見合うのか、見合わないのか
さて、今日はオペラの本番の日。
ラモーのレ・パラダンは全3幕、時間にして3時間弱もかかる大作である。
オペラに参加させてもらうといつも感心するのが歌手の人たちのすごさ。
しかも言葉はフランス語!
今回のオペラだとアリアやレチタティーボを歌う歌手の方々は6人。
常に出ずっぱりというわけでもないし、今回は舞曲も多いので3時間まるまる歌っているわけではないが、それでもその少人数で物語の進行を分担して行くわけだ。
アリアはまだしも語りのレチを母国語以外で振り付けをしながら歌うっていうのはどんなに至難のことだろう。
(余談:単にマイナー言語のオペラと言えばチャイコフスキーとかヤナーチェクがあるけど、日本人にはとんでもないよね)
練習の合間にバリトンの春日さん(元老議員アンセルム役)に
「どうやってこれだけの歌詞と曲を憶えるの?」
と訊いたところ、返ってきた答えは
「暗記パンに歌詞を書いて、それをむしゃむしゃ食べるのさ」
とはぐらかされたけど。
それはそれは皆さん大変な努力をして憶えておられるのだと思う。
それだけで凄いのに、それをみじんも感じさせることなく見事に歌っているから本当に尊敬する。
しかもプロの方々なので、この公演ばかりでなく、他のコンサートやオペラのスケジュールの合間に、というところがまた凄い。
年を追うごとに物を忘れる能力にかけてはますます磨きをかけている自分としては、想像もつかない世界だ。
今回のオペラは日本初演。つまりめったに舞台に上がる演目でもないから、おそらく再演の可能性というのは極めて少ないと思われる。努力して憶えた歌詞もフレーズも次に活かせる機会はおそらくないだろう。そう考えるとなんだか一期一会の崇高な営みのような感すらある。
下世話な話をすると、公演に向けて費やしたエネルギーと支払われるギャラとは引き合ってないように思われる(いくらかは知らないけれど)。それでも引き受けるのは、単に「仕事だから」というのを超えた理由があるからに違いない。「勉強のため」とか「この役をものにするのが自信になるから」とか「様々な役にチャレンジしたいから」あるいは「この役を自分がやらなくて誰がやる?」とか単に「オペラが好きだからね」などなど。いずれにせよ外からは推し量るしかない。
カーテンコールのときにはパフォーマンスの素晴らしさに対してだけでなく、見えない部分に対しても敬意を表して、オケピットから思いっきり拍手をしたいと思う。
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