« 2022年の私的出来事 | トップページ | 東海道を歩く XX(亀山から関まで) »

2023/01/07

東海道を歩く XIX(石薬師から亀山まで)

前回の五十三次ウォーキングは新型コロナウイルス感染拡大直前の2020年1月だったので、ちょうど3年ぶりの再開ということになる。
僕の記録(このブログ)では四日市あすなろう線の泊駅で終えたことになっていたのだが、後の二人が次の駅である追分だったと主張し、多数決で追分駅まで電車で行ってそこからスタートすることとした(のちに泊駅だったことが判明)。

スタート地点の追分は、宿場で言えば 四日市と石薬師の中間地点だ。

0a0c6ae855de4d76858ad243f63792c6

自宅(東京)の最寄駅を6時台に出て三重県の追分駅に10:14に到着。距離は414km、時速119km、全く現代文明はすごい。
そしてここからは時速4kmくらいののんびり旅。

Be9db633cd5f47cb9c625dc3c3320077

あすなろう線は内部駅が終点、ここからは鉄道からは離れて国道1号に沿った道をしばらく歩くことになる。

76f2e7c8e25f4b14b054ab75d2df5af1

途中にあった急坂(杖衡坂)、ここはまだ四日市市だ。

7bcba830d7b249a8951291e45c4e7cae

国道1号を歩く。あまり面白くない道だがしょうがない。

Db8eb25aa43f4f83a92719ad69ed8647

この先、途中に飲食店があるかどうか確信が持てないので早めに国道沿いのインドレストランで昼食を取ることにした。
6175627df751434e82fb0967f9fb2e29  19bf581db0e4436fa43ce282dd266262  Bad93d2aa5304e2c9d2b2804b7b6e645

しばらく国道を歩くと鈴鹿市に入り、程なく石薬師の宿場に着いた。

ここは万葉集研究で知られる明治の歌人、佐々木信綱の生家があるところで、道の両側にたくさん歌碑が並んでいた。

04bb3652dbfd44e18879ae9732fe80fe C7fd67f315e044519d2d63feb3a82d13

石薬師の本陣とその先にあった一里塚。東海道にある一里塚124のうち、日本橋から数えて102番目くらい。

次の宿場は広重の浮世絵の中でも有名な庄野宿だ。
浮世絵では横殴りの雨だが、今日はいい天気で冬にしてはウォーキングにちょうどいいくらい。早足だと少し汗ばむかも。
Efe4dd671d564e7f8e12639139f5b1a3  2765fdefe79c4b94a966445d9eb62b23

庄野は宿場としては規模が小さかったようだ。宿屋も少なかったらしい。

79fee3c47a904beaa79d41156b22f1d5 0b2a9a37d1bf4c96b9afa6e24705dbc8 5dcea170e50f49ec895e7b56b9058c63

資料館の中に立派な高札(こうさつ、法令が書かれた看板)があった。資料館の人の話によると現存する高札の中では最も大きいものだそうだ。

石薬師から次の亀山まで(さらにその先の関までも)は旧街道がそのまま残っていて、少しうねりながらいかにも東海道らしい佇まいを残している。それに街道の両側に民家が途切れないところも今までとは少し違っている。が、ただ相変わらず(この辺りも車社会なのか)道で出会う人は少ない。

938d954840d04cba9467173cdd47ab67 3e05a5264e9b4039aee59d8ff965853c

亀山に着いたところで今日はおしまい。歩行距離は22km。
JR亀山駅近くのホテルにチェックインし、ビールと鍋焼きうどんで疲れを癒す。

6d52b300d22b4c8cb35e8c45b63cffbc Strava20230107

 

|

« 2022年の私的出来事 | トップページ | 東海道を歩く XX(亀山から関まで) »

東海道五十三次」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 2022年の私的出来事 | トップページ | 東海道を歩く XX(亀山から関まで) »