いっぱいいっぱいではダメ
先日のロ短調ミサ演奏会の打ち上げの席でマエストロに次のように言われた。
「ピリオドのオケと一緒にやるのは今度がまだ2回目だし、またいっぱい勉強になった。それで結局思ったのは俺がいろいろ言うよりも皆さんに任せた方が結果いいんじゃないかと。ほんとに毎晩リハが終わってから考え込んだ4日間だった」
うーむ、どのように解釈したものか。
普段主に古楽を演奏している人たちへの遠慮なのかもしれない。
が、僕らラッパに関してはつまるところ僕らが指揮者の期待に応えることができなかったということなんだよね。
振り返ってみると、自分の場合、別にモダンの指揮者に限らず、マエストロから「こうやって欲しい」と注文がついた時にその効果をうまく出せたためしが少ない。意図が汲み取れていないというよりは不自然な吹き方になってしまってその効果を出す以前に自滅してしまっている場合が多いような気がする。
ことにロ短調ミサのように難易度が高い曲になると、自分が演奏に乗れるかどうかが一番の勝負どころで、さらに余計な(失礼)味付けをする余裕が持ててないのだ。本来ならば曲を自家薬籠中にしておき、「さあ、いかようにでもさばいてください」とシェフの前でまな板に乗ってなきゃいけないのに。
比べるのもおこがましいが、世界のベルリンフィルはきっとそういう境地なんだろうな。だから指揮者のどんな要求にも応えることができるし、凡庸な指揮者にとっては恐怖の指揮台になるのだろう。
音が出せる→曲が吹ける→自在に吹ける
まだ2番目のステージにすら立てていない。
ラーニングカーブがなだらかになる分、ここから先の世界ははるかに遠い道のりのように見える。
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