文章とリズム
「小沢征爾さんと、音楽について話をする」小沢征爾X村上春樹(新潮社)読了
まず村上春樹の(クラシック)音楽に対する造詣の深さに驚く。単に知識があるというだけではなく音楽をその優れた感性で本質から捉えようとするその姿勢が極めて上質の音楽ファンという印象を与える。氏は楽器も演奏しないし譜面も読めないと書いているけどそういうことは一切関係ないんだね。
小沢征爾のキャリアについても「やっぱりすごいんだね、この人」と思ってしまった。特にファンというわけではなかったからちょっと新鮮。
対話の中で一番面白かったのは、本章の合間にインターリュードとして差し挟まれている「文章と音楽との関係」(P129から)のところ。ちょっと長くなるが引用すると、
村上「小説を書いていると、だんだん自然に耳がよくなってくるんじゃないかな。逆の言い方をすると、音楽的な耳を持ってないと、文章ってうまく書けないんです。だから、音楽を聴くことで文章がよくなり、文章をよくしていくことで、音楽がうまく聴けるようになってくるということはあると思うんです。両方向から相互的に。」(中略)
村上「それで、いちばん何が大事かっていうと、リズムですよね。文章にリズムがないと、そんなもの誰も読まないんです。前に前にと読み手を送っていく内在的な律動感というか……。」
なるほど。そういう風には捉えてなかったけれど、すとんと腑に落ちる。言葉にリズムの良し悪しがあるのは理解していたけど文章そのものもね。読みやすい文章となかなか読み進みづらい文章があるのはそのせいか。
例えば自分で書いた文章でもそうだ。書きたいことを一気に書いた文章は荒削りだけれどなんか勢いがある。後で読み返して推敲すると、確かにあらは無くなるけど説明書きが長くなったりして却ってアクセントも一緒になくなったりする。センテンスを入れ替えたりの構成とかも同様。
最近(関心はあるのに)どう頑張っても読了できない本があって、それは翻訳のせいだろうと思っていたんだけれど、ひょっとするとリズムも良くなかったのかもしれない。
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コメント
ヤマシャクヤクです。お久しぶりです。
今回は文章について書かれていますので、年末には少し間がありますが、この1年間拝見いたしました感想を一言、申し上げます。
最初は古楽やコルネットの記事を拝見するつもりでしたが、気がつけば今年も全ての記事を読ませていただきました。簡潔で親しみやすい文体、そして文章の組み立てなど、素晴らしく思います。
白眉は『形見』でした。また、演奏法をいろいろ工夫されたホルンに関しても興味深く拝見しました。
今後、ますますの情報発信を期待申し上げます。
投稿: ヤマシャクヤク | 2011/12/17 00:22