「これしかないvol.4」講演内容(その3)
(承前)
★ Hummel のTrumpet Concerto を読み解く
♫ Hummelについて ♫
さて、ハイドンのコンチェルトで自分のレパートリーを増やしたワイディンガーは今度はフンメルにコンチェルトの作曲を依頼します。
ヨハン・ネポムク・フンメルは1778年生まれ、ワイディンガーのちょうど一回り年下です。曲の依頼を受けたときはまだ20代の半ば、前回は64歳のハイドンという大御所に作ってもらい、今度は作曲家としてはまだ駆け出しの若手に委嘱しているところがなかなか興味深いですね。
そのフンメルですが、若くしてその音楽の才能を認められ、8歳から2年間はモーツァルトの家に住み込みで勉強することになります。10歳のときにはモーツァルトの勧めで父親と共に4年間のヨーロッパツアーに出ています。実際はロンドンに4年いてクレメンティに指導を受けたりして、そのあとヨーロッパ大陸がフランス革命後不穏な情勢になったため、予定されていたスペインとフランスへの旅行はキャンセルしてウィーンに帰ってきました。旅行から帰ると今度はハイドンの元で勉強し、ハイドンの推薦もあって彼の後継者としてエステルハージ候に仕える宮廷音楽長になりました。1804年のことです。また彼は卓越した大人気のピアニストでもあり、後年50歳のときに出版した3巻からなるピアノ教則本は大変な売れ行きだったとのことです。
♫ Haydn と Hummel の比較 ♫
さて、それではそのフンメルが作曲したトランペットコンチェルトについて見てみましょう。
作曲されたのは1803年、初稿譜に残ったサインによると完成したのは12月8日とあります。曲の調整はホ長調で、これはトランペットにしてはかなり珍しい調です。先のハイドンのコンチェルトは変ホ長調でしたから半音高い調ですね。
トランペットを吹く人ならばご存知の通り、ホ長調というのは特に現代の楽器で演奏する際にはとてもやっかいな調です。というのも今最も普及しているトランペットはB管、その次に一般的なのはC管で、それ以外にもD管、Es管はありますが、E管の楽器というのはほとんど作られていません。またB管やC管で移調読みをして吹くとしたら臨時記号がたくさんついてしまって演奏しづらいのです。ですのでこの曲に関しては吹きやすい調にするために全体を半音下げて変ホ長調で演奏するという例がモーリスアンドレ以降一般的になっていたりします。
ハイドンとの比較で言うと、この曲は調の違いだけではなく、その使用音域や音の広がりという点でも違いがあります。ハイドンの曲は全体的に中音域以上が多く最高音もシのフラットまであったのに対し、フンメルでは最高音はソの音までしか使いません。その代わりに低音域の音が多用されます。下のドの音より低い音域でハイドンのときには使われなかった音がいくつか出てくるのです。キイトランペット的にはハイドンでは3つの孔で対応できるのに対し、フンメルではさらに孔を空けないときちんと吹けません。おそらくこのときワイディンガーは楽器に改良を加え、E管のトランペットを持っていたのだと思われます。 ホ長調にしたのはワイディンガーからの依頼だったのかもしれません。
また、転調が多いのもこの曲の特徴です。全楽章にわたって長調と短調を行き来しますし、それによってソロのパートにはシャープやフラットの臨時記号がたくさん出てきます。これはのちほどお話するところでポイントとなる部分でもあります。
初演はウィーンの宮廷で、1804年の元旦に開かれた新年のターフェルムジークの席上で行われました。前年の12月に完成したばかりのこの曲をワイディンガーはひと月もたたないうちに初演したのですから、前回のハイドンのときに初演まで4年かかったのとは対照的なスピードの早さです。
(その4に続く)
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