課題終了
やっと読み終わった。
半藤一利:「昭和史1926-1945」
「昭和史 戦後篇1945-1989」(平凡社ライブラリー)
本来は8月中に読み終わろうと思っていたのだけれど、ここまでずれこんだ理由は2つ。一つは戦後篇になってから政治談義が増えてきたこと。この人はジャーナリストだったからなのか、政治の話、しかもどの首相がどうだったとか権力抗争がどうこうとかの話になると筆が滑るというのか、当方はあまり面白く読めなかったこと。もう一つはこの本のせいではないんだけれど、途中から別の小説を平行して読み始めたこと。これについてはあとで触れよう。
読み終わって改めて戦前の日本についてあまりに知らなかったなあと痛感。それからいくら歴史に学んでもやっぱり変わらないものは変わらないものだってこと。
戦前篇の最後に戦争へ突入していった歴史の反省点がいくつかまとめてある(503頁以降)。曰く、
1. 国民的熱狂を作ってはいけない。その国民的熱狂に流されてしまってはいけない
2. 最大の危機において日本人は抽象的な観念論を非常に好み、具体的な理性的な方法論を全く検討しようとしない
3. 日本型のタコツボ社会における小集団主義の弊害がある
4. 国際社会のなかの日本の位置づけを客観的に把握していなかった
5. 何かことが起こった時に、対症療法的な、すぐに成果を求める短兵急な発想がある
これらはなにも戦前に限ったことではなく、今でも通用する耳の痛い警告だ。なにしろ「起こって困るようなことは起こらないことにする」という発想がいけないのは最近の例を引くまでもない。
というわけで、次に平行して読んでいた小説のことを書こう。
真山仁:「ベイジン」(幻冬社文庫)
この人の小説では「ハゲタカ」の方が有名かもしれない。北京オリンピックを控えた中国を舞台に原子力発電所の建設を巡るドラマを描いたこの小説が2008年に書かれていたとはすごい。いや、すごいというより、「なんだ、原発はこういう決定的なウィークポイントがあるんだね」ということが小説家ですらわかっていたんだ、ということ。ましてや専門家をや。想定外でもなんでもないんだよね。
なぜ中国を舞台に書いたのか、という質問にこの作家は「日本を舞台にしたら差し障りがあるから書けない」と答えたとも聞いた。中国だから虚構として描けるということなんだそうだ。こういう風に警鐘を鳴らすやり方もあるんだね。
一方、原子力発電所がいかに精巧緻密なものなのかについても勉強になった。どこまで正確なのかはわからないけれど。
ちなみに中国で合弁事業をやるとどういう問題に直面するのか併せて分かったこともあり、いろんな意味で勉強になった。
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