jeffrey Segal, 高橋敦の5人。
そしてたった1人「上から、下から」の組み合わせを選んだのは28の演奏の中では一番古いHelmut Wobishだった。
Wobish (1912-1980) はウィーンフィルの奏者で、初めてこの曲をロングプレイのレコードに録音(1952年)した人でもある。

相場の世界でもそうだけど、少数派でいることは時には快感でもある。
最終結論。やっぱり僕もWobishに倣って「上から、下から」の組み合わせにしよう。

| | コメント (4)

2009/05/15

ハイドン演奏の謎(なし?あり?)

ハイドン(トランペット協奏曲)聴き比べの話。

でもって最終的に28組の演奏を聴き比べているわけだが、なぜだろうと疑問に思うことがいくつかある。

例えばその一つ、自分の中ではこだわりの部分である、1楽章出だしのところを吹くか吹かないか。
ソロは主題に先立ち8小節目にEsの二分音符の伸ばし、13小節目からの8部音符の合いの手がある。その2カ所のことだ。

28のうち13は楽譜通りどちらも吹いている。(これを「あり、あり」と呼ぼう)

11の演奏はどちらもなし。これはソロは主題からということで、小さい時から聴き慣れたアンドレ盤がそうだったのでそれほど変とは思わない。もちろん、今はここがないと変な気はするのだが。(これは「なし、なし」)

問題は4つの演奏(ギュットラー、ガンシュ、トゥーブロン、それにシュヴァルツ)では、なんと13小節目は吹いているけど8小節目はスルーしてる。(つまり「なし、あり」)
最初にこのパターンにお目にかかったときは、変な解釈だなあと思っただけだったけど、1人だけというならともかく、複数のプレーヤーが「なし、あり」を選択しているというのでなぜかな、と思ったわけだ。
考えた末の自分なりの結論は、結局「そういう楽譜が出版されていてたまたまそれを使っただけ」ということではないだろうか、というもの。
でもなあ、ギュットラーみたいに歴史考証をちゃんとしそうな人がそれに気がつかないかなあ。ちょっと腑に落ちない点が残ったままだ。

| | コメント (2)

2009/05/12

チャレンジング

タイミングがいいとはこのことか。

The Baroque Trumpet Shop に注文していたBach for Brass の第2巻が届いた。これはカンタータの101番以降のオケスタ集。

でもって、たまたま今月末は西荻の本郷教会でカンタータの128番の演奏がある。このカンタータ、1曲目はin Gのコルノダカッチャ2本で3曲目がin Dのラッパのソロ、5曲目にまたダカッチャ2本でコラールという案配だ。
このダカッチャのパートが結構難しい。今まで持っていたMusica Raraのオケスタにはダカッチャの譜面はついてなかったから、新しいのが届いて良かったよ。

3曲目のソロはながながと16音符のメリスマがある。うーん、これはナチュラルでトライだな。ハイDもそんなに出てこないし。

かなりチャレンジングになってしまうが、意欲は湧くなあ。

| | コメント (0)

2009/05/10

4回転ジャンプ級モルデント

訳あってハイドンのトランペットコンチェルトの聴き比べなぞをしている。

名曲だけあって(というかラッパのコンチェルトはこれにとどめをさすので)いろんなバージョンが手に入る。今手元に30近く!

で、そのごく一部の話なんだけど、3楽章の86小節目から7小節ほどにわたって、ラッパのソロにはモルデントが出てくる。ほとんどの演奏は1音上げのモルデント、少数派が半音下げ。これはタール教授の説に依ると半音下げが正しいそうなので、僕はその少数派で行くつもり。

なのだが、ただ1人、ウィントン・マルサリスのみ、この瞬時の間に1音上げと半音下げのターンをやってのけている!最初はなにが起きたのか聴き取れなかったほど。

フィギュアスケートで言えば4回転ジャンプ級の大技だね。

| | コメント (0)

2009/05/09

MDカラオケ

久々にMDカラオケ。

これは74分のMDにラッパの曲ばかりを入れてあって、それに合わせて吹くっていうただそれだけなんだけど。
テレマンのコンチェルトに始まってinDの有名どころばかり、最後の方はロ短調ミサとクリスマスオラトリオの終曲で〆。
別のMDにはinCとinDのカンタータばかり集めてある。
楽章間の休みなどは当然省いてあるからぶっ続けで吹くことになる。いわばラッパのトライアスロン状態。

以前にバロックトランペットの練習のときに使っていたんだけど、今回はナチュラルでトライしてみた。

右腕が重くなるし腹筋が痛くなってきた。

うーむ、なかなか惨憺たるありさまだけど、鍛錬にはなりそうだ。

| | コメント (0)

びっくりした

いつも見に行くブログにいきなりこのページのことがでててびっくりした。
いや、いつも楽しく拝見しています。

| | コメント (0)

2009/05/08

ちょっとうれしかったこと

LFJにて。

5/3のファビオ・ビオンディ (Vn) エウローパ・ガランテの公演で、彼らが演奏したパーセルのアブデラザール組曲は、今年2月の「これしかない」で僕らもやった曲。

練習のとき、R女史と「こういうふうにやると面白いんじゃない?」と工夫した6曲目のエアの中のフレーズのアーティキュレーションが、そっくりそのままビオンディもやっていて、偶然の符丁に思わずにんまりとしてしまった。

いや、ささいなことなんだけどね。

| | コメント (0)

2009/05/06

いい感じ

連休最終日の今日はオーケストラ・オン・ピリオド(OPT)の練習だった。今日を入れてあと3回しかないのだ。そろそろ仕上げないと。というわけで今日はコンチェルトは休みでミサとテ・デウムの2曲に集中。

ハイドンのネルソン・ミサはトランペット3本の編成。1stの僕はラケ (BL3) 、2ndのNさんがエガーのクラシカル (S7?) 、3rdのHさんはハイデ (BL4?) 、と3人3様の楽器なのだが、全員完全ナチュラルということで吹いていて気持ちがいい。
OPTとMATの二つでこれだけモーツァルトやハイドンの宗教曲ばかり回数重ねてくると、古典派の曲の吹き方というか合わせ方というか響きの作り方というか、さすがにだんだんコツが分かってきたような感覚がある。もちろんまだ音を外したり音程が合わなかったりとか未熟なところはあるんだけれど。

むしろモダン楽器で演奏して、と言われるとかえって吹き方が分からなかったりするんじゃないだろうか。それくらい馴染んできたということか。

今日やってみて、僕の課題は上のA(D管のソ)の音。のどを開いていい響きを出すようにしないと、音が高いと思っただけで響きが痩せてしかも変な音程になる。G(ファ)は今回は克服できなかったんで、そこはちょっと目をつぶってもらおう(勝手?)

| | コメント (0)

2009/05/05

コルボ/ローザンヌ ロ短調ミサ

フォル・ジュルネ・ジャポン2日目。
5000人のホールAながら取れた席は指揮者の真後ろ3列目という超かぶりつき。
迂闊なことにローザンヌってひょっとしたらピリオド団体?と思っていたし、舞台上にはバロックティンパニだったのでステージにモダンのファゴットを持った奏者が入場してきたとたんに若干失望。こっちの認識不足がいけないんだけど。

弦楽器はヴィブラート控えめのピリオド演奏を意識した弾き方。管楽器もフルート以外は総じてそういう傾向があったような。かぶりつきだったせいか、コンマスの人の鼻息(合図だよね)がすごくてビビる。

昔は気にならなかったのに、どうしてフルートって野太い音と力強いヴィブラートを好むんだろう、曲に合わないじゃん。しかし、考えてみると僕が初めてトラヴェルソを聴いたときは、どうしてこんなにかそけく頼りない不揃いの音なんだろうって思ったに違いないんだけど、どこかで好みが逆転したんだね。

トランペットは1stがピストンのピッコロ、2ndはシェルツアーみたいなロータリーのピッコロ、3rdはシルキーみたいなピストンD管だった。ラッパの吹き方はすごく好感がもてる。Gratias とDona nobis pacem の34小節目後半にわざとらしい大クレッシェンドがあるのには閉口したけど。

コルボはやはりおじいちゃんなんだけど75歳か、意外に若い。 しかも指揮棒を手にすると元気だ。

コルボの曲作りは基本的に超快速で、キリエ冒頭から早い早い。逆にテンポの速い曲ではゆっくり目だったりする。それはいいんだけど、なぜ最終音に入る前にそれだけ間を空けるの?それからテンポのプロポーションがなくて(クレド最初の2曲とか)すごく面食らう。ソリストについてもアルトの人が若干?なところ(Agnus Deiなど)があって、あちこち気になりだして徐々に気持ちが醒めていってしまった。

公演自体は少なくとも1階席はかなり埋まっていて初日の最終公演とは様相が違った。終演後の受けもよかった。コルボが最初に握手を求めたのはラッパの1番の人だった。お気に入りなんだろうね。それから、ホルンの人も立たせていたけど、彼って入場してきた形跡なかったから(出番なしなのに)後半もずっとステージに座っていたってことなんだろうか。あ、それから3rdオーボエは合唱団員から調達してたのも面白かったね。

昨日はメサイアキャンセルの影響か、1階席でも半分も入ってなかった。席の場所は良くなかったけど自分にとっては昨日のほうが聴きがい(面白み)があったかな。

| | コメント (0)

2009/05/03

演奏会のお知らせ (5/17)

オーケストラ・オン・ピリオド・トウキョウ&東京クラシカル・シンガーズ 
第8回演奏会

テーマ:すごいぞハイドン!

日時:2009年5月17日(日)午後2時開演

場所:浜離宮朝日ホール (都営大江戸線 築地市場駅徒歩3分)

曲目:M. ハイドン テ・デウムMH829、聖十字架のミサMH56
   J. ハイドン トランペット協奏曲、ネルソン・ミサ

演奏:オーケストラ・オン・ピリオド
   東京クラシカル・シンガーズ
   本宮廉子 (Sop) 北條加奈 (Alt) 錦貴之 (Ten) 春日保人 (Bass)

指揮:坂本徹

料金:前売り2000円、当日2500円(全席自由)


今年2009年はフランツ・ヨーゼフ・ハイドン没後200年を記念する年です。「ネルソン・ミサ」は「天地創造」と「四季」の間に作曲された円熟期のミサ。トランペット協奏曲も晩年の作品で、当時の新発明、キイ付きトランペットのために書かれた作品をその復元楽器でお送りします。
弟ミヒャエル・ハイドンは当時教会音楽の大家としてヨーロッパ中にその名は有名でしたが後世には名が残っていません。今回は若き日のアカペラのミサと最晩年のテ・デウムを取り上げます。

キイ・トランペットによるコンチェルトの全曲演奏は大変珍しいと思いますので、ご都合のつく方は是非お越しください。

| | コメント (0)

« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »