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2013/11/29

サイフの軽重を問う

身銭【みぜに】






自分自身の金銭。(大辞林)








身銭というのはたいてい「切る」もので「あげる」とか「増やす」とか言わないし、ましてや「もらう」こともない。



と、まるでコラムニストの書き出しのようだが、これはたった今小田島隆を読んだばかりでその影響だ。影響されやすい私。



そういうゴタクはともかくとして、「身銭を切って」聴きに行った演奏会と、招待券やいわゆる「タダ券」で入ったコンサートとでは、少なからず演奏会に対するこちらの心証が違う。聴くときの心構えと言い換えてもいい。



当然のことながら自腹で聴きに行ったときのほうが態度がシビアになる。高ければ高いほどそうなる。なんか「元とってやろう」とか「つまんない演奏だと許さないからね」みたいなみみっちい根性が出てくるのを押さえられない。そうじゃない人っているのかな。



先日の世界最強のオーケストラBPOを聴きに行った(僕は行ってないが)人たちの感想とかをネットで見ると、演奏の素晴らしさはいうまでもなかったが、客席の客層や態度、休憩時間のロビーの雰囲気などが、演奏に比して(いや演奏が良かったが故に)落差が大きくて非常に残念だった、というコメントが多かった。



多分招聘元の某テレビ局の関係者やご招待の方々が普段のクラシックコンサートホールと違う空気を作り出していたんだと思う。一般庶民にとって3万や4万払うっていうのは相当の覚悟のはず。それだけの身銭を切ったのは演奏だけではなくその一晩を特別なハレの日として過ごしたいからだ。それで最高の音楽に浸りたい、と来てみれば周りに水をさす人たちがいました、っていうのはやはりかなり残念な気持ちがするのは当たり前だろう。



逆に「もらいチケット」だとありがたいのかというと必ずしもそうではなくて、鑑賞に対する貪欲さがなくなるのも不思議な感覚だね。前の職場に勤めているとき(めったにないのだが)取引先接待で外来オペラ劇場の引っ越し公演を観に行ったことがあった。が、その出来の素晴らしさをまるごと楽しめないのはどうしたわけか。「感動も中くらい也」



出し物は同じなのに財布が軽くなったかならなかったかで公演に対する感想も変わるなんて自分の鑑賞眼もいいかげんだよね。



だからこそ身銭を切って行ったコンサートで「ああ、本当に良いものを聴かせてもらった、今日は最高に良かった」とルンルン気分でホールを後にできるときは幸せである。そして(ときには裏切られつつも)そういうことがちょくちょくあるから多くの人はコンサート通いをするんだろうね。

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