スライド対バルブ対決
先日紹介したKoehlerさんの本に次のような逸話があった。(P73-P74)
それはナチュラルトランペットからバルブトランペットへの移行期、1834年のこと。イギリスで全盛を誇っていた英国式スライドトランペットと出来たばかりのシュトルツェル式バルブトランペット(2つバルブ)とどちらが優れているかのコンテストが行われた。場所は新大陸はニューヨーク、大富豪のウィリアム・二ブロの庭園と邸宅で、そこでは夏の間アウトドアのサマーコンサートが開かれていた有名な社交場でもあった。
スライドトランペットを代表したのはもちろんイギリス人のジョン・ノートン、アメリカに渡ってくる前はロンドンのロイヤルアカデミー音楽院の最初のトランペット教授でもあった。バルブ式を代表したのはイタリア人のアレッサンドロ・ガンバーティで、イタリアオペラカンパニーでは弟のアントニオと共にキイトランペットを吹いていたこともある。
イベントを盛り上げようということなのか、二人の競技者にはそれぞれパトロンがついていて、ノートンにはニューヨーク・タイムズ紙、ガンバーディにはニューヨーク・イブニングスター紙という地元のマスコミがサポートしたというのだからずいぶんと大掛かりな勝負になったもんだ。
ノートンはスライドトランペットの名手ハーパーに倣い、ヘンデルのメサイアから有名な"The trumpet shall sound" とサムソンの"Let the bright seraphim"を演奏し、片やガンバーディはイタリアオペラからアリアとその変奏曲を披露した。
ところがあまりにスタイルが違うので審判もジャッジしにくかったのだろう、初戦は引き分け、改めて同一の楽器で勝負してもらうということになった。その同一の楽器というのがナチュラルトランペット(ハンドストップ奏法あり)というのだから???だけれども。
さて、決戦の8月22日金曜日の夜にはなんと約4,000人の野次馬が集まったというのだから驚く。楽器は揃えたものの、曲の選択は奏者に委ねられていたとくことで、ガンバーディはロッシーニの曲を演奏し、ノートンはヘンデルの代わりに大衆に親しまれたポピュラーな曲を演奏した。しかしその日も決着はつかず、翌月曜日25日の延長戦を経て勝利を手にしたのはイギリスのノートンだった。
当時の新聞記事によると「おそらくガンバーティはキイやバルブのついていないナチュラルトランペットの扱いに慣れてなかった」かららしい。
のどかな時代。1834年と言えば第九の初演から10年、ブラームスはまだ1歳の赤ん坊のときか。当時聴衆に馴染みのある一般的な楽器はナチュラルトランペットのハンドストップ奏法だったんだということが分かる貴重な逸話でもある。
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