9月のランニング結果
9月の結果
回数 20回
距離 123km
時間 11時間7分
平均 5分25秒/キロ
だいたいのんびり走るとキロあたり5分50秒、がんばって走るとキロ5分ちょうど、それで平均5'25"で落ち着いてきた感じ。8月は平均5'35"だったから少しは早くなったことになる。
今月の途中からはなるべく時間を気にせず、走っているときの姿勢とか重心とかに気をつけることにした。
まずは故障しないように無理せず走り続けるようにしよう。
9月の結果
回数 20回
距離 123km
時間 11時間7分
平均 5分25秒/キロ
だいたいのんびり走るとキロあたり5分50秒、がんばって走るとキロ5分ちょうど、それで平均5'25"で落ち着いてきた感じ。8月は平均5'35"だったから少しは早くなったことになる。
今月の途中からはなるべく時間を気にせず、走っているときの姿勢とか重心とかに気をつけることにした。
まずは故障しないように無理せず走り続けるようにしよう。
今年の自分のブームの一つがメッキかけ。
マウスピースのいくつかに金メッキ、銀メッキをかけてみたところ、見た目がきれいになっただけではなく吹き心地も良くなった(気がする)。
マウスピースでは物足りなくなって手持ちのエッガーのバロックトランペット本体にも銀メッキをかけるようお願いした。
昨日それが納品となった。
これは術前のすがた
で、術後のすがたはこちら
ご覧のとおりのぴっかぴか
先日新宿のオカダヤで調達した紐を巻いてすっかりイメージ一新。
残念だったのはせっかくハイデさんに作ってもらったボール(5つめの写真にちょこっと写っているパーツ)のサイズが合わなかったこと。もっとちゃんと寸法を測ってお願いすべきだったね。ちょっともったいないことをした。
さて、ロ短調ミサの練習をそろそろ本腰いれてやらなきゃ。
「すごいよ、水の不純物」
朝の地下鉄車内。そこそこ混んでいる中に、会話が聴こえてくる。
「その装置がなかったのはあいつらかあ、間違いない
なんでないの?持ってるでしょ。自分でやっちゃうわけ?」
「ほんとにそういうことするんだから、中国最高裁、気持ち悪いんだよなあ。
ほうっておいてもやるよ。」
「出国してません。科学技術者さんたちなのかなあ。
もうほんと関係ないのになんで不純物やるの?」
結構大きい声で周り中に聞こえる。が、内容がちょっとヘン。
一方的にしゃべっているのは女性だが相手の声は聴こえてこない。
声の主の方をみると普通の格好をした中年のおばさん。
あ、話相手がいない。ドアに向いて立ってしゃべってる。
電話なのかと思ったらそうでもない。
うーむ、一人妄想中なのか〜
それにしても周囲の人たちは皆無関心を装っている。
ヘンな人はスルーというわけだ。
と、二駅ほどびっくりしながらそのおばさんを観察してたら、次に止まった駅で車掌さんに注意された。
「お客さん、ここは女性専用車両ですよ」
あ、慌てて飛び乗ったから気がつかなかった。
こっちがヘンなおじさんだったというわけだ。
全く失礼しました。
平穏な日々が続いている。
朝、出勤前にジムに寄って皇居一周。
仕事は前ほど忙しくもなく、かといってヒマを持て余しているわけでもなく。
残業もそれほどせずにすみ、家に帰ってCD聴いたり映画見たり、本読んだりして早めに就寝。(というか遅くまで起きてられない)
必然的に早起きするので起きて楽器の練習などを少しばかり。
時間がきたら身支度をして出勤。
毎日少しづつでも同じことをさらっていると多少なりとも上達しているのが自覚できてうれしい。
それは、技術的なこと、つまり昨日までてこづっていたフレーズがあるときから難なくできるようになったりということもあるし、演奏しているときの余裕ができたり、曲に対する理解や見通しが深まったりとかいうこともある。後者は楽器を持たずともイメージトレーニングで補える部分もあるかもしれないけれど、所詮演奏者だから技術的な前者が進歩してないと頭だけではいかんともしがたいところが大きいのではないかと思う。
つまり、日々練習しなければ上手くはならないっちゅうことだね、平凡な結論だけど。
上達が感じられなくて頭打ちの日々が続くとスランプということになる。ブレイクスルーが見つからないと段々さらうのが億劫になってくる。楽器を手にする頻度が落ちてそのまま負のスパイラルに。というのも良くあるパターン。
そういうことにならないよう工夫しながら練習を続けることにしよう。
昨日新宿に出たついでにタワレコに寄った。新宿店はレイアウト変えがあったようでクラシックのフロアも10階に変わっていた。店内をふらふらとしていたらどうしても目についてしまって結局持ち帰ってしまったCDが これ
60年代のDECCAの金字塔「リング」を含む楽劇が10もまとめて入っている。オンラインの値段の方がちょっと安いのは知っていたけど、現物を見ちゃっちゃあその場で欲しくなる願望を抑えられない。廉価盤ボックスセットにありがちな解説の簡略化とかもなくて、リブレットはCD-ROMで付属しているというありがたさ。
さ、うちに帰ってとっぷりと聴いてやろう、と思いつつ帰宅したら、先日ポチッとしてた ジュリーニとヨッフムのセットものが届いてた。
ヨッフムのセットはベートーヴェン(ロンドン交響楽団)とブラームス(ロンドン・フィル)とブルックナー(ドレスデン・シュターツカペレ)の交響曲が全て入っているお得盤。
なんと3セット合わせて全部でCD72枚!
一日でゲットしたCDの枚数として新記録だなあ。
せこいようだけどそれでも全部で2万円もしない。つまり1枚あたり300円以下。しかも単に安いだけではなく中身も一流。なんか買わないでいるのがむしろ犯罪のような気がするんだけど、それって感覚がおかしいのかな。
これで当分CDは買わなくていいかな、と思いながらネット見てたら、ゲルギーとLSOのマーラー全集が5千円台だって。やばいやばい。
PP:僕はバロック音楽は時流に乗ってると思うんだ。多くの大オーケストラは行き詰まってきているし聴衆は他のものも欲しがってる。音大ではオーケストラの訓練は有益だってことになってるけど、早晩仕事の口もないことに授業を振り向けるべきじゃないと気がつくよ。代わりのものが必要なんだ。イギリスじゃ小さい町にもブラスバンドがあったけど、バロックアンサンブルやバロックオケがそうなるかもしれない。
FH:そうであって欲しいと思うね。
PP:オーストラリアやニュージーランドではそういう需要があるんだ。小さな村でも古楽器をやったりバロックアンサンブルのグループがあったりする。ある意味で代替物、そこじゃ大きなシンフォニーオケをやってくような金はないからね。
FI:小さな町には向いているのかもしれないね。僕は先月こんな経験をしたよ。ツアーでコペンハーゲンとプラハ、そしてパリを回ったんだ、おんなじプログラムでね。プラハは満席だった(しかも大ホール)、パリも完売、でもコペンではー大都市なのにー100人くらいしか入らなかった。アーノンクールが来てもせいぜい200人どまりかなって言ってた。デンマークは高等教育も進んだ国なのにね。古楽はぜんぜんなんだ。それからオーストラリアに飛んでシドニーのオペラハウスで演奏したんだけど、あんなでっかい会場なのにお客さんの入りは6、7割もあったんだ。小さい古楽アンサンブルでも人を引きつけるってことだね。場所によって人気のあるところがあるってこと。ドイツはまちまちだね。ミュンヘンじゃ古楽器を演奏する機会なんてほとんどない、ベルリンは中心地の一つ、ケルンもそう。だけどハンブルグは大きい町なんだけど全然比べ物にならない。多分人気のある場所に集中してそれから活動を大きくしていく方がやりやすいだろうね。
司会:奏者についてはどうでしょうか。ここ数年少なからずの交響楽団の奏者がもうやっていることに飽きてしまったと言っているのを聞きます。昔はマーラーのシンフォニーを演奏するのは特別な機会でしたけれども今やマーラーは飽きるほど取り上げられています。古楽の世界ではどうでしょう?
BB:僕らが飽きるとでも?
FH:飽きることはないね、全く!ナチュラルトランペットを吹くのに飽きることはないよ。
BB:ここではロ短調ミサをやるときに僕らにお声がかかる。で、ハイドンのシンフォニーのときはどっかからキーヴィを持った奏者を連れてきてそいつに吹かせるんだ。我々はやさしい曲じゃ出番がないんだ。もしロ短調だけを年に10回もやるようになったら飽きるかもしれないけどね。
FH:それでも退屈はしないと思うよ。
ET:僕もだ。
FH:あの曲は決して飽きない、いつもエキサイティングなんだ。メサイアはちょっと違うけどね。
司会:概してナチュラルトランペットのための新作というものは作曲されていないか、あってもわずかです。反面、まだ出版されていない作品もたくさんあるし、これから徐々に世の中に出てくると思います。ポール(プランケット)、あなたはさきほど今手がけている手書き譜のことを話していましたよね。これは何か新しいものや変わったものを探そうということなんでしょうか、それとも単にもっと多くの文献を探すということなんでしょうか。
ET:僕はもうそんなことをかれこれ25年もやってきたよ。でも自分の経験から言えることは、それらは売れないってことなんだ。いつもやっている同じ曲をやりたがる、教会でも、コンサートでも何であれ。ドイツだと素晴らしいカンタータをやる機会はあるけど、それでもマタイ受難曲やロ短調ミサをやったほうがもっとたくさんの人が聴きにくる。みんなは知っていて手あかのついた曲を聴きたがるんだ。ベートーヴェンの5番シンドロームみたいなもんだね。なので僕は自分が掘り出して世の中に紹介している曲たちがすごく価値があるんだとは声高に言わないことにしたんだ、多分。でも新しい曲を探しだす、これは面白いよ。僕にとってはバロックのトランペット音楽だろうが1780年頃に書かれた曲だろうが新曲は常に新鮮なんだ。発見することが僕らを動かしているんだけど、世の中の人たちは馴染みのあるものしか欲しがらないんだよね。
PP:バッハのクリスマスオラトリオやロ短調ミサみたいな名曲はやらないって連中を知っているよ。作品を探し当てて、初演かそれに近い曲ばかりやっているんだ。
FH:そんなことをやれるグループはそういないよ、だって客が来ないから。12月にメサイアを10回やってお金を貯めてから人が聴いたことのない曲を集めたプログラムを3回やるって感じじゃないかな。そうしなきゃできないよ。
BB:バレー団体がくるみ割りをやんなきゃいけないみたいにね。
FI:僕に言わせれば、全然知られてなくて出版もされていないけどすごく価値がある曲がまだたくさんあって、かたや世に出されたものの中には印刷される価値のなかったものもたくさんあるんだと思うよ。ケルンにいい友人がいるんだけど、トレルリのコンチェルト全曲やりたいって彼が言いだしてきたときには思わず言ったよ「なぜ?!」40曲くらいある作品のうち、いくつかはやってみる価値あるけど、でも全部じゃないだろう。それから、昨日誰かが言ってたけど(といいながら暗にタールの方を指す)、我々はピリオド楽器の後半の時期(訳者注:19世紀あたりということか)をもっとやるべきだろうね。この「ピリオド楽器」っていう米語は僕らがドイツ語でいう「オリジナル楽器」よりもずっといいね。もちろんモーツァルトのシンフォニーやミサやレクイエムをモダンの弦の中でラッパだけ古い楽器を使って吹くことは可能だし、モダンでやるよりずっといい響きがする。もしモダンオケからレクイエムを頼まれたなら行ってナチュラルで吹くことだね、その方がいいから。だけど、シューマンやシューベルト、メンデルスゾーン、ブラームス、ワーグナーなんかはどうだろう。実は2年前にいいコンサートがあって、それはワーグナーの序曲、シューマンのピアノコンチェルト、そしてメンデルスゾーンの真夏の夜の夢をピリオド楽器でやるっていうものだった。ワーグナーはそれが初演されたときの人数、51人でやったんだ。僕はワーグナーをやるのはそれが初めてだったけど、あれは素敵な音楽だね!僕らはナチュラルとバルブを持ち替えて演奏した。最初の練習の時に楽譜に書かれているようにフォルテッシモで演奏したんだ、すると指揮者から言われたよ。ワーグナーの手紙があってね、それには最初のコンサートの後に彼は全部のダイナミックスを書き換えなくちゃいけなかった、なにせあまりに音が大きすぎたから、と書いてあるそうだ。練習とコンサートが終わった後に誰かが言ってたよ、これだとオペラ全曲をモーツァルト歌手でできるねって。シルヴィア・マクネアー(ドイツのリリックソプラノ)にゼンタをやってもらえる。いわゆるワーグナー歌手はいらないし、バロックやクラシカルの弦楽器が使えるんだ。イギリスじゃこういう試みがもう始まってるみたいだけどね。でもほんとワーグナーの楽劇全部をピリオド楽器の小さいオケでやるっていうのはやってみる価値があると思うよ。バイロイトはもともと小さなオケを想定して造られたんだ。それで後からもっとオケピットに人をいれなくちゃというので何度も改装されてきたんだよ。同じことがトランペットのソロの曲についても言える。古典派やロマン派のレパートリーですら全く新しい音楽になるんだ。弦楽器がビブラートをかけるようになったのは1900年頃のクライスラーの発明だってことは知ってるよね。それまではああいうスタイルのビブラートはなかった。僕は昔チェロをやってたことあるけど、僕の先生はスチール弦じゃなくてガット弦使ってたしなあ、それは50年代とか60年代の話だよ、100年前とかの話じゃなくてさ。
FH:それがシンフォニーオーケストラで将来的に融合するって方向はあるかもしれないね。もしストラヴィンスキー以降の音楽に100人必要だとしたら、オケは130人くらい雇うんだ。その中にはバロックや古典派だけを専門に演奏するメンバーもいて、何人かはクロスオーバーしていて、それから現代楽器だけやるのもいる。もしこんなふうになったらモダンのオケでも古楽のビジネスを共有することができるよね。
BB:何年か前に君が今言ったようなことを書いた記事があったよ。要するに、モダンのオケはバロックのレパートリーを失ってしまったと。やれば笑われるだけだもんね。そして今や古典派のレパートリーも失いつつある。近い将来は、その記事によると、オケがバロックや古典はピリオド楽器の奏者で、ストラヴィンスキーなんかの現代ものをやるときはモダン楽器の奏者で、っていうふうにやんなきゃいけなくなるともっとたくさん雇わなくちゃいけないだろうってさ。
司会:あるいはそのどちらも出来る奏者を見つけてくるかですね。シカゴ交響楽団にはモダンもピリオド楽器もどちらも演奏できる奏者が何人かいますね。
FH:まあ、でもまだ始まってはいないね。そんな兆しも見えないし。
BB:そんな成り行きにはさせたくもないだろうしね。
FI:最近ベルリンフィルのメンバーがバロック音楽をピリオド楽器でやったコンサートがあったって聞いたよ。信じられないよね。あのカリスマ老人が死んでからベルリンフィルは本当に変わったよ。コンサートマスターの一人は腕のいいバロックバイオリン弾きだしね。今やそんなこともできる時代になったんだ。
PP:もちろんビブラートなしでね。。
(この稿終わり)
BB:ここ(アメリカ)では小さいグループで始めることが多いね。教会とかでピリオド楽器を演奏してくれっていう依頼があるけど、でも彼らが聞き覚えのあるのはイギリスの録音だから、そういった音を期待しているよね。完璧じゃないのはいやなんだ。ある夕食会のとき、そういった類いの指揮者が僕に訊いてきたことがあったよ。「ちっちゃいトランペットで演奏するっていうのはありかなあ?つまりピリオド楽器と一緒に演奏出来るかということなんだけど」彼らは実際ニューヨークでそれをやっていたね。モダン楽器奏者を雇ってピッコロトランペットで半音下げて吹かせてたんだ。そんなことよくあるよ。
ET:それが聴きたかったものだったってこと?
BB:そう、その音が欲しかったんだろうさ。
FI:ドイツはバロック音楽をやったりピリオド楽器をやるにはいい場所なんだけど、それでも古楽の盛んなケルンですら学ぶところはないんだ。音楽大学にナチュラルトランペットの授業はない。僕はそこで11年間教えているけど正式にはモダン楽器の教師ということになってる。ベルギーの子でナチュラルトランペットを勉強したいって生徒がいたんだけどケルンじゃ教えられないんだ。
BB:ここでも勉強出来ないのは同じだよ。
FH:今日午前の部にモダン楽器とピリオド楽器っていう議論があったよね。ニューイングランド音楽院じゃ、もしナチュラルトランペットを勉強したかったら副科としてとるしかないんだ。他の楽器がメインでね。
BB:例えばフルートとトランペットとかみたいな。。
FH:そう。例えば2人くらいの生徒がここでバロックトランペットを専攻できますか?と聞くとするだろ。すると学校の返答はイエス、「でも別途費用が何千ドルかかかりますよ」。「じゃあやめた」ってことになっちゃう。実は僕も二人生徒を教えてたことがあって、彼らはチャーリー・シュレーターと半々に習ってたけど、そんな生徒は多くないね。
ET:それは知らなかったな。そんな状況を変えるには何ができるだろうか?
BB:一人のプレーヤーがあちこちで教えているわけじゃないよね。僕が始めたのは84年だったけど、そのときに古楽科があったのはニューイングランドだけだった。僕の先生だったレイ・メイズがロ短調ミサを一緒にレコーディングしたっていうので僕はフレッド(ホルムグレン)のことを知ってたんだ。僕はニューイングランドに電話して、そちらに入学してトランペットをフレッドから学びたいんだけどと言った。彼らはフレッドを雇うことになったんだけど、それでも僕についてはどう取り扱ったら良いのか分かってなかったな。
FI:そこが問題なんだよな。先週もニューヨークで演奏してたんだけど、ニューヨークとボストンの間にある音楽学校の先生(トランペットではなかった)が訪ねてきてこう訊くんだ。今2人学生がいてもう2人増えるんだけれど彼らがナチュラルトランペットを勉強したいと言っている、で、どの楽器を買うべきだろうかと。だから僕は大事なのは楽器を選ぶことじゃなくて先生を探すことでしょって答えたんだ。だって僕が気に入る楽器をその先生が気に入らなかったら意味ないし。。すると彼はびっくりして「先生を探すですって?!」。でもこれはドイツでも全くおんなじで、だから僕がアムステルダムで教えているってわけなんだけどね。
BB:この国じゃ僕らのような者が教える仕事につくのは無理なんだ、っていうのも僕らをただ単にナチュラルトランペットを教えられるだけっていうふうに考えて後回しにされるし、そもそも興味がないんだな。それでその代わりに吹けないけどどっかのDMA(音楽博士)を持ったやつを雇うんだ。
FH:博士って肩書きはここじゃすごい重要なんだ。持ってなかった日には。。
BB:履歴書は後回しにされる。。
FH:いや、見もしないと思うよ。何をやったかは関係なくて去年どんな紙(賞状)をとったかが大事なんだ、どこからもらったかは関係なくね。負け惜しみみたいに聞こえるだろうけど、それはこの国の教育システムがどうなっているか本当に知らないからなんだ。つまり、何が起こっているかというと、教育現場にとっては、もうすでに実績のある人がある意味で恐いんだね、彼らの立場を脅かす存在だから。
ET:それは時間の問題だと思うよ。なぜなら古楽でどんどん仕事が増えてきたらマーケットの要請で音楽教育システムにも人を育てなきゃというニーズがでてくるから。
BB:学生がモダン楽器で仕事をする場が尽きてきたら何か代わりのことをやらなくちゃいけなくなるかもね。
ET:それはイギリスで起こっていることだよ。連中はどんな楽器でも吹けるように教育している、っていうのもそういう仕事があるからっていう理由でね。
司会:でもここには仕事があるとは思えないですね。
FH:仕事はむしろ減っているね。10年前とか、いや7、8年前とかはニューヨークで2ヶ月分の仕事があって、、シカゴで2つバンドが、、でスミソニアンでも、、っていう感じで仕事があったけど、今やすっかりなくなってる。40才以下の世代でコンサートに通う人は減っちゃったし、音大へ進んで昔の楽器を学んでやろうという生徒も減ったね。
ET:それは前にも聞いたな。誰かがいってたよ、客席を見渡せば白髪ばっかりだって。
FH:それにはいろんな理由があるけど全部長期的なものだよ。こういう現状をみて直そうと思っても学校教育までさかのぼって何が大事だと教えられているか見なくちゃ。芸術が大事だって思われなきゃ誰もサポートしないよ。
ET:それは今この現代ばかげている議論だと思うね。だってすでに人間の発達には右脳と左脳のどちらも必要で論理的思考には芸術的サイドからの働きかけが役立つってことが分かっているんだから。
FH:こういう音楽に対する助成金を担当する政府のやつらが分かってないんだよなあ。
PP:間違ってるかもしれないけど、バロックトランペットのレッスンに別に支払わなきゃいけないのは逆に有利なことなんじゃないの?だって仕事の口をつくっているんだし。ナチュラルトランペットをトランペット学習の一部とはとらえてないんだよね。だからそのうち「これからバロックトランペット演奏に真面目に取り組むから講座を一つ作らないと」ってことになるかもね。
BB:そんなことにはならないね。連中は誰かバロックトランペットを持っててファンティーニのソナタの半分しかまともに吹けないようなやつを雇うだろうさ。ここはそういう国なんだ、ナチュラルトランペット奏者は雇われない。
PP:でもラッパ吹きはどんどん利口になっていってるよ。学生がきて「ここのアーティキュレーションはどうやるんですか?」とか「ここのトリルはどうかけるのがいいんでしょうか?」とか訊いてくるようになれば誰か専門家が教えるしかないでしょう。それは古楽科の担当であってトランペット科じゃ手に負えない。
FH:それは一理あるし、そうあって欲しいと僕も思うけど、でもここはそうじゃないんだ。
司会:これだけいろいろ良い楽器を選べるようになったことは演奏に影響していますか?補正孔のあるなしについていろいろ議論してはいるものの、結局皆さん孔付きの楽器を演奏しているのはやはり音をはずすと次は雇ってくれないからというのもあるのではないでしょうか。これは正しいか間違ってるかとかいい悪いの問題ではないように思うのですが。
ET:補正孔はオットー・スタインコップがその偉大なアイデアを開発した時代にはある問題解決の必要に迫られてのことだったんだ。だからこそウォルター・ホリーがそれを使って演奏を開始し、今我々がバロックトランペットを手にしているというわけだ。もし今また別の勇気ある奴が勇敢にも本当はこうだったんだって別のことにチャレンジするならそれはそれでいいことだし、それもまたそういう必要があるからだと思う。つまりそこにモラルの問題とかはないよ。
FI:ある古参のリコーダー奏者、いわゆる第一次世代に属する人ね、その人が言ってたけど、彼が30年前にブランデンブルグの4番を演奏し始めた頃はそれを吹けるやつはそんなにいなかった。だけど、今や音楽学校の入試に使われるくらいだって。ナチュラルトランペットにも同じことが言えると思うね。僕が始めたときは、先生はウォルター・ホリーだったけど、彼がホントにナチュラルトランペットを吹き始めた最初の人だったからね。3年くらいたまに一緒に仕事をしたけど、一緒にナチュラルを吹いたのは一回きりだったよ。彼の演奏スタイルにいつも賛成するってわけでもなかった。トランペットの歴史については素晴らしい講義をしてくれたけどバロックトランペットの演奏については話し合ったことはなかった。これは今の学生も同じじゃないかな。彼らは良くなってるよ。次の世代は我々よりも良くなるだろう。ナチュラルトランペットは古い楽器だけど、まだすごく若い楽器でもある。だって最初の人が吹いたのはたったの35年とか40年前なんだよ。現代においてはまだ始まったばかりだ。奏者はだんだん良くなってきている、だからここにこれだけ人がいるわけなんだけどね。これからまだまだ増える。我々はドイツでは教会音楽という伝統がある。最初にロ短調ミサをやったのは17,18年くらい前かなあ、とにかくそれは特別なことだった。それを吹ける人も少なかったし。。
ET:僕にとっても特別だったよ。
FI:多分今は教会で演奏されるオラトリオの半分はピリオド楽器によるものだと思う、ケルンでも他のドイツの都市でも。それはピリオド楽器の奏者が増えたこともあるし初期のころよりも演奏水準も上がったからなんだ。
ET:で、ギャラは安くなってる!(一同大きく賛同)
FI:普通になったってことだね、もう特別なことじゃないんだ。
司会:ここアメリカではまだ状況はそこまでいってないように思います。フレッドとバリーが一緒に始めたのが最初で以来あまり新しい人が出てきていません。アメリカだとこの楽器をやる人はちょっと変わっていると思われるようで。
BB:あるいは狂っているとかね
FH:ほんとヨーロッパみたいに一般的じゃないよね。
ET:なるほど。でも10年前だったら我々も変わり者と思われてたよ。バーゼルのスコラで同じ屋根の下にあっても、スコラと音大とはまったく交流はなかったもんね。でもこの数年で変わってきたんだ。(コンフォルツィにむかって)君がスコラで勉強してた時だれが音大の学生を知っていたかい?
IC:いいえ。僕が孔なしの楽器を始めた頃には無茶だと思われていました。80年から85年の間のころです。孔なしの楽器を練習していると、よく「なさけない演奏だなあ、全然吹けてないじゃないか」と人に言われたものです。モダンの側からの知り合いというのはほとんどいませんでしたね。
司会:イタリアの現状はどうですか?私たちはあなたとガブリエル・カッソーネのことは知っているけれど。今では他に多くのナチュラル奏者が出てきていますか?
IC:ええ、ほかにもいます。でも問題はサポートがないことなんですよ。オリジナル楽器を演奏する機会もないし、オーケストラもないし。
ET:、、つまり充分な仕事がないと、、
IC:サポートが全くないんです。いろんな提案をしてみました。でも答えはいつも一緒で「うん、なかなか面白いアイデアだね、でも予算がないんだよ」と言われてしまう。これを4、5回も繰り返したらいくらなんでもやる気を失ってしまいます。
司会:メーカーは良くなっていると思いますか。皆さんが望むものに近くなっていますか?
ET:昔と同じくらい良い楽器を作れるメーカーが今はあるね。もちろん僕らが昔の楽器を吹いても現代人には昔の人たちが聴いたのとは違って聴こえると思うんだけど。というのも理由が2つあって、1つにはワーグナーやシュトラウスやストラヴィンスキーなどを聴いてしまっている我々の耳が変わったということがあるし、もう1つは金属の構造が変化しているということがある。経年変化で金属のヒビが広がって深みのない音になっていると思う。だから例えば、1732年にはトランペットはこう響いたんだ、ということが言えなくなっている。でも少なくとも歴史的な楽器を試してみることで、何が良い楽器で何が良くない楽器なのかということのヒントは得られると思うよ。楽器を吹いたことのない博物館の人たちには楽器の善し悪しを判断できないと思うし、僕らプレーヤーとしての体験が楽器の品質について何か言えるんじゃないだろうか。
EH:もう一つ疑問に思っているのは、まだ自分自身満足な答えがないんだけど、新品の楽器が半年とか1年すると音が変わるのは果たしていろんなパーツの組み合わせがしっくりくるからなんだろうかということ。楽器の組み立てがゆるやかなのと、モダンの楽器みたいに全部をしっかりとハンダ付けするのとでは出てくる音が全然違うと思う。継ぎ目が変わるとその結果空気の流れ方もいくぶん変わってくる。この点もまだちゃんと調べられてないと思うよ。バークレイの(作った)トランペットなんか良い例だけどしばらく経つと変わってくるんだ。あったまってくると響きは変わるし、6ヶ月使わないでいるとまた違うし。
FT:もちろんしばらく使っていると管の中にさびとかゴミもたまるだろうしね。
FI:北ドイツのオルガンビルダーが言ってたけど、400年とか500年も昔に作られたオルガンでパイプも組み込まれて年数が経っているものは高音域よりも低音域により注意を払うそうだ。低い音のパイプはより重くなるのでまったく違った音になる。これはトランペットにもいえるんじゃないか。昨日マドルフが言っていたように、穴なしの楽器で練習してると楽器の方が変わると。何週間か何ヶ月か経つと、穴なしでも最初の頃よりは吹きやすくなっている。金属が変化したからと言ってもいいかもしれない、金属は死んでないってことだね。
司会:やはりプレーヤーとメーカーの協力が必要そうですね。それにしても学際的になってきていると思いませんか?我々よりも音響学者や金属工学者の方がこうした質問に答えるにはふさわしそうですね。とりあえずそうした研究者でプレーヤーやメーカーに深くかかわっている人は知りませんが、彼らからの情報も必要ですね。
ET:多分この手の質問に答えるのはオーケーだと思うよ。でも楽器メーカーがそこまでの知識を必要とするのかどうかはわからない。ボブ・バークレイが今朝言ってたけど今使われてる70/30の真鍮(70%の銅、30%の亜鉛という意味)は昔の真鍮と同じなんだそうだ。昔の真鍮にはやや不純物が多かったみたいだけど、あんまりそればっかり取り沙汰するのもどうかと思うって。
FH:真鍮の不純率とか鉛のこととかにあんまりこだわり始めると、何がない、あれがないっていって議論が袋小路にはいっちゃうよ。最初からなかったんだし、そんなに違わないって。楽器についてそういう議論を積み重ねていくと、これがこっちにこう影響してとかあれがそっちにこう作用してとかいう話ばっかりになる。一時に一つのことばかり着目するのは危険だし多少のギャップには目をつぶった方がいいと思うよ。
BB:ヤマハがそこらへんの(真鍮を経年変化させる)テストをやってるって聞いたけど。つまりどれくらいがほど良いかを調べて、いかに人工的に早くその状態にもっていけるかっていう。
司会:最近は楽器をすごい低温まで冷やすという方法があるそうですね。話を聞かれたことはありますか?あるいは自分の楽器で試したことがあるとか。
BB:F管トランペットを凍らせたって人を知っているよ。すごく良かったと言ってる。
FI:凍らせたって?
FH:氷点下300度くらいまで冷やすんだ。そしてゆっくりと常温に戻す。ただ単に楽器を冷やした後ベンチに置いておくってわけにはいかない。ある決められたやり方で徐々に温度を上げていく、これはあっためるのと同じで金属の粒子構造をストレスから解放させながら変化させていくってわけ。金属を曲げたり凹みを直したりとか、支柱をハンダ付けしたりするときに支柱の回りの部分の構造は変わるでしょう、なぜならそこだけ柔らかくして他の部分は固いままとかいう状態になるわけだから。でもこのやり方は楽器にハンダ付けの部分があったらできないよ、ハンダが溶けちゃうからね。だから焼きなましはできない。ともかく冷却することで実は焼きなましをしたことと同じ効果が得られるんだ。理論的にはそうして構造変化させるわけだけど。
FI:それは2つの面から見なくちゃいけないね。今どうやって楽器が作られているかということと300年前はどう作られていたかということ。モンケは、僕の住んでいるところから近いんだ、モダントランペットメーカーだけどバロックトランペットも作ってる。モダンの楽器は本当にいいよ、だけどバロックトランペットは、なんていうのかなあ、本当のバロックじゃない。ナチュラルトランペットとしてはいいんだけどバロックトランペットもどきなんだ。これはたいていのメーカーの問題でもある。モダンの楽器で何かの音を吹く時、音は絶対「そこ」に当てなくちゃならない、だけどバロックを吹くときは、良い楽器だったら、音をちょっと変えられる可能性が必要なんだ。これは楽器を作る時に全然別のことが必要ってことでしょう。300年前には300度も冷やすってことは無理だったわけだから、冷やす代わりに熱であっためて処理してたんだよね。それから、僕の知っている限りバロック時代の楽器はハンダ付けしたりとか支柱をつけたりとかはしてなかった。なぜ?できなかったわけじゃないよ。なぜなら当時の宝飾品とかみればその技術があったことは確かだから。でもトランペットにはしなかった。ホルンにはしたのにトランペットにはしなかった。なぜだと思う?
BB:そうねえ、その方が修理しやすいからかな。
FI:うん。でも僕が思うにハンダ付けされたトランペットは「きっちり」しすぎるんだよ。例えばバークレイのトランペットを分解してちょっと緩めに組み立てるとするだろ、そうすると音をベンディングするのが楽になるんだ。つまり演奏しやすくなるというわけ。メーカーはそっちの方向に楽器を作るべきなんじゃないかな。
ET:それは面白い点だね。前にアート・ベネードが僕に言ったことを思い出すなあ。トランペットのベルを凹ませたり、ねじったり、とにかく何かイレギュラーな形にしてごらん、するとプレーヤーに反射して返ってくる音が変わって、ベルが完璧な形のときよりも演奏しやすくなるからって言ってた。
FI:僕の最初の楽器はマインルだったんだけど、D管の時はいつもそれを使ってたんだ。低音域の音程はあんまり良くなかったし結構あちこち傷んだ楽器だったけど、でも完璧に良い楽器だったよ。ロンドンで演奏することがあったときなんか、地下鉄に乗った時に楽器をドアに挟まれたりなんかしたんだけど、そんなこんなで楽器はますます良くなる一方だったよ。
PP:僕が一番吹きやすかったのもマインルなんだ。確かもう20年くらい前の楽器だよね。エド(=タールのこと)が最初にその楽器を僕にくれたとき、手渡ししようとして失敗して楽器が床に落ちてしまったんだ。そのときのベルの凹みはまだ残ってるよ。そのあとその楽器に新しいリードパイプをつけたんだけど、そのリードパイプが若干小さくてクルークのつなぎがかなりゆるゆるになったんだよね。で、それはベンディングをするには最高なんだ。
ET:どんな形であれイレギュラーであることがいいってわけだね。これは現代の楽器とは正反対の指向だよね。
BB:モネットなんかどこも振動しない一つの塊だもんなあ。
FI:それがモダンにはいいんだと思うよ。だけど僕らは全く別のことをしようとしている。例えばモダンで「バッ」って何かの音を吹くときに、それはほんのちょっとでも高くても低くてもいけないし、そうじゃなきゃ良い楽器とは言えない。でもバロックで「バッ」って吹くときはちょっと低かったりわずかに高かったり調整できなきゃいけない。全く別のことを要求される。楽器のかたちが多少似ていて音域がだいたい同じなだけで、両者は完璧に違う楽器なんだ。
以前にまとめたナチュラルトランペットに関する記事をこちらに転載しておこう。ちょっと古い話にはなるが、1995年夏にアメリカ、アマーストで行われたHBSのシンポジウムの時にナチュラルトランペット奏者たちにフリートークをしてもらった。以下はその模様。
座談会の参加者は以下の6人で、司会はBob Riederが務めた。
Barry Bauguess (BB), Igino Conforzi (IC), Fred Holmgren (FH), Freiedemann Immer (FI), Paul Plunkett (PP), Edward H. Tarr (ET)
ET:1976年にモントルーの会議場にフリーデマンが颯爽と登場したときのことはよく覚えているよ。バロックトランペットでブランデンを吹けるやつが現れたっていうんでね。それから2年後だっけ、ポール(プランケット)がオーストラリアから現れた。フレッド、君と会ったのは79年くらいだったっけ?それからジノ・コンフォルツィ。バリー、君はフレッドと一緒にいい仕事をしてたよね。そう、相乗効果で活躍場所を広げてきた。仕事が活躍の場所を広げるっていうけど、僕らの場合はラッパ吹きたちがいい意味で活躍場所を広げてきたと思う。
FH:確かに。ところであっち(展示場)にいろんなメーカーの楽器が並んでたけど、こんなに楽器を吹き比べるチャンスってそうないよね。
BB:いろいろありすぎて混乱しちゃうよ。
司会:そうなんです、私はこのチャンスに楽器を注文しようと思って準備してきたんです。どれが欲しいかはあらかじめ決めてあって。で、ポールに先週楽器を見せてもらって、それからいろんな楽器を試してみて・・・
BB:で、迷っちゃったと・・
司会:そういうことです。これだけ選択肢があると楽器を選ぶ際には何が決め手になると思いますか?
FH:ホールで演奏しても響きが気に入るような楽器を選ぶべきだよ(参加者一同賛同)。狭い部屋で吹いてる時には全然問題なかったのにステージに持っていったらさっぱりだったというおぞましい経験を結構したからね。
FI:もし楽器を探しているんなら本当にいいのにしたほうがいいよーー本当にいいというのはオリジナル楽器のいいコピーということなんだけど。博物館に行ってオリジナルを吹かせてくれるチャンスがあれば、それでなにができるのか、音程がいいとはどういうことか、穴なしで何が吹けるか、本当に分かるよ。オリジナルかそうじゃないかという議論は大なり小なりプレーヤーのレベル次第でなされていることが多いけど、メーカーのレベル次第だとも思うんだ。僕はナチュラルトランペット演奏の秘密の少なくとも半分はその作り方にあるんじゃないかと思ってる。つまるところ、「この楽器はどうやって作られたのか?」ということだ。もし本当のオリジナル楽器を吹いてみたら何が本当にいいか、どうあるべきかということが分かる。僕は今月の初めにもニュルンベルグでオリジナル楽器のいくつかを吹くチャンスがあったんだけど、中でも貴重品保管庫にあった1本はそれは本当にほれぼれするほど見事だった。メーカーはすべからくああいう楽器のコピーを作るべきだね。ここの試奏でも僕はそんな楽器を探してるよ。
FH:あのさあ、長いこと僕は思ってるんだけど、博物館に展示してある楽器たち、なぜそれらは博物館に収められているんだと思う?昔使われてた楽器は使っているうちにいろんなところにぶつかったり、落としたりして凹んだりしたんだと思う。で、それを修理して使う。修理するときはよっぽどちゃんと焼きなましをしないとその部分が固くなる。そして、また凹ませる、修理する、固くなる。これを繰り返すとしまいには割れたり継ぎ目もはがれてきたりする。つまりクズになるというわけ。博物館にあるのは、だからあんまり使われなかった楽器、つまりそれほど良い楽器じゃなかったからなんじゃないのかなあ。もちろんそれがすべてじゃないだろうけどさ。
FI:でも陳列品じゃなくて保管庫にあるものの中にはほんとに良い楽器があるよ。10年ほど前、ドイツでの修復に関するシンポジウムに参加した時、ライナー・ヴェーバーがあるトロンボーンについてこんな話をしてたよ。それは彼の博物館にあったアルトトロンボーンで、素晴らしい、まったく見事な楽器だったけど、中には緑青がたくさんついていたそうだ。で、博物館の人たちは中をきれいに掃除した。そしたら緑青と一緒に楽器の良さも失われてしまった。ホントに何にも残らなかったんだって!そこで大きな疑問にぶつかる。管の中にあったものは何だったのか、そして今は何があるのか?もしその何かは3世紀にわたって溜まったホコリなんだろうか、そしてそれがないといけないんだろうか?これは修復屋にもメーカーにもそして我々にも共通の疑問だ。とにかく我々はメーカーと一緒にもっといろいろ研究しなくちゃいけないと思うんだ。
Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit BWV106
<神の時こそ、いと良き時>
106番、バッハのカンタータの中でも有名なこのカンタータはお葬式のための曲だ。
今回縁あってそのリコーダーパートを演奏できることになった。うれしい。
僕はバッハのカンタータについては"おくて"で、こういう有名どころの曲ですらその存在を知ったのは40歳近くなってからだったーー今考えるとなんともったいないことだろうーー。それはともかく初めの頃に馴染んだ曲の一つがこれだった。思い起こすとその頃アマチュアながら古楽演奏の普及に務められていたYさんが亡くなられたとき、Yさんを偲ぶ会でみんなで演奏したこの曲が心に沁みたからだと思う。
それもあって翌年、夭折したアンサンブル仲間のM君を偲ぶ会のときもこの1曲目のソナティーナをブラスアンサンブルにアレンジして演奏したのだった。
この曲はバッハの最初期のカンタータでミュールハウゼン時代、なんとバッハ22歳のときの作品だという。編成はフラウトドルチェとヴィオラダガンバがそれぞれ2本にうた四声と通奏低音という極めて簡潔なもの。室内楽的に音楽を作り上げる感じがたまらなく内省的で良いがその分それぞれの負担は大変そう。それだけに精一杯良い演奏をしたいものだ。
今回はせっかくのこの機会、この曲を演奏しながら昨年亡くなった父(クリスチャンではなかったが)を偲び弔いたいと思う。
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2012年11月16日(金) 7:00pm
レクイエムの集い2012 ~魂の慰めのために~
J.S.バッハ カンタータ第157番 <汝われを祝せずば>
J.S.バッハ カンタータ第106番 <神の時こそいと良き時> 他
アルト:淡野弓子
テノール:ツェーガー・ファンダステーネ
バス:小家一彦 他
ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京
ムシカ・ポエティカ古楽器アンサンブル
指揮:淡野太郎
東京カテドラル聖マリア大聖堂
一般(自由席):4,000円 学生(自由席):2,500円