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2013年12月

2013/12/31

2013年の総括

恒例の1年の振り返り。

まずは音楽活動から。
出演した演奏会は18回。内訳はシュッツ合唱団との演奏が一番多くて8回。これには本郷教会での催し物以外にも1月の第九(大雪の日、新宿文化にて)と11月のエリア(所沢ミューズ)も含まれている。あとはバラバラで、MAT、アントネッロ、源造さんのオケ、磯子とつくばの合唱伴奏、TuPcTとアンジェリコ、「これしかない」とそのリハ的サロンコンサート、ヘンデル協会の催し物(これは当初演奏会回数に含めないつもりだったけれど、入場料を払って聴講に来られた方がいらっしゃったので1回とカウントすることにした)が各1回。
これで高校卒業以来カウントしている演奏会出演回数が500回を越えることになった(別に回数を競っているわけではないが)。

実は年初の時点で第九くらいしか出番が決まってなかったのに、1年終わってみると回数もさることながら内容もバラエティに富んでいて充実していた。
「オルフェオ」と「レ・パラダン」と2回もオペラ伴奏があったのが楽しかったし、アンサンブルでのコンサートも2回あり、久々の自主企画である「これしかない」ができたのも収穫だった。

一方、肝心の自分の出来はというと、なんだか反省ばかりで「これ」という満足のいく演奏ができなかったのがとても悔やまれる。環境が変わったこともあるのだろうが、やっぱり練習不足が一番の原因。ここは来年に向けて改善しないとね。ただ、良かった点もあり、メンデルスゾーンのエリアではラケのインベンショントランペットを使用したのだが、これによってクラシカルの演奏に確信を深めたのは貴重な経験だった。

仕事の話を少しだけすると、マーケットは昨年からアベノミクスで一変していて株は続騰の年末高値引けだし、5年ぶりの円安水準、債券は黒田新総裁の異次元緩和で堅調、投資環境としては言う事なしの1年だった。個人的には業務に大きな変化はなかったが、夏に人事異動があり職場のメンバーが多少変わってとても仕事がしやすくなった。そのせいか自分はやや仕事を流している感もあるかも。ちょっと楽させてもらって申し訳ないみたいな。

健康面では大きな病気はしなかったものの、たまに原因不明のじんましんが出る(しかも1回はアントネッロのリハ中だったのは苦しかった〜)のがちょっと不便。それから昨年末から足を痛めてジムを休会することになってしまったのも残念だったなあ。
12月に母が亡くなったこともあって、最近は「人生いかに死ぬか」ってことばかり考えている気もする(別に死にたくなったわけではない)。


さて、今年のマイベストは以下の通り

聴いたコンサート(鑑賞したのは20)
・歌劇「ジュリオ・チェーザレ」(4/22 NYメトロポリタンオペラ)

出演したコンサート
・「これしかないvol.4」(12/6 杉並公会堂小ホール)

聴いたCD
・My Radio Days(60年代のポップス集)

読んだ本
・Tarr / Hummel Concerto - Introduction, Histroric consideration, Analysis, Critical commentary(一番熟読した本ということで)

観た映画
・メット・ライブの「ジュリオ・チェーザレ」(コンサートとかぶっているけれど)

スポーツ
・フィギュアスケートNHK杯(代々木体育館)
テレビじゃなくて生でフィギュアスケートを観る楽しみっていうのを覚えた年でもあった。4月の国別対抗、11月のNHK杯、12月の全日本などどれも見応えがあって面白かった。来年のソチ後は選手も減って応援する楽しみが激減するのが残念、それだけに観るのは「今でしょ」というわけ)

行ったところ
・昭和記念公園(立川)

食べたもの
・回転寿司/根室花まる(丸の内KITTE店)

お気に入り
・ホームシアター(BOSE CineMate、Epsonのプロジェクター、ロールスクリーンの組み合わせ)

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2013/12/30

「これしかないvol.4」講演内容(その6)

(承前)

 ♫ フンメルはパクリの天才? ♫

 さて、最後の3楽章になりました。この楽章は3つの部分から成っています。最初はトランペットソロの導入で始まる快活な部分、途中でMinore、つまり短調ということですが、曲想がちょっとメランコリックになる部分があって、そして最後にMaggiore、長調に戻ります。普通であればここは最初に戻って再現部になるところですが、この曲ではそうなっていなくて、今まで出て来なかった行進曲のような旋律が木管とヴァイオリンに登場します。そして第1、第2の部分では主に旋律を吹いていたソロトランペットはどちらかというとオケの合いの手の役目に回ります。

 この第3の部分は実は人の作品の借り物なんですね。同時代のケルビーニという作曲家のオペラ Les deux jounees(邦訳「二日間」)の第2幕の最後の部分をそのまま拝借しています。ケルビーニの楽譜はこちらです。

Les_deux_journees_1

ちなみにどんな音楽か、ちょっと聴きくらべてみましょう。最初にフンメルの曲、次にケルビーニです。ケルビーニについては音源がなかったのでコンピューターに打ち込んでみました。ですので電子音で申し訳ありませんがお聴き下さい。

Hummel 3mov

cherubini

 どうでしょう。似ているどころかそっくりそのまま同じものです。ホ長調という調まで一緒です。現代ならさぞかし盗作、著作権侵害ということで裁判沙汰になるところです。それとも当時は人の作品を拝借するのは普通のことだったのでしょうか。
 そういえばフンメルのこのコンチェルトについては、1楽章の出だしにモーツァルトのハフナーシンフォニーから拝借したフレーズがありますし、2楽章の伴奏部分も同じくモーツァルトのハ長調のピアノコンチェルト21番のアンダンテ楽章と同じパターンです。人からアイデアを借りるのが得意だったんでしょうかね。
 
 このケルビーニのオペラは1800年に作曲されて、パリを皮切りにヨーロッパ中で大ヒットとなり、ウィーンでも1802年に何度も再演された人気のオペラだったそうです。当然当時の聴衆だった上流階級の人びとには耳になじみのメロディーだったのでしょう。 なぜこの曲を借りたのかの理由は判っていません。作曲の時間を省略するためだったのか、あるいは誰かから依頼されて挿入したのか。 私は彼の25歳という若さとこれから社交界に打って出ようかという立場を考えると、コンチェルトの最後にみんなに受けるメロディーをもぐりこませ、聴衆を愉快な気分にさせて印象づけようという魂胆だったんじゃないかと思います。

 ともあれフンメルにとってはある意味機会音楽としての作曲だったのではないかと思われます。その証拠というわけではありませんが、この作品には作品番号がついていませんし、1853年に作成されたフンメルの作品目録にも含まれていません。正式な嫡出子として認知されてなかったってことですね。そして演奏された履歴についても、作曲して以降20世紀に再び発掘されるまでの間、ワイディンガー以外の奏者による演奏はなかったようです。


★2つのコンチェルトとキイトランペットのその後

 最後にこうした経緯で作られた2曲がどのような経過をたどったかについて簡単にお話します。

 ハイドンの曲もフンメルの曲も一旦は忘れられてしまいます。再発掘されたのはどちらも20世紀になってからのことで、ハイドンは1907年にベルギーのトランペット吹きが、フンメルは1958年にボストン交響楽団のアルマンド・ギターラが復刻演奏をしたのが最初で、それ以来トランペットのコンチェルトと言えば古典派はこの2曲しかない、くらいの今の状況になったわけです。

 キイトランペット自体は1820年くらいに開発されたバルブトランペットが1840年頃から普及し始めたのと時を同じくして廃れてしまいました。従って実際にキイトランペットが使われた時期は1790年くらいからの50年間ということで一世代限りの命だったというわけです。今では全く忘れられた存在になってしまいました。
 ただこの楽器とワイディンガーという人がいたおかげで、この2曲のコンチェルトが後世に残ったということです。なんだか歴史の皮肉を感じますね。

(この稿終わり)

参考文献:

Reine Dahlqvist / The Keyed Trumpet and Its Greatest Virtuoso, Anton Weidinger (The Brass Press)

C. Eugéne Roy / Méthode de Trompette ordinaire et Trompette avec Clefs (1824)

Edward H. Tarr / Haydn’s Trumpet Concerto and its Origins (ITG Journal, Sep.1996)

Brian Moore / Haydn’s Trumpet Concerto: The Tempo and Articulation of the Andante movement (ITG Journal, Jan. 2007)

Elisa Koehler / In search of Hummel Perspectives on the Trumpet Concerto of 1803 (ITG Jan. 2003)

Edward H. Tarr / Hummel Concerto, Introduction to the facsimile reprint, historic consideration, analysis, critical commentary and original solo part (The Brass Press)

Stephen de Haan / フンメル トランペット協奏曲ホ長調 スコア解説(Eulenburg/ 全音)
ほか

A B C

(この稿の内容については筆者に責任があり、誤謬や誤解はすべて筆者の責に帰するものです。またこの稿で紹介した曲の解釈やアイデアについては筆者のオリジナルによる部分もありますので無断転載のないようお願いいたします)

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2013/12/29

「これしかないvol.4」講演内容(その5)

(承前)

 ♫ 波線はどのように扱うべきか ♫

 さて、2楽章に移りましょう。ここは検討課題の多い楽章です。スコアを見てみましょう。

Hummel_3

まずこの4小節目から5小節目にわたる波のラインは何を意味するのか、トリルのようにも見えますが、どのように演奏したらいいのか。ちなみに僕の持っているCDのほとんどはこの部分をトリルで吹いています。
しかしどうでしょうか、さきほど僕はフンメルが几帳面にスコアを書いていると申し上げました。例えば先に見ていただいたこのページではトリルの指示にちゃんとtrと書いてさらにご丁寧にトリルの終止形の”タラ”という小さな音符の書き込みまでありますね。

D

他のトリルの部分もきちんとtrの書き込みがあるのです。従ってもしこの2楽章の音符がトリルであればここにもはっきりtrと記載があるはずです。ではトリルでなければ何か。
 
 バーゼルのスコラカントルムで長らく教鞭をとりトランペットの歴史の第一人者であるエドワード・タール氏は、この波のラインはおそらくビブラートではないかという説を取っています。レオポルド・モーツァルトなど昔のヴァイオリンの教本などをみると、バロックの奏法ではビブラートは装飾の一手法とされていました。さらに18世紀後半のイギリスのフルート吹きであったニコルソンという人はフィンガービブラート(遠くの指を開閉することでビブラートする)という奏法について述べている文献もあります。
 僕はキイトランペットという楽器をさらってみて、ここはキイを使ったビブラートあるいはトレモロだったんじゃないかという気が強くしました。キイを空けても音程にそれほど変化はないけれど、音質を変えることができるキイがあります。そのキイをすばやく開閉してトレモロの表現を作ることができるのです。これこそキイトランペットでなければなし得ない表現だと思います。そして逆にトリルと指定のある場所についてはキイを使うのではなく、ナチュラルトランペットの伝統的奏法であるリップトリル、つまり唇のみで行うトリルを使うのが正統ではないかと思います。
というのも、トリルを掛ける際にキイやバルブに頼るというのは時代的にかなり後になってからのことなんじゃないかと思うのです。それまでナチュラルトランペットではトリルはリップでかけるもので、むしろその方が優雅に演奏できる、という自負をもっていたんじゃないかと思うからです。ただしこの説を裏付ける根拠はありませんが。

 ♫ 2楽章の2つのカットについて ♫
 
 それから2楽章にはフンメルがあとから修正したカットとそれに伴う追加の小節があります。 オリジナルのスコアの譜面にはこのように追加の小節がちいさな紙の切れ端で糊付けされています。

Img_4066 Img_4065
(写真はThe Brass Pressから出版されたManuscript Facsimile reprintより)

 カットされた部分は二カ所あります。一つは17小節目から30小節目までの14小節をカットして、その代わりに5小節の別の譜面がついています。これをNo.1のカットと呼ぶことにしましょう。もう一つのカット、No.2のカットは37小節目から40小節目の4小節のカットで、その代わりに別の1小節を差し替える案がついています。パート譜で見てみましょう。

I_1 J

 No.1のカットについては演奏者ワイディンガーの要請によるものだと思います。どういうことかというと、この楽章は途中41小節目で転調しているのですが、前半の部分はE管のトランペットで演奏するとフラットが4つもついていてとても吹きにくいのですね。後半の転調後はフラット一つです。フンメルはピアノ弾きだからかもしれませんが、そうしたラッパ吹きの事情にはおかまいなく必要とされる調で曲を書いた、けれども演奏してみたら半音の羅列のパッセージもあって吹きづらい。だからカットしてくれないかとワイディンガーが頼み込んでフンメルが代替案を書いた、というのがありそうな線です。
このフンメルの曲よりも時代は少し下りますが、1820年代に出版されたキイトランペットのための教則本などをみてもスケール練習はシャープやフラットの記号が多くても2つまでの調までしかありません。当時の事情を考えてみても、それまではドミソしか吹いてなかったのに音階を吹くどころかフラット4つで、と言われてもそれはハードルの高い注文です。例えて言えば、まだ教習所で仮免をとったばかりなのにいきなり首都高を運転しろと言われるようなものです。フンメルはワイディンガーの要請を受けてそういう事情ならしょうがないかと演奏しやすい代替案を作ってあげたのでしょう。

 それではNo.2のカットについてはどうでしょうか。
これについてはカットするとどのようになるのか、まず演奏を比較して聴いてみましょう。

Original(Cutなし)の演奏

No.2をCutした演奏

 なぜこの数小節のカットが必要だったのでしょうか。実はこれを説明するにはまたこの楽章の頭に戻る必要があります。

 2楽章の3小節目のソロのパートをご覧ください。

G

ドの全音符のそばに赤いクレヨンでシの全音符が書いてあります。4小節目も同様です。これをそのまま楽譜通りにシのフラットで吹いてみるとどうでしょう、全く曲になりません。
これについてオイレンブルグ版のスコアに解説を書いている作曲家のシュテファン・デ・ハーンは2楽章をF管で吹いたのではないかと推測しています。F管だと楽器の調が半音高くなりますから、楽譜上は半音低く記載される必要がありますからね。この説はもっともだと思います。さきほど申し上げたようにこの部分は転調するまでE管だとフラット4つですが、F管にするとシャープ1つになりとてもシンプルで演奏しやすくなります。半音の扱いにまだ慣れていないワイディンガーがそれを利用しなかった手はないと思います。ハーンは2楽章全体をF管で吹き、楽章の最後の8小節の休みでまたE管に持ち替えたと解説しています。が、僕はこれは違うのではないかと思います。というのも前半はF管がベストチョイスですが、そのままだと曲の途中で転調してからはシャープ4つになってしまって逆に大変になってしまうからです。

 僕はハーンと同じく2楽章はF管に持ち替えたのだろうと思っています。その証拠としてもう一つ、13小節目の頭の音、ラのフラットですが、その脇に赤クレヨンで半音低いソの音が書き込まれているからです。ここの部分もF管で吹くことを想定してこの書き込みがあったものと思われるのです。

H

 ここから先は完全に僕の推論です。ワイディンガーは楽章の途中、転調の前にE管に持ち替える必要があった。ところが作曲家の最初の譜面では楽器を持ち替えるための時間が足りなかった。数えてみるとわずかに5拍です。これだといくらアンダンテというゆっくりなテンポでもクルークを差し替える時間はありません。そこでワイディンガーはフンメルに頼んで休み時間を増やしてもらったんじゃないでしょうか。カット後の譜面を見てみましょう。さきほどのCDの演奏のように41小節目の二分音符を吹かなければ休符が9拍となり丸一小節分休みが増えます。これだとぎりぎり持ち替えが可能です。=演奏会ではここでCDをかけながらクルークの交換の実演をしました=

 第2楽章のカットについての話をまとめると、No.1のカットは難しい部分を飛ばしてもらうためのもの、No.2のカットは楽器の調を替える時間調整のためのもの、だったのではないかというのが僕の推論です。

(その6に続く)

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2013/12/28

「これしかないvol.4」講演内容(その4)

(承前)

 ♫ 赤クレヨンは改良か改悪か ♫

 さて、それではフンメルの曲を楽章を追いながら順に詳しく見て行くことにしましょう。

Hummel_1

これはフンメルの自筆譜のコピーです。自筆譜は現在ロンドンの大英博物館に保管されています。これはコンチェルトの冒頭の部分ですが、まず最初に気づくことは「とっても綺麗で読みやすい!」ってことですね。ハイドンの自筆譜と比較してみましょうか

Haydn_original

フンメルのが比べ物にならないくらい綺麗ですよね。年の違いもあるのかもしれませんが、フンメルがとても几帳面な性格だったということがわかります。
 
 それからもう一つ気がつくのはところどころ色違いのインクで書かれているということです。スコアの全体は薄い茶色のインクですが、上と下に書かれている文字は濃い黒のインクです。つまり上のタイトルのところをみると、茶色でConcertoとあって、その後に黒のインクで a Tromba principale とあります。また下の部分には作曲家フンメルについてのコメントが記載されています。Giov. Nep. Hummel di Vienna, Maestro di Concerto di S. Altezza il principe regnante di Esterhazy. つまりウィーンのフンメルはエステルハージ公の音楽長である、と宣言していますので、これは音楽長になった1804年4月以降、すなわち初演後に書き込まれた可能性が高そうです。

Hummel_2

このページでは下から2段目がトランペットソロのパートですが、ご覧の通り、オーケストラのパートは茶色のインクで書かれているのに対してソロのパートは黒の濃いインクが使われています。表紙の追加コメントと同様に後から清書された可能性が高そうですね。

 インクの色ということで言えばこの初稿譜にはさらに別の書き込みがあります。

D 
この部分、ソロのパートに赤いクレヨンで書き足されたところが見えますでしょうか。

C
それからこちらの部分ではソロパートのラインではなく通奏低音の五線のところにソロパートの別バージョンの書き込みがあります。

つまりソロの譜面が黒インクで書かれたあとに赤クレヨンで代替案が書き込まれたところがあるのです。場所によっては黒の鉛筆が使われている場合もあります。こうした書き込みは1楽章だけでも十数カ所あります。それではどのように変えたのか、これは聴いていただくのがてっとり早いと思いますので、改訂場所だけ比較したものを聴いてみて下さい。全部をご紹介するのは割愛して、ここでは中からいくつか比較したものを聴いていただきます。最初にオリジナルバージョンでの演奏、続いて改訂バージョンでの演奏です。

1楽章77小節から80小節

1楽章81小節から84小節

1楽章273小節から281小節

1楽章288小節から292小節

 どうでしょう、我々が元の音形に慣れているということもあるのかもしれませんが、率直に言わせてもらうと必ずしも良くなったとは言えず、どちらかと言えば改悪された感があります。ただ概して言えるのはオリジナルバージョンよりはやや易しいフレーズになっているということでしょうか。フンメルが改訂したとは思い難いのでおそらくワイディンガーの指示によるのでしょう。そうだとするとワイディンガーはちょっとセンスがなかったということになりますね。

(その5に続く)

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2013/12/27

「これしかないvol.4」講演内容(その3)

(承前)

★ Hummel のTrumpet Concerto を読み解く

 ♫  Hummelについて ♫
 
 さて、ハイドンのコンチェルトで自分のレパートリーを増やしたワイディンガーは今度はフンメルにコンチェルトの作曲を依頼します。
 ヨハン・ネポムク・フンメルは1778年生まれ、ワイディンガーのちょうど一回り年下です。曲の依頼を受けたときはまだ20代の半ば、前回は64歳のハイドンという大御所に作ってもらい、今度は作曲家としてはまだ駆け出しの若手に委嘱しているところがなかなか興味深いですね。

 そのフンメルですが、若くしてその音楽の才能を認められ、8歳から2年間はモーツァルトの家に住み込みで勉強することになります。10歳のときにはモーツァルトの勧めで父親と共に4年間のヨーロッパツアーに出ています。実際はロンドンに4年いてクレメンティに指導を受けたりして、そのあとヨーロッパ大陸がフランス革命後不穏な情勢になったため、予定されていたスペインとフランスへの旅行はキャンセルしてウィーンに帰ってきました。旅行から帰ると今度はハイドンの元で勉強し、ハイドンの推薦もあって彼の後継者としてエステルハージ候に仕える宮廷音楽長になりました。1804年のことです。また彼は卓越した大人気のピアニストでもあり、後年50歳のときに出版した3巻からなるピアノ教則本は大変な売れ行きだったとのことです。

 ♫ Haydn と Hummel の比較 ♫

 さて、それではそのフンメルが作曲したトランペットコンチェルトについて見てみましょう。
作曲されたのは1803年、初稿譜に残ったサインによると完成したのは12月8日とあります。曲の調整はホ長調で、これはトランペットにしてはかなり珍しい調です。先のハイドンのコンチェルトは変ホ長調でしたから半音高い調ですね。

 トランペットを吹く人ならばご存知の通り、ホ長調というのは特に現代の楽器で演奏する際にはとてもやっかいな調です。というのも今最も普及しているトランペットはB管、その次に一般的なのはC管で、それ以外にもD管、Es管はありますが、E管の楽器というのはほとんど作られていません。またB管やC管で移調読みをして吹くとしたら臨時記号がたくさんついてしまって演奏しづらいのです。ですのでこの曲に関しては吹きやすい調にするために全体を半音下げて変ホ長調で演奏するという例がモーリスアンドレ以降一般的になっていたりします。
  
 ハイドンとの比較で言うと、この曲は調の違いだけではなく、その使用音域や音の広がりという点でも違いがあります。ハイドンの曲は全体的に中音域以上が多く最高音もシのフラットまであったのに対し、フンメルでは最高音はソの音までしか使いません。その代わりに低音域の音が多用されます。下のドの音より低い音域でハイドンのときには使われなかった音がいくつか出てくるのです。キイトランペット的にはハイドンでは3つの孔で対応できるのに対し、フンメルではさらに孔を空けないときちんと吹けません。おそらくこのときワイディンガーは楽器に改良を加え、E管のトランペットを持っていたのだと思われます。 ホ長調にしたのはワイディンガーからの依頼だったのかもしれません。
 また、転調が多いのもこの曲の特徴です。全楽章にわたって長調と短調を行き来しますし、それによってソロのパートにはシャープやフラットの臨時記号がたくさん出てきます。これはのちほどお話するところでポイントとなる部分でもあります。

 初演はウィーンの宮廷で、1804年の元旦に開かれた新年のターフェルムジークの席上で行われました。前年の12月に完成したばかりのこの曲をワイディンガーはひと月もたたないうちに初演したのですから、前回のハイドンのときに初演まで4年かかったのとは対照的なスピードの早さです。

(その4に続く)

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2013/12/26

「これしかないvol.4」講演内容(その2)

(承前)

★1楽章にHaydnが仕組んだ企み

 ではこのコンチェルトについて、キイトランペットで演奏するという視点から見てみましょう。

Haydn_1mov

さて、これはコンチェルトの1楽章の楽譜(トランペットソロ)です。ソロの旋律を見てみますとこの新しい楽器の紹介の仕方がいかにも巧みだと唸らされます。つまり、37小節目から始まるこのメロディを見てみると、低音域のドーレーミ、という単純なフレーズで始まりますが、先にご説明したように従来のナチュラルトランペットではドとミしか出せないわけでレの音は不可能な音だったわけですから、初っぱなの3つの音で「これから新しいことが始まりますよ」ということを提示しているとも言える訳です。またそれに続くフレーズは「ドレミファソー、ラシドラソ」と上昇音形で音階を全部いっぺんに提示しています。(譜面のX印は自然倍音以外の音)

A

その後はひとしきり中音域の音階で滑らかなフレーズを演奏します。自然倍音のみのナチュラルトランペットで音階を吹くためにはこれより一オクターブ上の高い音域を使わざるを得なかったわけですから、如何にこの新しい楽器が画期的かがわかろうというものです。さらに47小節目では半音階も吹かせています。ただこの部分は八分音符であっという間に通り過ぎてしまいますので、もっとはっきり聞かせようということなのか、55小節目からは四分音符でラとソのシャープを往復させます。しかもご丁寧なことに同じフレーズを執拗にもう一回繰り返しています。

 このように第1主題でハイドンは実に効果的にこの楽器によって新たにできることを売り込んでくれました。当時の聴衆にとっては最初の出だしの3つの音で「トランペットなのになぜこんなことができるの?」と驚いても不思議ではありません。

 さて、ここから先の議論は私の完全な推測なんですが、ハイドンはさらに巧妙な仕掛けをしているように思えます。冒頭ソロトランペットにはちょっとだけ出番があるのです。断片的なフレーズで、これは別になくてもいいような気がします。実際、モーリスアンドレやドクシツェルなど昔の名手の演奏では全く吹かずにすますのが慣例でした。しかしハイドンの自筆譜にはちゃんとこの音符が書かれているのです。これはどういう意味があるのでしょうか。

 最初の伸ばしの音についてはあとで触れることにして、13小節目のソロのフレーズをよく見ていただきましょう。

B

「ソ|レソレファ|ミ」となっていて、実はこれはすべて最初にお話した自然倍音に含まれる音です。つまりこの部分は昔ながらのトランペットの使われ方をしている、しかもーーここが大きなポイントなんですがーーファの音(第11倍音)はナチュラルトランペットならば音程がやや高く外れる音です。もちろんキイを使えば音程を修正することは可能です。

 ひょっとするとハイドンは最初にキイトランペットをナチュラル的に吹かせて、聴衆に「なあんだ今までのラッパと変わらないな」と思わせておいて、それから後にでてくるソロの出番のときに初めておもむろに低音域のドレミを吹く、という仕掛けをしたんじゃないでしょうか。だからそれに気づきやすくするためにこのフレーズを2回も吹かせた。そう考えると8小節目の音についても説明がつきます。つまり13小節目からいきなり出てくるのは唐突すぎるので8小節目に音を一つ吹かせてソリストに注目を集めさせた、と思えばつじつまが合いますね。ハイドンの企みがもしそうだとすると、このファの音はキイを使って音程を補正せずに、あえて自然倍音(少し高めの音程)で吹くべきではないかと思います。
  
 またヴィジュアル的に効果を高めるために、この部分は昔ながらのトランペットを吹く姿勢、つまり右の片手で楽器を持ち左手は腰に手を当てて自然倍音で吹く、というのがハイドンとワイディンガーの狙いに沿った演奏法ではないかと思っているのです。

(その3に続く)

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2013/12/25

「これしかないvol.4 ハイドンとフンメル」の講演内容(その1)

12月6日に杉並公会堂小ホールで公演した「これしかないvol.4」〜ハイドンとフンメル、復元楽器で再発見する古典派の2大コンチェルト〜のレクチャー部分を若干修正して掲載します。長いので数回に分けることとしました。

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 本日はようこそおいでくださいました。
今聴いていただいたのはハイドンのトランペット協奏曲の第1楽章、最初のテーマの提示部です。クラシックのトランペット奏者にとってはとても大事なレパートリーで、これがないと音大の入学試験もオーケストラの入団オーディションも始まらないくらいの超有名曲です。さきほどは我々が普段見慣れている現代のトランペットで演奏しましたが、このコンサートではこの楽器ではなく、ハイドンが作曲したときに想定していた楽器で演奏いたします。また演奏するだけではなくその楽器についてのお話や、その楽器を使って演奏してみて自分なりに気づいた曲についてのお話をしながら演奏会を進めて行きたいと思います。

★ Keyed Trumpet とはどんな楽器か
 
 ♫ トランペットと自然倍音について ♫

 さて、まずハイドンの時代のトランペット事情についてお話をしましょう。さきほど演奏したこの楽器、これは現代のトランペットですが、ハイドンの時代のトランペットはこのような形をしていました。

Classical

ずいぶんと違う形に見えますが音を出す原理は同じです。ただ楽器の長さ、全長が違うだけです。唇の振動で音を発音し、それを細く長い管で音程のある音とし、最後に朝顔状の出口で音量を増幅する、という極めてシンプルなものです。ここでキーワードとなるのが「自然倍音」という単語です。管をある程度長くするとその中を何回振動するかというその回数の違いによって複数の音を得ることができます。それを低い音から高い音に並べたものが自然倍音列と呼ばれるものです。

Harmonics

 (モダントランペットでそれぞれ自然倍音を吹きながら)
一番低い音が基音のド、ペダルトーンともいいます。その次が1オクターブ上のドの音、次に5度上のソ、2オクターブ目のド、ミ、ソと続きます。いわゆるハイBと呼ばれる音は第8倍音ということがわかりますね。
 (クラシカルトランペットに持ち替えて)
 このハイドン時代のトランペットは管の長さが長くなっています。管が長くなると物理的に出せる倍音の数も多くなってきます。
 
 さて、お聴きいただいたこの自然倍音列は我々の耳には少し調子はずれに聴こえる音があることがお分かりになるでしょうか。つまり、この第7倍音(少し低い)、第11倍音(少し高い)、第13倍音(かなり低い)というのが特徴です。

Harmonics_3

ハイドンの時代の楽器だとこのように奇数倍音が平均律からかなり外れている、つまりトランペットで平均律に近い音列を出すのは難しい、というのがその当時の常識だったと思って下さい。ここ、今回の話のポイントなんで憶えておいてくださいね。

 ♫ 音階を吹く試みについて ♫

 この自然倍音だと吹ける音が限られています。特に低音域だとドミソなど音と音の間が離れていて、それこそ信号ラッパのようなファンファーレは吹けますが、ドレミと音階を吹くことはできません。従って当時の曲はそうした制約の中で書かれていました。
トランペットの現代までの長い歴史の中で、この自然倍音に限らず、それ以外の音も吹けるように楽器を改良しようとし始めたのが18世紀の後半のことでした。今から約250年前くらいにあたります。試行錯誤でいくつかのアプローチがなされました。
 一つは伸び縮みする管をとりつけたスライドトランペットSlide_trumpetです。

ただし伸ばせる管の長さには限界があるため半音か全音下げるのがやっとで、音階を全部吹くことはできません。
 もう一つはストップ奏法と呼ばれるもので、ナチュラルホルンなどでは良く使われますが、ベルの中に手を入れて音程調整をする方法です。手を入れやすくするために巻きを多くして楽器全体をコンパクトにしたりDemilune_trumpetこのように楽器を半月形にしたりなどの工夫がなされました。ちなみにこのトランペットはデミルーントランペットという楽器ですが、デミルーンとは半月のことです。ただし、ハンドストップも音程調節に限界があり完全な半音階は得られません。

 そして3つめが楽器に孔を空けて音階を吹けるようにする方法です。リコーダーみたいな原理ですね。孔を指で塞ぐには孔の間隔が広すぎることと孔の大きさが大きいので、現代のサキソフォーンのように、これらの孔は通常は塞いでおき、スプーンのようなキイで開け閉めをする機能をつけました。これが今日の主役のキイトランペットKeyed_trumpetです。


そして最後に発案されたのがバルブ(ピストンやロータリーバルブなど)で管の長さを変えるシステムのもので、これが現在にいたるまで残ったというわけです。

 ♫ Keyed Trumpet について♫

 キイトランペットを誰が発明しいつ頃開発されたのかというのは正確なところは分かっていませんが、1770年頃からドイツやオランダなどの数カ所で同じような試みが始まったようです。
 現存するオリジナルのキイトランペットは孔の数が4つか5つくらいついていて、右手で楽器を持ち、左手でキイを操作するタイプが主流です。右手で持つのはナチュラルトランペットの名残だと思われます。ナチュラルトランペットは通常右の片手で楽器を持ち、左手は腰にあてて演奏します。乗馬しながら演奏する場合は馬のたずなを持っていました。イタリアなどでは右手で操作するタイプも使われていて、今日私が使用する楽器Dsc01026_copy_for_exactも左手持ちの右手操作です。

Img_4062  Img_4064  Img_4063


 音を替える原理としては、ベルに近い方から順番に孔を空けるごとに半音ずつ音が上がってくることになります。
 楽器全体の調はマウスピースに直結している部分、クルークと呼びますが、ここを差し替えることによって替えることができます。当時の楽器は本体部分がF管もしくはG管のものが多く、E管やEs管、D管などのクルークを用意しておき、曲によって楽器全体の調を変えたというわけです。

Chart

 これは1824年に出版された教則本の1ページですが、調によってどの孔をあけるのか、フィンガリングが異なったりもします。

 ♫名手Anton Weidinger とハイドン♫

 このキイトランペットの名手だったのがウィーンの宮廷トランペット奏者であったアントン・ワイディンガーです。ワイディンガーは1767年にウィーンに生まれ、若いうちからトランペットの才能を認められ、軍隊でのラッパ吹きを経て25歳のときには宮廷劇場の奏者になっていました。ワイディンガーはハイドンとも交流があり、彼の30歳の結婚式にもハイドンは参加して証人となっています。ワイディンガーはキイトランペットの可能性に目をつけ、友人のハイドンにトランペットコンチェルトの作曲を依頼します。曲が出来上がったのは1796年のことでした。

 このコンチェルトの初演は作曲されて4年後の1800年3月、ウィーン、ブルグ劇場での公開演奏会でした。作曲から初演まで年数が経っているのは、ワイディンガー自身のコメントによると「この楽器に改良を加え完璧に近づけるのに7年を要した」ためとありますので、遅くとも1793年辺りからキイトランペットを開発していたことが分かります。

 ワイディンガーが初演に使ったトランペットは現存していないので正確には分かりませんが、おそらくこのコンチェルトの調に合わせて変ホ調の楽器で、キイは少なくとも3つは備えていたと思われます。彼自身はこの楽器のことを「organisirte Trompete」--英訳すると「organized Trumpet」、日本語にすれば「組織化されたトランペット」という事ですね----と呼んでいて、この公開コンサートで「初めて公衆の前でこの新しい楽器の真価を問う」意気込みであったようです。

さて、一方作曲したハイドンの状況はその頃どうだったのでしょうか。ハイドンはワイディンガーから作曲依頼を受けた時点で既に60歳を過ぎていて、100を超える交響曲や弦楽四重奏曲など主要な器楽曲は書き終えたのかもう作曲しておらず、もっぱらオラトリオやミサなどの大規模な作品を手がけていた時期です。そのハイドンがまた新たにコンチェルトを書いてみようかと思ったのは、あくまでも想像ではありますが、ワイディンガーの新しい楽器に興味を惹かれたからだと思われます。作曲家として円熟したハイドンが興味本位で作曲したと思われるこのコンチェルトは、従って完成度の高さもさることながらハイドンらしい巧まざるユーモアや仕掛けがあって極めて面白い作品に仕上がっていると思います。

(その2に続く)

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2013/12/15

杉並公会堂とフンメルのコンチェルト

フンメルのトランペットコンチェルトは過去にも人前で演奏したことがある。

自分が大学4年生の時(1978/7/8)、所属する大学オケのサマーコンサートでのことだ。
場所は杉並公会堂の大ホール、改修した今のように綺麗な建物ではなくて、古ぼけた公民館のような施設だった。楽屋は2階で畳敷きだったように記憶している。でも音響は良かった。 指揮者のハウエルさんはこの曲をモーリス・アンドレと共演したことがあるということもあって僕もアンドレの演奏を参考にカデンツを入れたりしたのだった。

せっかくの機会だからということで九州から両親が上京してきてコンサートを聴いてくれた。僕の演奏を親が聴いたのはこれを含めてもほんの数回しかなかったと思う。 今から考えると小学校のときから続けてきた趣味をこうやって親に披露できたのは貴重な機会だったんだと思う。親孝行的な意味でも。

今から数年前、正月に帰省したときに、娘が作った「これしかない」のチラシを親に見せた時、親父が「杉並公会堂っちゅうのは孝志の演奏会を聴きに行ったところじゃろが」と云われて、場所を憶えているくらい記憶に残っているんだなあ、と感慨深かったものだ。

その父親は震災の年に急な病気で倒れてそのまま帰らぬ人となってしまった。
35年後に同じ杉並公会堂(ホールは小ホールながら)でフンメルを演奏できることになったのもなんかの縁だろう。
演奏会の3日前、容態が悪くなって急遽入院した母親が亡くなったのはその演奏会が無事終了して3日後のことだった。そんなわけでもはや演奏を聴いてもらうことは叶わなかったけれど、ちゃんとコンサートが終わるのを待つように逝ったのは母が気をつかってくれたからかもしれない。

もうちょっと親孝行しとくべきだったな。

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2013/12/08

演奏会週間終了!

11/27(水)から続いた演奏会ラッシュが一段落した。
とりあえず記録をしとこう。

>11/27(水)
 レクチャーつきサロンコンサート@東京文化会館音楽資料室

こう言っちゃうとミもフタもないけれど、これは12/6のためのリハーサルとして設定したもの。僕にとっては人前で2曲演奏することもさることながらプレゼンテーションの仕方とか時間配分とかを調整するのが主目的だった。結果、フンメルの説明の一部と1楽章の演奏をカットすることになり、しゃべりの部分をもっとコンパクトにしないと収まらないことが判明。それがわかっただけでもとても有意義だった。
源造さんには資料室備えつけのスタインウェイのグランドで弾いてもらったけど、とても弾きにくそうで申し訳なかった。
お客さんはそんなに期待してなかったけれど、菊本さんのリサイタルのときに挟み込みしたチラシが奏功して東京芸大の院生が3名ほど来てくれたのはうれしかったな。なにしろそのあたりの人たちがターゲットのコンサートだったから。


>11/29(金)
 つくば古典音楽合唱団「戴冠ミサ」ほか@つくばノバホール

すっかりクラシカルのナチュラルトランペット(by マルクス・ラケ)にも慣れ、2ndの肇さんとの息もぴったりで安心していい演奏ができた。やっぱり前の月にメンデルスゾーンの「エリヤ」でクラシカルを吹き倒したのがかなりいい結果につながっている気がする。来年のつくばはまた11/29、曲はハイドンのテレジアミサだそうだ。


>12/4(水)
 アントネッロ「オルフェオ」@川口リリアホール

素晴らしい公演に参加できてうれしかった。トランペットとしてちょっとはお役に立てただろうか。本番前日のリハ中に「母危篤」と福岡の長兄から帰省要請があったのでそれが気になり、結局本番後の打ち上げも参加せずまっすぐ帰ったのが心残り。FBで写真などを見るとやっぱりきちんと打ち上がっておくべきだったなあと後悔している。


>12/5(木)
 そんなわけで予定していたMATの毎年レクイエムはキャンセルすることになった。チケットを買ってもらった人には連絡をして払い戻しなどをしたり。当日キャンセルを知らず来てくれた人たちには大変申し訳ないことをした。(お花も届いていたようだし)
それにともかくMATは今自分にとっての本拠地だし、モーツァルトのレクイエムは毎年演奏をしておきたい演目だし、ともかくなにかと残念。


>12/6(金)
 これしかないvol.4「ハイドンとフンメル」@杉並公会堂小ホール

長らくあたためておいた企画が実現してうれしかった。11/27のリハのおかげで演奏、プレゼンともにそつなくできたんじゃないかと思う。
来ていただいた方には概ね好評をいただいてありがたかった。それから源造さんのピアノが素晴らしかった。ベートーヴェンのムーンライトソナタは全曲聴きたいところだった。アンコールでピアノソロを1曲弾いてもらえば良かったな、とは言ってももう後の祭りだが。

惜しいといえば集客が思ったようにできなくて、これがとっても残念だった。
今回のコンサートはクラシックのトランペットを演奏(もしくは勉強)する人をターゲットとしていたので、ブラスアンサンブルフェスティバルでちらしを撒いてもらったり、菊本さんのリサイタルなどに案内をいれたり、それに首都圏の音大のトランペット科の指導教官と学生あてに手紙とちらしといくばくかの招待券を送ってみたり、などの今までの地縁血縁とは違うマーケティングをしてみたんだけれど、その効果がほとんどなかったようで、本当にがっかりした。学生はあんまり興味がないのか、先生のところでスルーされてしまったのか、事情はわからないが、残念なことだ。まあ、ネームバリューがないからしかたのないことかもしれないね。
ともあれコンサート後気分が落ち込んでいたのはそういうわけだった。


一連のコンサートはこれで終了。年内はあと12/23に本郷教会のクリスマスコンサート(テレマンのカンタータとバッハのマニフィカト)と12/27にメサイア(これはコンサートではないが)があってそれでおしまい。しばらくのんびりCDでも聴いていよう。

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2013/12/06

未知数

さて、本日は「これしかないvol.4」の本番。

いつもの「これしかない」だとだいたいの集客数は読めるのだが、今回はプログラムが特殊ということもあり、案内の形態とかも変えたりとかしたので、いったいどれくらいのお客さんが聴きにきてくださるのか、全く読めない。

1. 30人から50人
2. 51人から80人
3. 81人から100人
4. 101人から150人
5. 151人から190人

まあ、4,5はないかな。良くて3. 多分2かなあ。

という訳で当日券たくさんご用意して待っています。
なるべく多くの方に聴いていただきたいので是非ご来場ください!


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2013/12/03

お詫び

諸般の事情により前にご案内した12/5のMAT毎年レクイエムに出演できなくなりました。
私の代わりに河原哲平さんが演奏してくださいます。
変わらず(というかもっと)素敵な演奏をしてくれますのでみなさま是非足をお運びください。

このたびは私事ですみませんがよろしくご了解ください。

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2013/12/02

演奏会のお知らせ(12/5)

モーツァルト・アカデミー・トウキョウ
毎年レクイエム~第6回~

日時:2013年12月5日(木)午後7時開演
場所:淀橋教会(JR中央線大久保駅より徒歩1分)
曲目:W.A.モーツァルト 
   聖体の祝日のためのリタニア K.243
   レクイエム K.626
演奏:モーツァルト・アカデミー・トウキョウ
指揮:坂本徹

恒例のモーツァルトの命日に彼のレクイエムを演奏する「毎年レクイエム」、この数年はお休みしていましたが今年また復活しました。

モーツァルト・アカデミー・トウキョウ(MAT)十八番のモツレク、是非ご賞味ください。

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2013/12/01

演奏会のお知らせ(12/4)

アントネッロの<オペラ・フレスカ>第2弾

音楽寓話劇「オルフェオ」
日時:2013年12月4日(水)午後7時開演
場所:川口総合文化センターリリア音楽ホール
曲目:クラウディオ・モンテヴェルディ
   「オルフェオ」全曲
指揮:濱田芳通
演出:彌勒忠史(メッサジェーラ)
配役:黒田大介(オルフェオ)高山潤子(エウリディーチェ/ムジカ)酒井崇(プルトーネ)中本椋子(プロセルピーナ)大澤恒夫(カロンテ)鹿野浩史(アポロ)上杉清仁(スペランツア)ほか
器楽:アントネッロ

モンテヴェルディのオペラ3つを立て続けに公演してしまうという破格のプロジェクト<オペラ・フレスカ>の2つめは世界最古期のオペラ「オルフェオ」です。アントネッロとしては2008年1月の横浜県立音楽堂での公演以来2度目になります。

僕はトランペットで演奏に参加します。実はアントネッロ参加も2009年の1月以来なのでほぼ5年ぶり。とはいえ僕にとって古楽のスタート地点はアントネッロだったので我が家に帰ってきた気分で練習に加わっています。そうそう、この熱気と熱意。しばらく離れていて忘れがちだった演奏の原点をもう一回見つめなおすことになりそうです。
残席は僅少とのこと。素晴らしい公演になることは間違いないと思うのでお見逃しなく。 チケット購入まだの方はお早めに。

問い合わせ先:アントネッロ・コンサート 
       anthonello.concert@gmail.com

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