スマホの引越し
スマホ(Androidの格安携帯)。壊れたわけではないし、バッテリーの保ちが悪かったわけでもないが、アプリの立ち上がりが少しもたもたしてきた。早めに替えた方がいいかと思い、調べてみたら意外と安かった。機種変更して設定を1からやり直したら、とってもスッキリして快適になった。
駅近で広めの新築物件に引越しをした感じ。悪くないね。
スマホ(Androidの格安携帯)。壊れたわけではないし、バッテリーの保ちが悪かったわけでもないが、アプリの立ち上がりが少しもたもたしてきた。早めに替えた方がいいかと思い、調べてみたら意外と安かった。機種変更して設定を1からやり直したら、とってもスッキリして快適になった。
駅近で広めの新築物件に引越しをした感じ。悪くないね。
亀山のホテルに泊まって英気を養った分、今日はコンディションがいいはずなのだが、今日はいささか状況が異なる。
やっぱりコロナで家にこもっていた期間が長くて(それでなくても経年で)体力が衰えているのが明らか。
前日の疲れも完全に取れたとは言えず、今日は短めの距離にしておくしかない。
それに加えて、これからのルートは鈴鹿峠越えを含むので、距離と交通の便を考慮に入れて慎重に計画しなくてはいけない。
というわけで、今日は直線距離7km弱の次の宿、関までということになった。
まずは亀山宿のど真ん中、本陣あたりから出発。
亀山は亀山城の城下町として栄えた。城は高台にあり、旧東海道も今のJR関西本線が通っている鈴鹿川沿いよりも一段高いところがルートになっている。本来はこちらがメインストリートなんだろうが、ホテルや大きめのビルなどは下の駅に近いところに集まっており、商店街のアーケードが続いている割には賑やかさから取り残されたようにひっそりとしていた。
マンホールに描かれているのは、亀山城の多聞櫓だろう。
この亀山から関につながる街道はいかにも旧東海道という趣があって良かった。三島や由比と並んで街道屈指ではなかろうか。
写真左は野村の一里塚(105番目)は当時から現存するもの。右は布氣皇舘太(ふけこうたつだい)神社への参道。
この景色は広重の時とさほど変わりはないように思われる。
関宿の入り口に着いた。
この宿場町は見応えがありそうだけど、ゆっくりの見学は次回にして、JR関西本線の関から名古屋経由で帰ることにした。
今日の踏破距離は今までで最短かも。
それでも結構疲れた。次回は体力をつけて臨まなければなるまい。
前回の五十三次ウォーキングは新型コロナウイルス感染拡大直前の2020年1月だったので、ちょうど3年ぶりの再開ということになる。
僕の記録(このブログ)では四日市あすなろう線の泊駅で終えたことになっていたのだが、後の二人が次の駅である追分だったと主張し、多数決で追分駅まで電車で行ってそこからスタートすることとした(のちに泊駅だったことが判明)。
スタート地点の追分は、宿場で言えば 四日市と石薬師の中間地点だ。
自宅(東京)の最寄駅を6時台に出て三重県の追分駅に10:14に到着。距離は414km、時速119km、全く現代文明はすごい。
そしてここからは時速4kmくらいののんびり旅。
あすなろう線は内部駅が終点、ここからは鉄道からは離れて国道1号に沿った道をしばらく歩くことになる。
途中にあった急坂(杖衡坂)、ここはまだ四日市市だ。
国道1号を歩く。あまり面白くない道だがしょうがない。
この先、途中に飲食店があるかどうか確信が持てないので早めに国道沿いのインドレストランで昼食を取ることにした。
しばらく国道を歩くと鈴鹿市に入り、程なく石薬師の宿場に着いた。
ここは万葉集研究で知られる明治の歌人、佐々木信綱の生家があるところで、道の両側にたくさん歌碑が並んでいた。
石薬師の本陣とその先にあった一里塚。東海道にある一里塚124のうち、日本橋から数えて102番目くらい。
次の宿場は広重の浮世絵の中でも有名な庄野宿だ。
浮世絵では横殴りの雨だが、今日はいい天気で冬にしてはウォーキングにちょうどいいくらい。早足だと少し汗ばむかも。
庄野は宿場としては規模が小さかったようだ。宿屋も少なかったらしい。
資料館の中に立派な高札(こうさつ、法令が書かれた看板)があった。資料館の人の話によると現存する高札の中では最も大きいものだそうだ。
石薬師から次の亀山まで(さらにその先の関までも)は旧街道がそのまま残っていて、少しうねりながらいかにも東海道らしい佇まいを残している。それに街道の両側に民家が途切れないところも今までとは少し違っている。が、ただ相変わらず(この辺りも車社会なのか)道で出会う人は少ない。
亀山に着いたところで今日はおしまい。歩行距離は22km。
JR亀山駅近くのホテルにチェックインし、ビールと鍋焼きうどんで疲れを癒す。