「心はなぜ不自由なのか」
「心はなぜ不自由なのか」 浜田寿美夫(PHP新書)
著者は奈良女子大学文学部教授。本稿はPHPの「人間学アカデミー」での3回にわたる講義内容を新書に書き下ろしたもの。
第1回講義 取調室のなかで「私」はどこまで自由か
第2回講義 この世の中で「私」はどこまで自由か
第3回講義 「私」はどこまで自由か
初回はいわゆる冤罪、虚偽自白の問題。犯人でもないのに虚偽の自白は取調室という特殊な状況下でどのようなメカニズムでなされるのか、その心理的要因を多くの調査から心理学者の目を通して見直してみたもの。検察や裁判官からの目ではなく犯人に仕立てられた一個人の心理的葛藤(無実なのになぜ落ちるのか)にメスをいれている。普段はすごく遠い出来事のように思うが万一そうなったときは自分もそうなるだろうな、なるほどと思わせる。
筆者は日本の取調べ方法について強く疑問を抱いている。次のような文章まである。
「80年代には、4人の確定死刑囚が再審請求の結果、社会に生還するということがありました。免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件の4件です。そのいずれにも自白はありました。この4人が30年もたって再審請求が認められて娑婆に出てきた。そういう事件が4件も続いたにもかかわらず、なぜそういうことが起きたかのかを国が調査することはなかったのです。
日本という国はまことに恐ろしい国です。聞いたところによりますと、検察庁では反省会を開いたらしいのですが、どうして自分たちは負けたのか、そういう反省会だったというのです。これはとんでもない話だと私は思います。」
確かに。
自分も犯人でなくて捕まえられたらきっと犯行を自白してしまいそうな気がする。この章を読むと。
第2回はガラッと変わって羞恥心という側面から、我々人間がいかに人間関係の網の目に絡み取られていて不自由であるかという問題を論じている。自分の視点、他者の視点、世間の視点、神の視点、いろんな視点を同時に使い分けをしつつ、その分自由度を失っているというわけだ。
最終回は自由を制約する「壁」の問題。「自然の壁」、「生活の壁」、「人間の壁」というわけ方で説明する。現代社会が拝金主義になってるわけだなあと深く納得。
最終的に前の2つの回の話と合体されてうまくまとまった講義となっている。
自分にとっては第1回講義のインパクトが強かったかな。人間とは真に弱いものだということを再認識した一冊だった。
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