東海道を歩く XIX(石薬師から亀山まで)
前回の五十三次ウォーキングは新型コロナウイルス感染拡大直前の2020年1月だったので、ちょうど3年ぶりの再開ということになる。
僕の記録(このブログ)では四日市あすなろう線の泊駅で終えたことになっていたのだが、後の二人が次の駅である追分だったと主張し、多数決で追分駅まで電車で行ってそこからスタートすることとした(のちに泊駅だったことが判明)。
スタート地点の追分は、宿場で言えば 四日市と石薬師の中間地点だ。
自宅(東京)の最寄駅を6時台に出て三重県の追分駅に10:14に到着。距離は414km、時速119km、全く現代文明はすごい。
そしてここからは時速4kmくらいののんびり旅。
あすなろう線は内部駅が終点、ここからは鉄道からは離れて国道1号に沿った道をしばらく歩くことになる。
途中にあった急坂(杖衡坂)、ここはまだ四日市市だ。
国道1号を歩く。あまり面白くない道だがしょうがない。
この先、途中に飲食店があるかどうか確信が持てないので早めに国道沿いのインドレストランで昼食を取ることにした。
しばらく国道を歩くと鈴鹿市に入り、程なく石薬師の宿場に着いた。
ここは万葉集研究で知られる明治の歌人、佐々木信綱の生家があるところで、道の両側にたくさん歌碑が並んでいた。
石薬師の本陣とその先にあった一里塚。東海道にある一里塚124のうち、日本橋から数えて102番目くらい。
次の宿場は広重の浮世絵の中でも有名な庄野宿だ。
浮世絵では横殴りの雨だが、今日はいい天気で冬にしてはウォーキングにちょうどいいくらい。早足だと少し汗ばむかも。
庄野は宿場としては規模が小さかったようだ。宿屋も少なかったらしい。
資料館の中に立派な高札(こうさつ、法令が書かれた看板)があった。資料館の人の話によると現存する高札の中では最も大きいものだそうだ。
石薬師から次の亀山まで(さらにその先の関までも)は旧街道がそのまま残っていて、少しうねりながらいかにも東海道らしい佇まいを残している。それに街道の両側に民家が途切れないところも今までとは少し違っている。が、ただ相変わらず(この辺りも車社会なのか)道で出会う人は少ない。
亀山に着いたところで今日はおしまい。歩行距離は22km。
JR亀山駅近くのホテルにチェックインし、ビールと鍋焼きうどんで疲れを癒す。
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