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2012/01/22

尺度

なにをすごいと思うか。

かっては、

・高くて
・大きくて
・正確で速い

演奏を聴くと「すごい」と思っていた。オリンピックみたい。

先日のN響のマーラー8番を観ながら、そういえば自分がシンフォニーオケにいた時はそうだったなあと。

すごさは数値で測れるものではないし、ましてやオリンピックみたいに人に勝つことが目標でもない。

ネットでナチュラルトランペットの演奏に対するコメントを見てると、音程の悪さ(平均律じゃないこと)やミストーンの存在をもって、その演奏がまるで無価値であるとか音楽を台無しにしているとかの批判が散見される。それらのネガティブ要因はもちろん演奏者自体も意図しないものだから修行によって完璧に近づける努力をするわけだけれど、それらを差し引いてもあまるメリット(良さ)の部分にも気がついて欲しいなあと、ネガティブコメントに遭遇するたびに残念に思っている。

例えば最近某所で聴いたバッハのロ短調ミサでは1st TrpがB管のピッコロ、2nd TrpがA管のピッコロ、3rd Trp がD管のピストントランペット、ティンパニはモダンティンパニにフェルトのマレットを使っていた。この組み合わせだとそれぞれの調性が違うからコードを合わせるのはかなり難しい。現にラッパが登場するとオケの中で(いい意味でなく)目立っていたし、音が浮いているように聴こえた。残念ながら作曲者や当時の聴衆が期待していた神の楽器トランペットの「高貴な」響きや和音からは遠いもののように感じられた。

なにも無理矢理ナチュラルトランペットで演奏することが唯一の解決法ではないけれど、モダン楽器ならば安易にピッコロに頼ることなく、3本ともD管で演奏する(それは1st奏者に高音域で高度な演奏を要求することになるが)とか、少なくとも調性を相性のいいものにするなど、他のチャレンジ方法があるのではないだろうか。ヘンデルのメサイアでの楽器選択も同様のことが言える。

奏者自身が「何を求めるか」によってアプローチの仕方が変わってくるんではないかと思うし、その方向が間違ってなければいずれ聴衆の賛同も徐々に得られてくるのではないかと思う。

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