ハイドン演奏の謎(どこまで自由なのか?)
もうコンサートは明日に迫ってしまったので、このハイドン演奏の謎シリーズもこのへんで最終にしておこう。
冒頭の無意味に思える(?)伸ばしの音を吹かないのも、トリルを上下どちらからかけるかも、結局奏者に委ねられている問題だ。
そもそも譜面自体にスラーやスタッカートなどのアーティキュレーションやダイナミクスなどが最小限にしか書き込まれてないし(あくまでもこれは自筆譜のこと)、あってもバイオリンとソロとでは同じフレーズなのにスラーの位置が違ったりもしている。これもどう解決するかは奏者の問題となる。
しかし自由度という面で一番大きい問題はやはりカデンツをどうするかだろう。ハイドン自身はカデンツを書いていない。それも道理で、ピアノフォルテのように作曲者の手中にある楽器ならともかく、新種の楽器の聴かせどころをどうするかはそれこそアントン・ワイディンガーに任せるのが一番だっただろうから。
従ってカデンツは奏者の自由に完全に任されている。「完全に?」いや、そんなことはない。ソリストの技術を誇示したり楽器から奏でられる美しさをアピールする場ではあるけれど、あくまでもウィーン古典派のハイドンのスタイルからはみ出してはいけないだろう。他人が作ったのをコピーするのはその意味では安全かもしれない。でも人の好みや得手がそのまま自分に当てはまるとも限らない。できれば自分のカデンツを作るべきだろう。
そういう観点から1楽章最後のカデンツを市販の演奏で聴き比べてみる。
一番多いのはアンドレのコピー(Guy Touvron)か、そのアイデアをパクったもの(Alison Balsom, Tine Thing Helseth, Miroslav Kejmar, Geoffrey Payne)。非常に無難。
それどうなの?と思う演奏は、ShowOffが過ぎたのか、つい手癖が出るのか、エチュードっぽいフレーズが入っているもので、いかにもラッパ吹きらしいし上手なんだけど、スタイルという面からはちょっと首をひねる(Wynton Marsalis, Charles Schlueter, Rolf Smedvig, Gerard Schwarz)。あ、みんなアメリカ人だね。
それに比べ上手に作ってあるのが、Reinhold Friedrich, Niklas Eklund, Jeffrey Segalあたりのように思われる。一方、場外はSergei Nakariakovだね、これは全くのロマン派。どっか他の曲でやってくださいって感じ。
3楽章のカデンツ。これは前半の124小節目。なくてもいいし入れてない演奏も多い(28のうち17はカデンツなし)。逆に入れようと思えば最後の280小節目のGPに入れることも可能(Rolf Smedvig, Geoffrey Payne, Pierre Thibaud)だけど、これは作曲者のGPの意図(だまし)を汲んでないし、スタイルという面でも概ね失敗している。まあ、入れるとしたら前半に短いフレーズをさりげなく、っていうのがセンスいいんじゃないかと思う。
カデンツ以外に音を入れる(つまり装飾などで音を増やす)ことは許されるのだろうか。これは作曲年代を考えると普通に行われていたことではないかと推察される。つまり、即興的に装飾を入れることは問題ないのではないかと思うのだ。ただし、これもあくまでもスタイルが同一で、かつ装飾することでフレーズの効果が引き立つようなものに限るのはいうまでもない。そういう目で見るとリリカルな2楽章は装飾を入れるのに格好の場所なのではないかと思う。しかしながらCDを聴く限りではそうした試みはGerard Schwarz1人のみ。録音ではなくてライヴ演奏ではもう少し実例があるのかもしれないが。
さて、明日の演奏はどんなでしょうか。まずは聴いてのお楽しみ。
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