曲目解説(ハイドンのトランペット協奏曲)
今日の演奏会のプログラムから転載。
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ハイドンのトランペット協奏曲とキイ・トランペット
ヨーゼフ・ハイドンのトランペット協奏曲といえば古典派のトランペットコンチェルトを代表する曲です。作曲されたのはハイドンの晩年にあたる1796年。すでに104曲におよぶ交響曲も書き終わり、最後の弦楽四重奏曲集やオラトリオやミサなどの大作の創作に取りかかっている集大成の時期でした。協奏曲といえばもう10数年も手がけていません。そんな時期になぜトランペット協奏曲を作曲したかと言えば、ウィーンの宮廷トランペット奏者でハイドンの友人でもあったアントン・ワイディンガーからの依頼があったからです。ただし普通の依頼だったらハイドンの興味は惹かなかったかもしれません。敢えて曲を作ってみようかと思ったのは、おそらくワイディンガーの頼みがその当時発明されたばかりのキイ付きトランペットのためという目新しさがあったからではないでしょうか。それまで自然倍音しか吹くことのできなかったナチュラルトランペットと違い、半音階を自由に出すことができるその楽器の可能性を試してみたいという実験的企みがハイドンの創作意欲をかき立てたに相違ありません。
そうした背景からか、この曲には円熟した作風の中にもハイドンのユーモアやちょっとした裏切りがあちこちに仕組まれているように思われます。冒頭の、あたかもナチュラルトランペットのようなソロの出だしのあと、(ナチュラルでは不可能だった)中低音域の音階で始まる第1主題を提示させる部分。執拗なまでの半音階の繰り返し。ここで終わりかなと思わせておいてまだ曲を続ける偽終止、などなど。当時の聴衆をびっくりしてやろうといういたずら心でしょうか、パパ・ハイドンの面目躍如たるところです。
初演は1800年3月28日、ウィーンのブルグ劇場、アントン・ワイディンガーによる新作のオーガナイズド・トランペットを使用した自主演奏会にて披露されました。作品が出来てから初演までに年月があるのは楽器奏法を手中のものにするのに時間がかかったのと、演奏会を開くための当時の宮廷の煩雑な手続きのためだったようです。満を持して開かれたワイディンガーの試みは成功したのかと言えば、残念ながらそうではなかったようで、お客さんは少なく、共演したソプラノ歌手の状態も酷くて散々な演奏会だったようです。しかしながら1802年にライプチヒに演奏旅行を行った際には大成功をおさめ、彼と彼の新しい楽器は一時期脚光を浴びることになります。
ただ時代は彼には味方しませんでした。オーケストラでは新しく開発されたバルブ式のトランペットが主流を占めるようになり、ワイディンガーの引退と時を合わせるように1840年頃を最後にキイ・トランペットは世の中から姿を消して行きます。まさに金管楽器史においては半世紀しか生き永らえなかった一世代限りの変種という存在になってしまいました。
ハイドンの曲も一旦は忘れ去られてしまいます。しかしながらこの貴重な名曲は20世紀になってブリュッセルで再発見され、以来トランペットのコンチェルトと言えばこの曲、というくらい不動の位置を占めるに至ります。楽器は消えども曲は残りました。今日の演奏会ではその消えた楽器も復活させたいと思います。なにか新しい発見があるかもしれません。
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