地震の日
最初の揺れがきたとき、実は会社のトイレの個室にいた。
慌ててトイレを出て、窓のそとをみると隣のビルの上にある鉄塔とかグラグラ揺れている。歩くのに苦労したけど、ゆっくり自分のデスクに戻るとみんなヘルメットかぶって机の下に避難していた。マーケットの引け際だったから日本株のトレーダーは頑張って机にしがみつきながらもトレードしてた。(えらい)
モニターを見ると日経平均はごんごん下がっている。
「とりあえず売るものは全部売り切りましたよ」と彼から報告。ご苦労様。
バックオフィスの同僚と今日の処理ができるかどうか、できなかったらどうするかなどを確認。
ブローカーのいくつかから「避難命令が出たのでオフィスから出ます」とのメールをもらう。G○やS○Bなどは高層(40階以上)だからめちゃくちゃ揺れたに違いない。エレベーターが使えないとしたら避難も大変だろう。
僕の隣の子も「揺れて気持ち悪いんですけど」とグロッキーぎみ。
債券の引け値取引が完了できるのか、なかなか確認できなかったけれど、ちゃんと引け値がでたので処理はできた。日本株は避難した業者(NとM)が取引確認できなかったけれど、最終的にN社は戻ってきて約定確認完了、対してMは戻って来ない。これって日系と外資系の違いなのか?
会社から部員の安否確認をしろとの指令あり。育児休暇のOさんはメールでほどなく確認できたけど、休暇中のIさんからはなかなか返事がこない。結局3時間後くらいに連絡がとれた。会社から10km以内、徒歩2時間で帰れる人は自己判断で帰宅してよしとの許可あり、会社にいる部員で対象となるのは5人のうちTさんだけ。対象外だけれど浦和のSさんは旦那と落ち合って帰りますとのことで、その2人は先に退社してもらった。
自宅までの距離を調べたら15.8km、徒歩で3時間15分とでた。我孫子のUさん(友人と茅場町のビジネスホテルに泊まるとか)と横須賀のSさんを残して7時20分くらいに会社をあとにして家をめざす。
外に出ると大勢のひとが歩いている。タクシー乗り場に長蛇の列、この人たちがタクシーに乗れるのはいつのことやら。路線バスは意外とすいている。
iPodでロ短調ミサ曲を聴きながら、永代通りから葛西橋通りをめざして浦安にまっすぐ急ぎ足で帰る。途中江戸川橋(葛西橋)が距離もあり、風も強くて寒く、歩道も狭くて一番難儀した。万一この橋が崩壊したら絶対徒歩では帰れないね。一方道路は始終ひどい渋滞でノロノロ運転、歩いた方が早いくらいだ。
家から携帯メールはいくつか受信しているものの、出したメールはぜんぜん届いてないらしい。浦安橋の前で空いている公衆電話を見つけたので家に電話をかける。公衆電話は無料になっていると聞いていたが確かにお金を入れなくてもかかるし確実につながった。
予定通り3時間ほどで浦安市内に入る。旧市街は普通だったが新市街に入るにつれ徐々に液状化のせいで足元が悪くなってくる。高速湾岸道路を渡ったあたりから泥と水たまりがひどいところが増えた。
途中いつもは空いているセブンイレブンに寄って水やカップ麺を買おうと思ったけどこの店ですらもうほとんどものがなかった。ビールは結構あったけど飲む気分でもないし、結局なにも買わず。
妻から水が出なくてトイレに困っていると聞いていたので帰宅途中で立ちションすませて10時半頃帰宅した。ちょうどロ短調ミサを2回聴き終えたところ。会社に電話連絡。最終的にうちの部では横須賀のSさんだけ泊まりのようだ。他の部では結構残っている人も多いとのこと。
テレビやインターネットで地震と津波の被害状況を見る。全く悲惨なことになっていることに衝撃を受ける。それでも歩き疲れたからか12時過ぎに就寝。
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