ハイドン演奏の謎(上から?下から?)
次にトリルの問題について。
トリルのついた音はソロのパートにはそれほど多くない。が、このトリルを上の音からかけるか、その音からかけるか(これをここでは便宜上「下から」と呼ぶことにする)、という問題がある。
ハイドンに先立つバロックの時代だと基本的にトリルは上からかけるお約束になっている。ところが、ハイドンより少しあとのフンメルやツェルニーの教本には「トリルを上の音からスタートするのはメロディーを損ねるからその音からかけるべきである」との記述がある(フンメル1828、ツェルニー1839など)。
裏返すと19世紀前半は前の(バロックの)演奏慣習が残っていて、それを払拭するためにわざわざフンメルらが新しい主張をしたという捉え方もできる。
トリルがメロディーを損ねるかどうかという視点でいくと、トリルのついた音がどういう位置づけなのかということも併せて考えた方がいい。
実際に楽譜にあたってみると、トリルには2種類あることが分かる。一つはフレーズの終止音の一つ前についている(これをカデンツトリルと呼ぼう)ものでこれが大半だ。もう一つがフレーズの途中についたトリル(ここではメロディートリルと呼ぶ)でこれは実例が少ない。1楽章の60-61小節と、3楽章の249から253小節目までの2カ所。
僕の考えだと、カデンツトリルは「ここで終わりですよ」というお約束を聴き手と共有するために、昔ながらの上からトリルが似合っているように思う。
問題はメロディートリル。3楽章は一音ずつ降りて来るそれぞれの音にトリルがついているので、確かに上からトリルをするよりは下からトリルの方が聞いていて自然だ。1楽章の上昇音型、ここは聴いた感じどちらでもいいように思うし、自分も今までは何となく上からトリルをかけていた。ただ、フンメルらがわざわざそう記述もしているし、当時の新しい考え方も取り入れて、ここは下からトリルを採用するのも面白いかもしれない。
ということで僕の推論は2カ所のみ下からトリルで他は上からトリルというのが適当なのではないかというもの。
さて、市販の演奏はどうだろう。
例の28種類の演奏を聴き比べる。カデンツトリルの代表として1楽章の43小節目を、メロディートリルとして同じく1楽章の60-61小節目を取り上げ、それぞれどう吹いているかを聴いてみた。
カデンツもメロディーも上から・・・22例
カデンツもメロディーも下から・・・ 5例
カデンツ上からメロディ下から・・・ 1例
下からの5つはDon Smithers, Walter Gleisle, Charles Schlueter, Jeffrey Segal, 高橋敦の5人。
そしてたった1人「上から、下から」の組み合わせを選んだのは28の演奏の中では一番古いHelmut Wobishだった。
Wobish (1912-1980) はウィーンフィルの奏者で、初めてこの曲をロングプレイのレコードに録音(1952年)した人でもある。
相場の世界でもそうだけど、少数派でいることは時には快感でもある。
最終結論。やっぱり僕もWobishに倣って「上から、下から」の組み合わせにしよう。
| 固定リンク
「トランペットの話題」カテゴリの記事
- ブラスアンサンブル編曲(ダウランド)(2020.04.23)
- 高音攻略法(2023.07.25)
- ナチュラルトランペットのウォームアップ(動画紹介)(2022.10.22)
- 思いつき話(2022.08.18)
- ラッパ購入遍歴(その2)(2022.06.30)
コメント
ハイドン・トランペット協奏曲のトリルについてですが、補助音から始めるトリル(上からのトリル)が音楽的にふさわしいです。
なぜならば、バロック時代のチェンバロの奏法は上からトリルで、その名残がハイドンの時代にはまだ定着していたからです。
これはチェンバロやバロックヴァイオリンの研究者なら自明です。
主音から始めるトリル(下からのトリル)で演奏されている方や上からと下からのトリルを混在させている方がおられますが、それは好みの問題で演奏されているのだと思います。
フンメルは主音(下から)論者です。
貴台が示されたとおり、1828年にピアノの教則本で「特にピアノの場合にトリルは主要音から始めること」と示しました。
しかし、アントン・ワイディンガーは主音論者ではない可能性が高いです。
なので、補助音から始めるのが正しいと考えられます。
投稿: Morley | 2019/01/13 00:42
コメントありがとうございます。
トリルを主音から始めるか補助音から始めるか、についてはバロック時代にあっても場所と時代で好みが分かれていたようですね。ただハイドンの時代のドイツオーストリアでは、おっしゃる通り補助音から始めるのが主流のようですね。
話は少しそれますが、この記事はもう10年も前に書いたものですが、今でも時々ご覧になられる方がいらっしゃいます。同じ疑問を持たれたトランペット奏者がそれなりにいるのか、検索に引っかかりやすいタイトルだったのか(多分後者だと思いますが)不明ですが、文章を起こした者としてはとてもありがたく思っています。
投稿: PHIL | 2019/01/13 10:01
たぶん、同じ疑問を持って貴台のサイトにアクセスされるのだと思います。
貴台のサイトを読んで、貴台の意見も一理あると思いました。
ただハイドンの時代のオーストリアでは上からトリルが『基本』です。
あくまでも基本ですので、どうしてもというのであれば好みの問題で変えていただいても問題ありません。
ちなみに、ギュトラーのトリルは「上昇音形に対しては上から、下降音形に対しては下から」です。
アンドレは、最初の上の音を少し長めにおいてからトリルを始めます。
ティーネ・シング・ヘルセットのように最近の人は溜めてからトリルをする人が多いですね。
投稿: Morley | 2019/01/13 21:45
ギュトラーのトリルは「上昇音形に対しては上から、下降音形に対しては下から」についてですが、要は「前の音が一音上でない場合には上から、前の音が一音上のときは下から」ということです。
難しく書きすぎていました。
申し訳ありません。
投稿: Morley | 2019/01/16 01:53