カテゴリー「東海道五十三次」の21件の記事

2023/01/08

東海道を歩く XX(亀山から関まで)

亀山のホテルに泊まって英気を養った分、今日はコンディションがいいはずなのだが、今日はいささか状況が異なる。
やっぱりコロナで家にこもっていた期間が長くて(それでなくても経年で)体力が衰えているのが明らか。
前日の疲れも完全に取れたとは言えず、今日は短めの距離にしておくしかない。

それに加えて、これからのルートは鈴鹿峠越えを含むので、距離と交通の便を考慮に入れて慎重に計画しなくてはいけない。
というわけで、今日は直線距離7km弱の次の宿、関までということになった。

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まずは亀山宿のど真ん中、本陣あたりから出発。
亀山は亀山城の城下町として栄えた。城は高台にあり、旧東海道も今のJR関西本線が通っている鈴鹿川沿いよりも一段高いところがルートになっている。本来はこちらがメインストリートなんだろうが、ホテルや大きめのビルなどは下の駅に近いところに集まっており、商店街のアーケードが続いている割には賑やかさから取り残されたようにひっそりとしていた。
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マンホールに描かれているのは、亀山城の多聞櫓だろう。

この亀山から関につながる街道はいかにも旧東海道という趣があって良かった。三島や由比と並んで街道屈指ではなかろうか。

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写真左は野村の一里塚(105番目)は当時から現存するもの。右は布氣皇舘太(ふけこうたつだい)神社への参道。

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この景色は広重の時とさほど変わりはないように思われる。

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関宿の入り口に着いた。

この宿場町は見応えがありそうだけど、ゆっくりの見学は次回にして、JR関西本線の関から名古屋経由で帰ることにした。

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今日の踏破距離は今までで最短かも。
それでも結構疲れた。次回は体力をつけて臨まなければなるまい。

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2023/01/07

東海道を歩く XIX(石薬師から亀山まで)

前回の五十三次ウォーキングは新型コロナウイルス感染拡大直前の2020年1月だったので、ちょうど3年ぶりの再開ということになる。
僕の記録(このブログ)では四日市あすなろう線の泊駅で終えたことになっていたのだが、後の二人が次の駅である追分だったと主張し、多数決で追分駅まで電車で行ってそこからスタートすることとした(のちに泊駅だったことが判明)。

スタート地点の追分は、宿場で言えば 四日市と石薬師の中間地点だ。

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自宅(東京)の最寄駅を6時台に出て三重県の追分駅に10:14に到着。距離は414km、時速119km、全く現代文明はすごい。
そしてここからは時速4kmくらいののんびり旅。

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あすなろう線は内部駅が終点、ここからは鉄道からは離れて国道1号に沿った道をしばらく歩くことになる。

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途中にあった急坂(杖衡坂)、ここはまだ四日市市だ。

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国道1号を歩く。あまり面白くない道だがしょうがない。

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この先、途中に飲食店があるかどうか確信が持てないので早めに国道沿いのインドレストランで昼食を取ることにした。
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しばらく国道を歩くと鈴鹿市に入り、程なく石薬師の宿場に着いた。

ここは万葉集研究で知られる明治の歌人、佐々木信綱の生家があるところで、道の両側にたくさん歌碑が並んでいた。

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石薬師の本陣とその先にあった一里塚。東海道にある一里塚124のうち、日本橋から数えて102番目くらい。

次の宿場は広重の浮世絵の中でも有名な庄野宿だ。
浮世絵では横殴りの雨だが、今日はいい天気で冬にしてはウォーキングにちょうどいいくらい。早足だと少し汗ばむかも。
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庄野は宿場としては規模が小さかったようだ。宿屋も少なかったらしい。

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資料館の中に立派な高札(こうさつ、法令が書かれた看板)があった。資料館の人の話によると現存する高札の中では最も大きいものだそうだ。

石薬師から次の亀山まで(さらにその先の関までも)は旧街道がそのまま残っていて、少しうねりながらいかにも東海道らしい佇まいを残している。それに街道の両側に民家が途切れないところも今までとは少し違っている。が、ただ相変わらず(この辺りも車社会なのか)道で出会う人は少ない。

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亀山に着いたところで今日はおしまい。歩行距離は22km。
JR亀山駅近くのホテルにチェックインし、ビールと鍋焼きうどんで疲れを癒す。

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2020/01/12

東海道を歩く XVIII(桑名から四日市まで)

熱田からJRを乗り継いで桑名まで移動した。距離が捗って電車のありがたみを痛感する。

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桑名駅から渡し場まで行ってそこから東海道のスタートとなる。

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桑名もゆっくりと見て歩きたい街だった。

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桑名から歩いて近鉄の伊勢朝日駅で一旦終了。四日市のホテルに一泊してまた翌日朝から再開することとした。

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さて、2日目。四日市に入る。マンホールに描かれているのは市の花のサルビアだろうか。

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なかなか風情のある造り酒屋があったのだが日曜ということでお休み、残念。

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今回に限らずこの旅で気になっていることがいくつかある。一つは街を離れると表を歩いている人がほとんどいないということだ。移動手段はもっぱら車。戸建ての家にも複数台の駐車スペースがある。高齢になっても車を運転せざるを得ない生活環境を生で感じる。
もう一つは昔ながらの木造建築物の老朽化が目立つこと。廃屋も目につく。これも今後どんどん姿を消して行くことになるのだろうか。
その一方で玄関先や前庭を花や草木で丹精込めて綺麗に飾ってある家もたくさんあって、これは近年戸建てがすごい勢いでマンションに建て替わっている東京では徐々に消えつつある風景だなと思う。

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四日市に手弁当で観光案内をしているスポットがあった。

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旧東海道がアーケードのついた商店街になっているところを通り過ぎる。

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2日も続けて歩くと疲労もたまる。四日市あすなろう鉄道の泊駅を今回の着地点とし、桑名まで戻って名物焼きハマグリをいただいてから帰京した。焼きハマグリ2コで1600円だって!貴重なんだね。

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今回は2日間かけたおかげでずいぶんはかどった。この先は鈴鹿峠越えも控えている。交通手段や宿も含めて慎重にスケジュールを組まないといけなさそうだ。

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2020/01/11

東海道を歩く XVII(池鯉鮒から宮まで)

東海道を歩く企画も名古屋目前になってきた。旧東海道では宮(熱田)からは船で桑名まで渡ることになっている。現代では渡し舟はないので、その区間は電車で移動することにして、今回はとりあえず宮宿を目指す。スタート地点は豊明市の名鉄「前後駅」から。

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豊明市の観光地図の下には市のマスコットとして「のぶながくん」と「よしもとくん」の絵が。
言うまでもなく織田信長と今川義元の名前を拝借してる。
程なく行くとこの二人が1560年に戦を交えた「桶狭間古戦場跡」があった。

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豊明市から名古屋市に入るとすぐにレトロな街並みの「有松」と言う村に入る。
伝統工芸品の「有松絞り」で有名らしい。観光客も多く、しかも一眼レフカメラを下げたおじさんが多かったのも印象的。

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次の一枚は町家カフェ&ゲストハウス「MADO」の軒先に下げられていたもの。納豆ではないよね?

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お昼どきになったのでうどん屋を探して、きしめんや鍋焼きうどんで腹ごしらえ。

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鳴海宿(特に何も見当たらなかった)を過ぎ、笠寺も越えてひたすら名鉄沿いに歩く。

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宮宿(名古屋市熱田)の七里の渡しに到着。

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2019/05/11

東海道を歩く XVI(岡崎から池鯉鮒まで)

東海道五十三次の旅も今年は3回目ということで順調に進捗している。前回の終着点だった矢作橋駅からスタート。

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今回は I氏の奥さんも同行して4人での道行きとなった。

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途中に樹齢350年の「雲竜の松」という大木に遭遇。幹が横に広がり過ぎてもはや自立できないので柱で支えてあった。

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来迎寺の一里塚前で。

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道路の歩道に太い3本線が描いてあるのをちょくちょく見かけるが、これはどういう意味があるのだろうか。

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ここの松並木もきちんと保存してあって見事だった。

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池鯉鮒と書いて(ちりふ→ちりゅう)と読む。現在の地名は知立だ。

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ここはあんまきが名物らしい。暑かったこともありアイスあんまきを食す。

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タイルに描かれているのは「知立まつり」の様子。山車を傾けるのが特徴のようだ。山車の上で上演される文楽はユネスコ無形文化遺産になっている。

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今回もまたちょっと中途半端な地点ではあるが、池鯉鮒宿と鳴海宿の中間地点である名鉄の前後駅で終了。街道が私鉄に沿っていると宿場にこだわらずに適当な場所で終わらせることができて便利ではある。本日の距離は19km。

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2019/03/24

東海道を歩く XV(赤坂から岡崎まで)

今日のスタート地点は豊橋から名鉄に乗り換えて御油の先の本宿駅(愛知県岡崎市)から。

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位置的には赤坂宿と藤川宿の間ということになる。

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街道から少し入ったところにあるお寺の中の早咲きの桜が綺麗だったのでちょっと立ち寄ってみた。

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するとそこは片目不動尊(明星院)と言って徳川家康にゆかりのある伝説を持つお寺だった。地元のおばあちゃんに捕まってしばらくお話を拝聴。

お昼に味噌煮込みうどんを食べ、また歩き続ける。

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こちらは大岡越前の陣屋跡。

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岡崎に入ると二十七曲りというジグザクの道を進まさせられた。曲尺手と同じく大名同士が鉢合わせしないための工夫だろうか。あちこちに標識や碑があって楽しい。時間的余裕があれば岡崎城を見学したいところだが、くねくね曲がっているうちに疲れてもきたのでそのまま東海道を行くこととした。

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名古屋圏らしく老舗の八丁味噌のお店もあり。甘味処でちょっと休憩して英気を養う。

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今回はずっと名鉄に沿って歩く形となった。岡崎市を流れる矢作川を渡ったところ(名鉄矢作橋駅)で終了。進んだ距離は20km。遅々とした歩みだが、回数をこなせば割に京都は近いかも。みんなが時間を作りやすくなってきているのも寄与しているね。

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2019/01/20

東海道を歩く XIV(吉田から赤坂まで)

前回の豊橋(吉田宿)からスタート。朝品川から新幹線に乗って豊橋で降りる。天候は晴天。

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その名も「とよはし」を渡る。川は豊川、河口から少し陸に入ったところではあるが魚市場があった。

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昔の道路の上に新しく橋を架け替えた後も旧橋を残しておいたらしい。

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御油宿は磐田から浜名湖を迂回している姫街道の終着地でもある。今に残る松並木が見事だった。

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本陣跡に立て札(高札)があり、この内容(何が御法度だったか)が興味深い。密告が奨励されているのもいかにもという感じだ。「五人組」っていう仕組みもあったっけか。

正徳元年というのは西暦では1711年、第6代将軍徳川家宣のとき。

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御油から赤坂までは16丁(2km弱)で、宿間としては五十三次の中で一番距離が短いのではなかろうか。

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本宿まで20kmほど歩いて今回はここで終了。

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2018/11/10

東海道を歩く XIII(白須賀から吉田まで)

前回の五十三次は雨模様だったが、今回は果たしていかに。

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前回雨宿りした白須賀郵便局からのスタート。天気は快晴。
ただしここは鉄道の駅からは遠い。なので実は浜松在住の友人に白須賀まで車で送ってもらったのだった。

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天気は良いが、風も強い。あたりはキャベツ畑が多かった。
バス停があったので時刻表を見たら、なんと平日に1本だけの運行らしい。すごいな。

ようやく数年かかって静岡県を歩き終え、愛知県に入る。

二川宿は東海道33番目の宿場町だ。干し柿を作っている人たちに遭遇。
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二川宿は昔の風情も復元していて見応えがあった。

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お昼の時刻になったので、豊橋名物カレーうどんなるものをいただく。
(カレーうどんの下にとろろとご飯が埋まっているという代物だった)

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もう一つ、豊橋名物といえば「手筒花火」。以前にテレビで見たことはあったが、ちょっと危険きわまりないんじゃない?

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お江戸日本橋から260kmの地点まで来た。

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豊橋(吉田宿)は旧東海道の案内には力を入れてないようで、表示も少ないし、沿道に昔の建物なども見当たらなかった。
ただ本陣の手前は旧東海道がジグザクとなっていたので、これは前回の時も見た「曲尺手(かねんて)」だというのが分かって面白かった。

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豊橋駅で今回は終了。歩行距離17km。浜松餃子にビールで乾杯。

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2018/09/15

東海道を歩く XII(浜松から白須賀まで)

浜松の友人宅に泊まらせてもらって、今日は高塚より先へ3人で進む。どこまで足を伸ばせるやら。

天気は前日に引き続きあまり良くない。予報でもこれから下り坂とのこと。
高塚駅で進行方向を確認。まっすぐ西へ進めば浜名湖のはず。
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程なく舞阪に着く。ここの松並木は綺麗だった。
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舞阪宿本陣跡と脇本陣。
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海岸沿いで高い場所がないので津波災害時の避難場所が設置してあった。
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お昼を「魚あら」というお店で。お勧めの活天丼。2階のお座敷からは浜名湖を眺めることができ、人気のお店だった。
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今切りを過ぎ、新居の関所へ。

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このあたりから徐々に雨足が強くなってきた。ついでに道も山道へ。

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潮見坂を登りきったところが白須賀宿だった。せっかくのビューポイントも雨で霞み。
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道がくねくねしているのはこれが理由らしい(曲尺手)。
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雨がさらに強くなり、白須賀郵便局まで進んだところでギブアップ。タクシーを呼んで近くの鉄道駅まで運んでもらう。
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浜松まで電車で戻り、今日の打ち上げ。お疲れ様でした。
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2018/09/14

東海道を歩く XI(見附から浜松まで)

東海道を歩く。
今日は磐田から浜松の先の高塚まで。天竜川越えの約20km。

家をゆっくり出てスタートはJR磐田駅から。今日は一人(同行の二人は既に踏破済みのため)

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天竜川を渡る。だいぶ雨がひどくなってきた。

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ひたすら歩いて浜松市内に到着。楽器博物館に寄る時間がないのが残念。

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目的地の高塚駅に到着。夕方6時近くになってしまった。

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明日はまたその先まで行く予定。

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