「これしかないvol.4」講演内容(その5)
(承前)
♫ 波線はどのように扱うべきか ♫
さて、2楽章に移りましょう。ここは検討課題の多い楽章です。スコアを見てみましょう。
まずこの4小節目から5小節目にわたる波のラインは何を意味するのか、トリルのようにも見えますが、どのように演奏したらいいのか。ちなみに僕の持っているCDのほとんどはこの部分をトリルで吹いています。
しかしどうでしょうか、さきほど僕はフンメルが几帳面にスコアを書いていると申し上げました。例えば先に見ていただいたこのページではトリルの指示にちゃんとtrと書いてさらにご丁寧にトリルの終止形の”タラ”という小さな音符の書き込みまでありますね。
他のトリルの部分もきちんとtrの書き込みがあるのです。従ってもしこの2楽章の音符がトリルであればここにもはっきりtrと記載があるはずです。ではトリルでなければ何か。
バーゼルのスコラカントルムで長らく教鞭をとりトランペットの歴史の第一人者であるエドワード・タール氏は、この波のラインはおそらくビブラートではないかという説を取っています。レオポルド・モーツァルトなど昔のヴァイオリンの教本などをみると、バロックの奏法ではビブラートは装飾の一手法とされていました。さらに18世紀後半のイギリスのフルート吹きであったニコルソンという人はフィンガービブラート(遠くの指を開閉することでビブラートする)という奏法について述べている文献もあります。
僕はキイトランペットという楽器をさらってみて、ここはキイを使ったビブラートあるいはトレモロだったんじゃないかという気が強くしました。キイを空けても音程にそれほど変化はないけれど、音質を変えることができるキイがあります。そのキイをすばやく開閉してトレモロの表現を作ることができるのです。これこそキイトランペットでなければなし得ない表現だと思います。そして逆にトリルと指定のある場所についてはキイを使うのではなく、ナチュラルトランペットの伝統的奏法であるリップトリル、つまり唇のみで行うトリルを使うのが正統ではないかと思います。
というのも、トリルを掛ける際にキイやバルブに頼るというのは時代的にかなり後になってからのことなんじゃないかと思うのです。それまでナチュラルトランペットではトリルはリップでかけるもので、むしろその方が優雅に演奏できる、という自負をもっていたんじゃないかと思うからです。ただしこの説を裏付ける根拠はありませんが。
♫ 2楽章の2つのカットについて ♫
それから2楽章にはフンメルがあとから修正したカットとそれに伴う追加の小節があります。 オリジナルのスコアの譜面にはこのように追加の小節がちいさな紙の切れ端で糊付けされています。
(写真はThe Brass Pressから出版されたManuscript Facsimile reprintより)
カットされた部分は二カ所あります。一つは17小節目から30小節目までの14小節をカットして、その代わりに5小節の別の譜面がついています。これをNo.1のカットと呼ぶことにしましょう。もう一つのカット、No.2のカットは37小節目から40小節目の4小節のカットで、その代わりに別の1小節を差し替える案がついています。パート譜で見てみましょう。
No.1のカットについては演奏者ワイディンガーの要請によるものだと思います。どういうことかというと、この楽章は途中41小節目で転調しているのですが、前半の部分はE管のトランペットで演奏するとフラットが4つもついていてとても吹きにくいのですね。後半の転調後はフラット一つです。フンメルはピアノ弾きだからかもしれませんが、そうしたラッパ吹きの事情にはおかまいなく必要とされる調で曲を書いた、けれども演奏してみたら半音の羅列のパッセージもあって吹きづらい。だからカットしてくれないかとワイディンガーが頼み込んでフンメルが代替案を書いた、というのがありそうな線です。
このフンメルの曲よりも時代は少し下りますが、1820年代に出版されたキイトランペットのための教則本などをみてもスケール練習はシャープやフラットの記号が多くても2つまでの調までしかありません。当時の事情を考えてみても、それまではドミソしか吹いてなかったのに音階を吹くどころかフラット4つで、と言われてもそれはハードルの高い注文です。例えて言えば、まだ教習所で仮免をとったばかりなのにいきなり首都高を運転しろと言われるようなものです。フンメルはワイディンガーの要請を受けてそういう事情ならしょうがないかと演奏しやすい代替案を作ってあげたのでしょう。
それではNo.2のカットについてはどうでしょうか。
これについてはカットするとどのようになるのか、まず演奏を比較して聴いてみましょう。
なぜこの数小節のカットが必要だったのでしょうか。実はこれを説明するにはまたこの楽章の頭に戻る必要があります。
2楽章の3小節目のソロのパートをご覧ください。
ドの全音符のそばに赤いクレヨンでシの全音符が書いてあります。4小節目も同様です。これをそのまま楽譜通りにシのフラットで吹いてみるとどうでしょう、全く曲になりません。
これについてオイレンブルグ版のスコアに解説を書いている作曲家のシュテファン・デ・ハーンは2楽章をF管で吹いたのではないかと推測しています。F管だと楽器の調が半音高くなりますから、楽譜上は半音低く記載される必要がありますからね。この説はもっともだと思います。さきほど申し上げたようにこの部分は転調するまでE管だとフラット4つですが、F管にするとシャープ1つになりとてもシンプルで演奏しやすくなります。半音の扱いにまだ慣れていないワイディンガーがそれを利用しなかった手はないと思います。ハーンは2楽章全体をF管で吹き、楽章の最後の8小節の休みでまたE管に持ち替えたと解説しています。が、僕はこれは違うのではないかと思います。というのも前半はF管がベストチョイスですが、そのままだと曲の途中で転調してからはシャープ4つになってしまって逆に大変になってしまうからです。
僕はハーンと同じく2楽章はF管に持ち替えたのだろうと思っています。その証拠としてもう一つ、13小節目の頭の音、ラのフラットですが、その脇に赤クレヨンで半音低いソの音が書き込まれているからです。ここの部分もF管で吹くことを想定してこの書き込みがあったものと思われるのです。
ここから先は完全に僕の推論です。ワイディンガーは楽章の途中、転調の前にE管に持ち替える必要があった。ところが作曲家の最初の譜面では楽器を持ち替えるための時間が足りなかった。数えてみるとわずかに5拍です。これだといくらアンダンテというゆっくりなテンポでもクルークを差し替える時間はありません。そこでワイディンガーはフンメルに頼んで休み時間を増やしてもらったんじゃないでしょうか。カット後の譜面を見てみましょう。さきほどのCDの演奏のように41小節目の二分音符を吹かなければ休符が9拍となり丸一小節分休みが増えます。これだとぎりぎり持ち替えが可能です。=演奏会ではここでCDをかけながらクルークの交換の実演をしました=
第2楽章のカットについての話をまとめると、No.1のカットは難しい部分を飛ばしてもらうためのもの、No.2のカットは楽器の調を替える時間調整のためのもの、だったのではないかというのが僕の推論です。
(その6に続く)
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