カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

2008年11月13日 (木)

フロンガス消火

そういえば先日のロシア原潜の事故。誤って消火器を作動させたのが原因とか。

今年の夏、会社で借りているコンピュータサーバーのデータセンター(災害などのリスク管理の観点から会社のコンピューターはオフィスとは別のより安全なところに設置している)に見学に行ったときのこと。
センターの案内係の説明、

「万一、火災が起きた時もスプリンクラーなど水で消火作業をするとコンピューターがダメになってしまいますので、この部屋では急速に酸素をなくすことで消火作業を行います」

「酸素が無くなるって、そしたら呼吸は?」

「もちろん呼吸はできず危険ですから、そのときは直ちに退出避難していただきます」

あんときゃそのコンピュータールームの中にいるのがおっかなかったなあ。
みんなでガス室から避難するかのようにこわごわ退出したのだった。

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2008年11月 9日 (日)

色違い

大統領選で負けた共和党の敗因の一つに副大統領候補ペイリンがアホだったからというのがあって、ペイリンはアフリカを一つの国と思っていたというのが選挙後の今になってさえしきりに喧伝されている。

一つというのはあまりに無茶な話だけど、アフリカには実に54もの国があるそうだ。改めて世界地図を見てみるといろんなところに知らない国がいっぱいある。

しばらく地図帳を眺めていたが、巻末に 各国の国旗が載っていた。
国旗もそれぞれの国の意匠が凝らしてあって面白い。例えばアフリカのケニアやスワジランドは槍と盾だし、太平洋のマーシャル諸島は「これから日が昇るぞ」という感じの勢いあるデザインで国の特徴を良く表現している。

一番単純なのはベタの緑一色、アフリカのリビアだ。これが棒の先でたなびいていてもとても国旗とは気がつかないほどの謙虚さ。

次に単純なのは横に2分割。赤黒のインドネシア、青黄色のウクライナ、白赤のポーランド、赤白のモナコの4カ国。

一番多いのが3分割。
イタリアやフランスタイプの縦に3等分の国が10ヶ国、
ドイツのように横に3等分の国が13カ国もある。
これらは区別がつかなくて紛らわしいよね。

鷲やライオンなどの込み入った絵が入っているのは見ていて面白いが自分の国の国旗を描かなきゃいけないときには大変だろうなと余計な心配をしてしまう。

ところで日本のそれは誰もが描ける日の丸だが、まったく同じデザインの国が2つもあった。青地に黄色がパラオ、緑地に赤丸がバングラディシュだ。知らなかったなあ。よほど親日の国なんだろうか。

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2008年11月 8日 (土)

異なる心象風景

主に電車で移動する人と車で移動する人とでは地図の捉え方が違うと思う。つまり前者は鉄道の路線に沿って位置関係を把握するのに対し後者は道路に沿っているからだ。例えば高円寺から江古田を例にとると、車派は「あ、環七で1本だからすぐだね」と思うだろうが、これに対して電車派は瞬時に、中央線で新宿→乗り換え山手線池袋→西武線江古田のラインが想起されてしまい、「ひょっとして近いかもしれないけど時間かかって遠そうだな」と思ってしまう。あるいは車で移動した時に「あれ、こんなに近かったのか」と思うだろう。これは地理的に江古田が高円寺の北に位置していると頭で理解している場合であってもそうだ。言ってみれば鉄道路線図に沿って脳内地図が広がっているという感覚だ。

ふと、異なる作曲家のマニフィカト(シュッツ、バッハそしてモンテヴェルディ)を立て続けに聴いて同じことを思った。

自分はこれらの曲に器楽でしか接していないので音楽的要素ばかりが耳に残っていて、この3つを全然別ものとして聴いている。しかしながら、ひょっとして歌の人たちの心象風景は全く違うのではないか?

ミサ曲やマニフィカトなどのラテンを原典とする宗教曲では歌われる歌詞は基本的に全く同一である。つまり同一の歌詞に古来いろんな作曲家がその人なりの音楽をつけたというわけで、
Magnificat anima mea Dominum (私の魂は主をあがめ)に始まって
Et exultavit spiritus meus (私の霊は喜びたたえる)と続き
Gloria Patri et Filio(父と子と精霊に栄光あれ)などなどを挟みながら
Sicut erat in principio (はじめにそうであったように、)で終わる
この一連の歌詞は順番も文言も同じなのだ。

つまり、歌を担当している場合、いやでも同じことを歌う訳で、そうすると歌詞優先で脳内地図ができあがるんだろうか。例えば「バッハのFecit potentiamはわくわくして好きだけど、モンテヴェルディのは歌の部分が地味で面白くない」みたいな感じで。あるいはモンテヴェルディのGloria Patri のソロの感覚を援用してバッハのそれを歌ってみるとか。ああ、今まで考えたこともなかったな、そういうふうに縦横につなげるなんて。

冒頭の例で考えると当然のことながら車で移動する人は電車も利用する訳で、地図情報がより細かくかつ正確にインプットされているに違いない。
ここでの歌い手はおそらく車派、器楽オンリーは電車派と考えると、僕らはその分地図が見えてないわけで、ハンディキャップを負っていると考えた方が良さそうだ。歌詞を覚えて脳内シナプスを増やす必要があるね(だからOPTの練習の時に指揮者に、オケであっても歌詞が頭に入っているのは当たり前だろ、とくどく注意される訳だね)

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2008年11月 2日 (日)

秋晴れ

昨日はいい天気だった。
珍しく家の中の掃除。
普段こまめにやればいいんだろうが、なまけものなもんで。
とりあえず窓ふきから始めたら午後でかける時間まで止まらなくなった。

「父、掃除しない?」
娘の言葉がきっかけ。
親を動かすのがうまいよ、この娘は。

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2008年10月31日 (金)

ダイナミックレンジと音程

自明の理かもしれないが、
最近いくつかの演奏会を聴いたり出たりして思ったこと。

上手いオケはダイナミックレンジが広い。
しかもピアノもフォルテもうるさくない。

そのためには音程が合っていることが前提にある。

メンバー一人一人の表現力(音量という捉え方をするとダイナミックレンジとなる)が広くて自在。しかもピアノもフォルテも音程がぶれない。これが基本。

これがそうじゃないと、ピアノだからと言っていくら小さく演奏したり人数を減らしたりしても「わさわさ感」がぬぐえない。フォルテで大きく演奏したつもりでも力強いコードが響かず単にうるさいだけだ。どちらにせよただ様々な音が出ている状態になっていて必然的にダイナミックレンジも中庸になってしまう。

上手くないオケ(あるいはもっと上手くなりたいオケ)はもっと基本練習をして「こうあるべきコード」を体感する必要があるだろう。もちろん自戒の意味もこめて。

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2008年10月27日 (月)

これで辞めました

「アマオケは楽しいですか?」の続編


自分の場合、

次の理由でモダンのオーケストラを辞めました(1995年のこと)

・レパートリー(大編成)に魅力を感じなくなった
・週一回の練習(テュッティ)で練習をした気になっているが、実際のところ楽器をさらっていない、個人練習してない
・(ラッパパートだけじゃなく)パート割りなどオケ運営に疑問が生じた
・自己満足に浸っているのがカラオケ文化みたいで嫌になった
・とにかく大音量が嫌いになった(ラッパ吹きなのに矛盾はしているね)
・他にやりたいこと(バロック音楽)が出てきた


次の理由でブラスアンサンブルを辞めました (1997年のこと)

・やりたいことはほぼやった気がした
・仲間との温度差(熱意)にギャップを感じた
・団をひっぱっていくのに疲れた
・他にもっとやりたいこと(バロック音楽)があった


次の理由でOPTをやっています (2004年から)

・他に類のないアマチュアの古楽オケだから
・(自分が)ナチュラルトランペットでどこまで追求できるかの途上にあり、それを団が許容してくれるから
・指導者の音楽作りと熱心さがいいと思うから
・自分のホームグラウンドが一つくらい欲しいから(帰属意識)


次の理由であちこちでエキストラをやっています

・自分のラッパの技術を伸ばしたい
・ナチュラルでのレパートリーを増やしたい
・とにかく場数を踏みたい (本番は何にも増して貴重な機会)
・ナチュラルトランペットの良さをいろんな人に聴いて欲しい(布教活動)


整理してみたらやけにエラそうだな〜 と思ってしまった。ま、実際エラそうにしてるわけですが。すんません。

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2008年10月26日 (日)

アマオケは楽しいですか?

雨後のタケノコのように増えるアマチュアのオーケストラ。
有名なサイト、Freudeとかみると首都圏とかほんとにこんなにあるのかと驚くくらいオーケストラが存在する。


アマオケの求心力って考えてみると3つなのかなと思う。
1. とりあげる曲 (や演奏会場)
2. 仲間のオケメンバー
3. 指揮者

とにかくショスタコやりたいんだとかマーラーやブルックナーを大音量でやると恍惚とするとか死ぬ前にバッハのカンタータの世界に溺れてみたいとかとりあえずサントリーホールで演奏できたら幸せっていうのが1。
技術レベルの高い人たちと合奏したいとか練習や本番後の飲み会が楽しみとかなんとなく大学オケからのしがらみでOBオケに入ってますとかが2。
この指導者の元で一緒に音楽をやりたいとかこのオケはいつも魅力的な指揮者を呼んでくるとかが3。

オケ活動がつまらないというときはこのいずれか(もしくはその複合)が満たされないとき。 それ以外の項目でオフセットできなかったら「このオケ辞めようかなー」ってことになる。

一番楽な解決法はその3つの総計が一番満たされるオケを探して移籍するという方法。かといってそんなに条件の合うオケがそうそうあるわけじゃないし、あっても都合良くすんなりと入れるとは限らない(往々にしてそんなオケはメンバーが足りてたりオーディションがあったり狭き門になっている)。

理想的なのは自分がすべてに満足できる新しいオケを作ることだけど、これは大変な労力とストレスを抱え込むことになるから相当な覚悟がないとできないし、万一できたとしても自分が満足いったからといって他のメンバーにとっても理想のオケだというものでもない。不満分子を抱え込む。少人数のアンサンブルでさえ(だからこそと言うべきか)作ってやっていくのは大変なことだからこれは自明。

アマの場合、生活がかかっているわけではないから、割り切って嫌いなことはやらない、好きなこと・納得できることだけをやるという姿勢も当然選択できる。 そこまで割り切れないけどオケをやることに未練があるなら自分が不満に思っていることを排除していくしかない。すると結局オケの中で変えて行く努力をするか、意識して目をつぶるかの2者択一ということになる。で、一番ありがちなのはとりあえずそこらへんは目をつぶって流すパターンだろうか。なんとなく習慣でオケ生活を続けているというか。練習後に酒飲んで憂さ晴らし。

所詮暇つぶしと考えればなかなか悪くはない時間の使い方かも。特に僕らのようなサラリーマンにとってみるとね。
まあ、多少の不平不満を抱えつつそういったなんだかんだが面白くてみんなオケを続けているんだろうね。そう思うとやっぱり社会の縮図ということになるんだろうか。趣味の世界なのにね。

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2008年10月22日 (水)

さらにアイスランドネタ

またまたで恐縮だけどアイスランドネタ。

今朝の朝日新聞朝刊1面トップはアイスランドでの円建てローンの話。
彼の地では円でお金を借りて住宅や車のローンに充てるのがはやっていたとか。
15%のクローナの金利に比べればそりゃ低金利の円が人気になるのも道理。
ただそこに為替リスクという大きな落とし穴があったということで。

つまり日本人はアイスランドクローナに投資をして損をし、アイスランド人は日本円で借金をして損をしたって訳だね。やっていることは反対のようでいて、実のところは円→クローナという流れは同じだから図らずも同じ船に乗っていたということだ。得をした人はいない。皮肉なもんだよねえ。

新聞記事を最後まで読んでたら取材者名に懐かしい名前が。大学オケのチェロの先輩だ。ご活躍のようでなにより。

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2008年7月20日 (日)

うちにも来ました

社会保険庁からきた郵便物。

「ねんきん特別便」

いわゆる年金記録の確認書だ。今までのサラリーマン生活、大きい転職は3回、つなぎの国民年金が1回、きちんと記録されていた。

ちょっと安心。

そういえば卒業後最初に就職した会社の厚生年金事務担当の方は定年後嘱託再雇用のおじいちゃんだった。僕が転職するとき「これは大事な記録なんですからきちんと引き継いでおきますね」と念をおされたことを今ふと思い出した。もう20数年前の話だ。

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2008年7月19日 (土)

ささやかながら

血圧を測っていて、数値が「好きなカンタータのBWV番号」に一致していたりするとなんだかうれしくなる。

今朝は上が147、下が110だった。

なにかいいことあるかも。

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2008年7月14日 (月)

iPodのその後

先日間違って消去してしまったiPodの音楽。
消去前は10,000曲を優に越えていたのだが、旅行前にそれなりに入れとこうと思いラッパ主体にガンガンコピーしたらとりあえず3,700曲くらいになった。

初期バロックとバッハとトランペットとあと多少のクラシック

とりあえず入っているのはその4種類だけなんだが。

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2008年7月 9日 (水)

マラ5

昨日あんなことを書いたせいか、マーラーの5番の練習をやっている夢を見た。しかも冒頭のところのトップを何度も吹かされる夢。ラッパにダメだしをされてるというよりは1楽章をちょっとやっては「はい、また頭からお願いします」って。指揮はヤマカズのような違うような。なんなんだろうねこれ。
あ、楽器はモダンのB管を使ってました。

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2008年7月 8日 (火)

比喩

ラッパ吹きの目からみると、

バッハのロ短調ミサとクリスマスオラトリオはそれぞれマーラーの2番と5番のシンフォニーに例えられるなー となんの脈絡もなく思いついた。
いずれも大曲。ラッパは重要な役割を与えられているし目立つ。でもその目立ち方がそれぞれの2曲では違うんだよね。

どこがどう違うのかって説明してもくどくなるだけだから省くけど。ま、あくまでもラッパ吹きの立場ではって話。

自分のアップしたYouTubeの映像がチリやイスラエルでも見られているのか、と思うと文明の利器ってすごいなと感心する今日この頃。

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2008年6月30日 (月)

カウンター

バーや飲み屋のカウンターのことではない。
回数記録機能、いわゆるブログ訪問者数とかの類い。
なきゃいいのについていればいたで何かと気になってしまう。
あるいは全然気にならない人もいるんだろうか。

おととい初めての試みでYouTubeに2年前のカンタータの演奏の映像をアップしてみた。
人知れずこっそりと載せた訳だから当然閲覧者数も少ない。
少なければ少ないで(なんとか増えないかな)と思ってしまう。
ついつい(何回になったかな)と何度もチェックしてみたり。
ここらへんの心理は微妙だね。
カウンターが罪作りなのかも。

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2008年6月29日 (日)

昨日できたこと 今日やったこと

昨日
You Tube に動画をアップするやり方が判った。

今日
動画をiPodに入れようとして入っていた音楽を全部消去してしまった。
凹む。


というわけで、You Tube の動画はこちらです。

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2008年6月28日 (土)

飲み会

昔の仲間との飲み会続き

その1)
前の前の会社のときの同僚(後輩)たち3人と八丁堀で。1人は僕と同じく他社へドロップアウトしてしまったが、後の二人はそこに勤め続けていて、それぞれ要職の部長になっている。
共通の話題はやはり会社のことになる。誰がどうしたとか、あの人の今はとか。しかし離れて10年も経つと忘れていること多いね。誰某といわれても思い出すのに苦労したりついに思い出せず仕舞いだったりする。

その2)
大学オケ同期5人で銀座イタリアンで飲み。こちらは1人を除いてみな転職組。卒業して30年近く経つとどういうふうに人生転がるか判んないもんだ。社会的立場は違ってもそれぞれの間柄は大学当時のまま。共通の後輩のことにからむ話題でかなり盛り上がった。
ワインをおおいに飲む。4人(1人は下戸なので)で何本空けただろう。
かなり酔ってお開きに。実はその下戸の奴は僕と同じマンションに住んでいるので乗り過ごしもなく安心して帰れた。

今は軽い二日酔い状態。

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2008年6月17日 (火)

るるぶ in NY

7月初旬にNY出張。
それはいいが何かと勝手が分からない。
Airline, Hotel, アフター5の時間の使い方。
これがロンドンだといくらでもプランが膨らむんだが。

最後に彼の地に行ったのはいつのことだっけか。
90年代前半?
NYはいつも仕事。時間がなかったのも一因だけどね。

誰かお奨めるるぶプラン(泊るとこ、食べるとこ、遊ぶとこ)あったら教えて。

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2008年6月 9日 (月)

意外と正直な自分

この間タクシーを拾って乗ろうとしたら後部座席の足下に男性の財布が落ちているのを見つけた。財布は2つ折りのタイプで、お札とカードが数枚入っているのが見えた。

「あ、運転手さん、落とし物みたいですよ」

そのまま運転手に渡す。

「カードが入っているから持ち主はすぐ分かりますね」

意外と正直な自分にちょっとびっくり。
というか、財布を手渡す前にお札を数枚失敬するなんて機転がとっさに利かなかっただけなのかも。
〜あとで(ちょっともったいなかったかな)なんて思ったり〜

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2008年5月16日 (金)

思い煩わない

ラッパの演奏のこと

手近な話、今度演奏するテレマンのコンチェルト、1楽章が冒頭からずっと吹きっぱなしのうえ曲の最後がハイノートになっている。
で、最近はこれを本番感覚で練習しているのだけれど、どうしても曲の吹きはじめから(今回は最後まで保つだろうか)という想いを抱きつつ演奏している自分がいる。

出した音に囚われない(なぜならそれは過去だから)、
先のことは思い煩わない、
常に今に集中しながら演奏する

これだけのことがなかなかできない。

多分出来たりできなかったりする不確実性と、今をセーブすればあとまで保つ可能性が高くなるんじゃないかとかいう姑息な考えがまじって余計なことを考えてしまうんだろう。

まずは何度やっても確実に吹けるという状態にするっていうのが一番の解決法。あとはその瞬間にどれだけ集中しているかという集中力の問題。


「だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう」(マタイによる福音書6-34)

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2008年5月 8日 (木)

早起き

だいたい会社には毎朝7時前後に到着するようにしている。一般に比べると早いのかもしれないが、朝9時の市場開始までに済ませておきたいことがなにかとある(ミーティングも含む)のでこれでちょうどいい感じ。

同じ駅を利用しているエコノミストのK氏はもっと極端で毎朝始発で出勤すると言っていた。仕事開始が5時ちょっと過ぎってことだね。彼にしてみると朝誰もいない静かなオフィスのほうが分析に集中できていいとのこと。その気持ちよく分かる。

ちょっと気になって昨日どれくらい早出の人がいるのか調べてみたら、5時台に出勤している人が4人もいてちょっとびっくり。100数十人の会社なんだけど、みんな結構早起きなんだね。ご苦労さまです。

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2008年4月13日 (日)

パーセル大好き

今日は1日CDと楽譜の整理。
ついでに曲目の選定。

家にあるパーセルのCDを全部整理しながらiPodに入れたんだけど、いやあ、パーセルってやっぱり大天才、いい曲が多いわ。あれもこれもやりたくなってしまう。

一番好きな曲集は1694年のメアリー王女ためのバースデーソング Come ye sons of art だな。それから次にオペラ「アーサー王」。でも劇場音楽の小品たちも捨てがたい。

とは言いながら、イギリスものをやるときにはやっぱりイギリス人には勝てないような気がする。というのも、以前にナチュラルトランペットの講習会がイタリアであったときのことだけど、イギリス人のプレーヤーと組むことがあって、それまでイタリアものとかの曲では(うぬぼれだけど)こっちのほうが音楽的に上手いんじゃないって感じだったのに、曲がパーセルのドンキホーテのThe Genius of England になったとたんに急に彼のセンスが良くなった。というかそのイギリスくささに全然太刀打ちできなかった。うーむ、やはりお国の音楽をやるときは違うのね。彼らにとってみれば子守唄とか演歌って感覚なんだろうなあ。あんときゃ負けました。

ま、でもいい曲はいずれにせよいい曲。東洋人がやっちゃいけないという道理があるわけでもない。 じっくりと選ばせてもらおう。

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2008年4月 8日 (火)

久しぶりに

コンサートを企画しようという意欲が湧いてきた。

一つは室内楽。
歌を入れるか別の管楽器(といってもオーボエになっちゃうけど)を頼むか。
テーマを絞るか総花的にするか。

一つはトランペットアンサンブル。
これはプログラミングがかなり制約される。
変化をつけるにはどうするか。

あれこれ考えるのが楽しい。

とりあえず場所と人を押さえなくちゃね。

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2008年3月30日 (日)

4月から扶養家族が一人減ることになるので会社の人事の人に必要な手続きをお願いする。
扶養家族の緑色の書類、かっては妻、子3人の合わせて4人の名前をいつも書いていたのに、妻が抜け(離縁した訳ではない、働き始めただけ)、長男が抜け、今度は長女が抜けて今では次女の一人のみ。

なんかしみじみ人生の秋だなあと思ってしまった。

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2008年3月25日 (火)

今日の反省


長女の卒業式だった。
ちょっと長めの学生生活に終止符を打ち、この春から社会人。
「おめでとう」

ところで、その卒業式。学生数が増えたせいか、父兄は学生と同じ式場には入れず別の会場で巨大スクリーンを見ながら参列することに。臨場感には欠けるけど、式場には複数カメラが据えてあっていろんなアングルから式が見られるという利点もある。当然スクリーンに向かってフラッシュをたく人もたくさん。

卒業証書は一人ずつ名前を呼ばれて壇上で学長から手渡しされる。やっぱり写真はとらなくちゃね、という思いとこういう暗い会場でスクリーンを撮ってもまともにゃ写らんだろうなという気持ちが交錯。でも結局撮ろうという思いが勝った。
娘の数人前からカメラ(デジカメ)の電源入れてスタンバイ。いよいよ次は我が子っていうときに


オートパワーオフ?


ありゃりゃ、電源入れ直し、とかやっているうちにいい場面は過ぎてしまい、かろうじて壇上から降りるところの娘の姿を撮影。当然ぼけぼけ。

なにやってんだか。

子供の卒業式を見に行って、一番肝心なところを見損なったってわけだ。

そういや子供たちがまだ小学生の頃、運動会とかを見に行って、ビデオ撮影とかをしていると結局ファインダーの中だけ覗いていて肉眼では何も見てなかったことに気がついてからはビデオ撮るのはやめよう、自分の目でしっかり見ておく事にしようって反省していたのをすっかり忘れていた。反省が活かされてないよね。

写真は外で集合写真を撮っているようす。
天気が良くてほんと良かった。Outdoor


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2008年3月 8日 (土)

行事が目白押し

忙しいのが好きっていう人がいるが自分は違う。
平日朝早い仕事のサラリーマンなのでなるべく用事は入れないようにしている。
常設のオケとかアンサンブルにも所属してないので基本的にはヒマだ。
でも5月にちょっと用事が立て込んできはじめた。

中旬にバッハのカンタータ。これはいい。
その翌週信州でコンチェルトどうかというありがたいお話。頑張る。
最終週は仕事関係のイベント、去年もやったパネルディスカッション。ま、なんとかなるか。
その次の日、仕事がらみの講演というか授業。しかも10時から5時までの6時間。資料も作らなきゃならないし、これがやっかい。
5月末からは目白バ・ロックだったよね、今年は多分出番ないと思うんだけど。
それからその間隙縫ってシンガポールに出張に行かなきゃいけないかも。

出張はともかくとして、どれも準備さえしてればいいってはなしなんだけどね。期日が迫らないと腰を上げない質なもんで。

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2008年2月26日 (火)

こういう感覚か

風の強かった日、

われらが京葉線は風に弱い。
東京駅を出てしばらくしたら家人からメールがきた。
「風強いけど電車大丈夫?今どのへん?」

電車は東京の次の八丁堀を出たばかりのところ。

メールを見て返事を打とうとして一瞬はっとする。

・・・・・・

次の駅名が出てこないのだ。

路線としては次の地下の越中島駅を過ぎると地上に出て潮見駅となる。
その次は快速も停車する新木場駅という順番。

新木場に至るまでに駅が2つあることは認識している。でも名前がぽっかりと欠落している。毎日通っているのに。

しばらく思い出そうと試みたが、やがて諦めた。
で、こう思ったんである。

「惚けていくってこんな感覚の積み重ねなんだろうか」

だんだん周りの事に関心がなくなってどうでもよくなる、それが始まりなんだろうな。というかもう始まってるし!

やばいよ。

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2008年2月24日 (日)

街の文化度を測る

自分の住んでいる街の最寄り駅は京葉線の新浦安である。
ここはいわゆる新興住宅地で、東京湾寄りの埋め立て地にマンションがまだまだ続々と建築中であり人口は増加の一途、駅前にもダイエー、アトレ、モナなど複合商店街が林立し、普段の買い物などは楽にできて便利な地域だ。

このアトレの中にゴディバの店ができた。ベルギーチョコレートの、である。なんだかなあ。「それはちょっと違うんじゃないの」という気がする。ここはあくまでも生活圏のショッピングモール、いわばケの空間だ。隣の駅、舞浜(イクスピアリの中)にあるのは分かる。あそこはハレの場だし、ティファニーとかそれなりの店が並んでいるし。

それはそうと、今日音楽の友の最新号を見ようと思って新浦安駅前の本屋さんに行ってみた。駅前には3つ(以前は4つあったんだが)それなりの規模の本屋さんがある。ところが、3つとも回ってみても見当たらない。レコ芸(レコード芸術)も1つの本屋さんにあっただけ。そんなに量が出る月刊誌じゃないからやむないにしろ、それにしてもあまりに寂しくはなかろうか。

人によって基準は違うだろうが、僕の場合その街の文化度がどうかは書店とCDショップの数や品揃えで判断することにしている。東京だとやっぱり銀座、新宿、池袋ってことになろうか。以前六本木ヒルズができる前の六本木もWAVEとか青山ブックセンターとかがあって足を伸ばそうという気が働いたものだが、今や全く魅力がなくなってしまった。(ほんとWAVE六本木店には古楽開眼のころお世話になったものだった)

ゴディバはあっても音友もないような街じゃなあ。

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2008年2月16日 (土)

国民性の違い

昨年からずっと話題になっているアメリカのサブプライム問題。
サブプライムローンの中にはいろいろ悪質なものもあって、中でもよく使われたオプションARMローンというのは貸し手の側からみても「いかがなものか」的商品である。

どんないかがわしさか。例えばローン会社から2000万円を借りるとする。通常の貸し付けだと毎月10万返済して金利分と元本のちょっとを返済することになる。住宅ローンを借りた人なら実感するだろうけど、元本の減り方というのは最初のうち本当に情けないくらいごくわずかである。とにかく金利負担ってすごい重しなのだ。しかしながら、このオプションARMだとその毎月の返済額が5万でいいよ、ってことになっている。家を早く買いたい、けど先立つものが、という人には朗報である。

でも仏の顔も3年(あるいは5年)まで。なにしろ返すべき元本どころか金利分もろくに支払ってなかったのだから、3年後にはその金利も上乗せされて元本が2100万円に増えているっていう寸法だ。ローン会社が追加融資をしてくれていたと考えるのが分かり易いかもしれない。
ローン会社はいつまでもそれを続けている訳にはいかないから、あるときからちゃんと取り立てに走る。つまり4年目からの毎月の返済額は15万ですよ、支払えないなら耳を揃えて2100万円用意していただきましょう(あるいは担保の家を差し押さえさせていただきましょう)と。

ちょっと待って、冗談じゃない、今までもぎりぎりの生活だったのに急に3倍のお金なんて払えないし、毎月お金返済していたのになんで借金増えているんだ、これは詐欺だ。借り手はそう思ってもちゃんと最初の契約のときにサインをしているから裁判じゃ勝てない。

という訳で楽観的でその場しのぎでお金を借りた人たちと、返済能力に疑いを持っていてもきちんと審査せず貸し付けをした倫理観に欠ける貸し手たちが作り出した狂騒曲が、アメリカの金融市場を混乱させたばかりでなくこんな極東の地まで巻き込んでいるという構図だ。迷惑な話だよねえ。

先月ブラジルなど南米諸国に出張して来た外国株式のファンドマネジャーのレポートは印象深かった。ラテン気質とでもいうのか、とにかく現地の人たちはとりあえず今自分が持っているキャッシュの範囲内でしか物事をとらえないんだそうだ。しかもとにかくあるものは使ってしまう。いま手元に5万ある。ローンの返済が5万?、じゃ金借りようか。3年後?そんなこと今から心配してどうするよ。
かって20%を超えるハイパーインフレを経験したから預金を信頼するなって身にしみているのかもしれないが、宵越しのお金を持たないっていう国民性の違い、気質の差っていうのも大きく影響しているに違いないと思う。

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LP

「初めまして。突然ですがデヴィッド・マンロウの音源はお持ちですか?もしお持ちでしたら是非聴かせてください」

数日前、こんなメールが知り合いの息子さんから届いた。マンロウは70年代に活躍して夭折したイギリスのリコーダー奏者。僕が古楽をやっているというので聞きづてで問い合わせをしてきたらしい。なんでも高校生のその彼は今ギターをやっていて、彼の好きなギタリストがマンロウの影響を受けたと語ったからというのでどんなものなのか聴きたくなったらしい。

マンロウは僕が古楽に目覚めた頃聴きあさった音楽家で、日本で手に入るレコードは片っ端から買っていたし、イギリス滞在中もレコードショップで見つければこつこつと集めていた。多分彼のプロデュースしたものはほとんど持っているのではないだろうか。

「何をお探しですか?それからLPだけど聴けますか?」

と返事を打ったがその後返答はなし。

とりあえず「デヴィッド・マンロウの芸術」という2枚組と「中世・ルネサンスの楽器」という2枚組、それにマンロウの特集記事が載っていた82年頃の「季刊リコーダー」を貸し出すことにしてその知り合い(彼の母親)に託す。

先日その彼に初めて会う機会があった。
「どうだった?ちゃんと聴けた?」

「それが・・・」

と言葉を濁すので、母親に聞いたところ、まだレコードプレーヤーを出してないので聴けていないらしい。

「この子がね、ママ、LPってなあに?って訊くのよ」

そりゃあメールに返事ができなかったのは無理ないかも。

今や音楽はCD、MDで聴く時代だし、iTuneなどはもう既にハードの媒体の形すらなしていない世の中。なにしろ平成生まれの彼が、いかに普段音楽に慣れ親しんでいてもLPに触れるどころか名前さえも聞いた事なくてもそれが普通なんだろう。いわんやSPをや。


付記)LPはLong Playの略。LPが出現してそれまでのレコードはSP (Standard Play) と呼ばれることになった。78回転がスタンダードだったんだよ、なにせ。

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2008年2月14日 (木)

バレンタインデーの思い出

あれはバレンタインデーの出来事だったんだな、と明確に覚えていることが一つだけある。

それは社会人になって最初の冬。
大学4年の頃から仲間を募って練習をしていたブラスアンサンブルが5人編成から徐々に拡大し10人近くの編成(いわゆるPJBEのスタイル)で定着してきた。
レパートリーもそこそこ増え、アマチュアにありがちな話だけど「じゃあ、とりあえず演奏会でもぶち上げてみっか!」的ノリでその年の4月にホールも押さえコンサートを開く事になっていた。

ところがそのグループにはこれと定着した名称が付けられてなかったのだ。それまで呼び習わしていた団体名は「精緻アーノルド集団(これはグループが最初に手がけた曲に因む)」とか「フィリップ・ナカムラ・ブラスアンサンブル(いわずもがなのモジリ)」とか「メトロポリタン・ブラスアンサンブル(これは首都圏の大学オケのメンバーが集まったことに由来)」などと変遷してきたが、実のところしっくりときてなかった。

「コンサートも近づいてきたし、ちょっと顧問の先生の家に集まって会議を開こう」ということで小田急線沿線の郊外住宅地へメンバーが集結。会議というのはそのグループの団体名を決めなくちゃってことだった。先生のお宅にとっては迷惑なことだったに違いない。
さて、当然酒を飲みながらだから本当に適当な名前しか思い浮かばない。ああでもないこうでもないといいつつ結局周りが白々となってくるまで飲み明かす。

疲れた頭でメンバーの一人がつぶやいた。
「今日はバレンタインデーなんだよなあ、、」
「・・・」

「それそれ、それはどう?バレンタイン・ブラス。ついでに聖もつけて聖バレンタイン・ブラスアンサンブル」

他に代案もなく朝方にその名前に決定。最初は団体名を名乗るのにちょっと気恥ずかしかったけど、そのうちに慣れる。ま、組織の名前なんてそんなもんだね。

というわけで聖バレンタイン・ブラスアンサンブル (SVBE) が1980年2月14日に誕生したのだった。


と、一応確認のために今当時の手帳を出して見てみたら徹夜したのは15日、命名は16日だったようだ。全く記憶ってあてにならないよね。(おそまつ)

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2008年2月 3日 (日)

雪の日

朝、目覚めて外を見たら雪景色。
「こんな日にマラソンはつらいだろうな」と思っていたら案の定8時半くらいに大会中止を告げる市のアナウンスが。
駐車場に行ってフロントグラスに積もった雪を降ろしたり、これ楽しい。
でもどこへも出かけずその後は結局家でぐだぐだ。

3時過ぎに思い立って近くのスパに。(浦安には2つも温泉があるのだ!)
積もった雪を観ながら露天の温泉は最高。
空いてるのかなと思いきや意外とお客さんの入りは普通だった。

サウナのアウフグースで汗をかく。
さっぱりしたあとは休憩所で横になりつつ本を読む(とは言っても読めたのは最初の数行のみだったが)

すっかりリラックスして帰宅。夜は鍋。冬だねえ。

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2008年1月22日 (火)

飽和状態

いつも通勤の行き帰りにはiPodを愛用している。
聴くのはバッハだったりモンテヴェルディだったりトランペットの曲だったり。

でもこの数日は無駄に持ち歩いているだけで、聴こうという気にならない。
というのも頭の中でまだ濱田オルフェオの音楽が鳴っているからだ。
オルフェオで飽和している状態とでもいえるだろうか、余韻から抜けきれないでいる。
それだけインパクトが強かったんだろう。

次から次へといい音楽(演奏)を聴きまくる(というか消費する)というあり方もありだとは思うけど、こういう風にじっくりと反芻して味わうのも(最近ないだけに)いいよね。

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2008年1月14日 (月)

宿題が進まない

せっかくの3連休、練習が入っているのはあらかじめ分かってはいるものの、明日締め切りの(つもりの)宿題がはかどらなくて焦っている。
そもそも年末年始の休みが長かったからそこで片付けようと目論んでいたんだけれど、PCの様子がおかしかった(買い換えた)とかの口実で全く進んでいなかったことがこのジタバタの事態を招いている訳だ。

とりあえず項目を並べるところからでもスタートしないとな。
8月31日の小学生の気分だわ。

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2008年1月 6日 (日)

ブログのマイナーチェンジ

長らく同じデザインだったけど、新年を機にブログのマイナーチェンジをすることとした。
タイトルは仕事がらみのことわざをもじったもの。元句は Once a dealer, always a dealer(ディーラー稼業は一度やったらやめられない)ね。

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2008年1月 4日 (金)

さて社会復帰

年末年始でゆっくりしている間、マーケットは大荒れで結構忙しかったようだ。
原油の1バレル100ドル越えはTVのニュースでもやっていたけど、NY株もかなり下がったし、為替も円高にきている。ポジション持ってたら気が気じゃないな、これじゃ。そういえば88年の正月も超円高で薄い中すっ飛んだような記憶が。

年末年始にどたばたディールをしたことはないけれど、万一の事態に備えて出勤したことはある。1999年のユーロ導入のときと2000年のミレニアム問題のとき。
ミレニアムのときは年越しをオフィスで迎えてそのままビジネスホテル泊まり。

今年はそんなイベントもなくカレンダー通りのんびりと休息。箱根駅伝も往路・復路とも最初から最後まで見てしまったし、平和。

さて、休日ボケの解消に出勤するとするか。

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2008年1月 3日 (木)

セーフ

銀座のマックショップに行って、旧PCを診てもらう。

なんでも今の症状は基盤が駄目になっているおそれがあって、ハードディスクは大丈夫らしい。でも分解するだけで2万、基盤の交換でも4万くらいかかるとのこと。早い話新しいのに買い替えた方が得策ってこと。コンピューターの世界らしい話。
もう充分使って元はとったからいいか。

奇跡的にマックショップでは生き返ってデータのバックアップを取ってもらう。ラッキー

くやしいのはFinaleとか宛名職人とかのアプリケーションが今のMacBook(インテル内蔵)に対応してないってこと。「ソフトはまた買っていただくしかないですねえ」って。

そんなものなのか?

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初買い物

年末PCが本格的に逝ってしまったので、初日から買い物はノートPC。

思わぬ出費も痛かったけど、住所録、写真、メールとアドレス、こまごました記録、などバックアップを取ってなかったのでそれらのデータがパア。
もう使い始めて3年になるんだからきちんと備えておくんだった。

仕事じゃないからたいしたダメージではないのが救い。

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2008年1月 1日 (火)

年末のことなど

とりあえずPCがまだ生きている。
順序が逆になるけど年末のことなど。

12月も土壇場になって職場の同僚から年末2日ほど休んでも構わないという了承を取り付けたので、急遽福岡の実家に帰ることに。とは言っても正月を挟んではさすがに便が取れないので大晦日には東京に戻ってくることにして28日の新幹線の切符を押さえる。

せっかくの機会なので途中名古屋で下車してトランペット奏者のMさんとお会いすることにする。昨年8月に東京にいらっしゃったときにはほとんどお話ができなかったのでその埋め合わせ。
ご厚意に甘えてお宅までお邪魔する。うわさのコーヒーをいただきながら、バロックラッパについて、音楽について、プロとアマの違いについて、などなどいろいろとお話をすることができた。
そのあとはデュエットをひとしきり。Biber全曲を上下交代しながら。考えてみるとこの曲を人と合わせたのって初めてではないだろうか。
ツボの狙い方、ピッチのとり方、合わせ方などとても勉強になった。

バテたところで近くのうどん屋さんで遅めの昼食をいただいて有意義なひとときを締めくくり。駅まで送ってもらった。(Mさん、なにかとありがとうございました)

さて、また名古屋に戻って新幹線で一路博多へ。最近は空路でしか帰省してなかったから気がつかなかったけど、今は陸路でも時間が短縮されているんだね。あっと言う間に九州へ着く。何しろ普段より遅い時間に家を出て、名古屋からちょっと離れたところでたっぷりデュエットやってもその日の夜9時前には福岡の実家にいるわけだから。

実家では父と母が二人暮らし。どちらも健康だが母がこの3年ほど惚けてきていてその面倒を父が見ている。今のところなんとかなっているから心配いらないと父は言うがそれなりに大変そうではある。

実家で時間があるだろうから仕事でもしようかと持って来たパソコンが全く動かず。ショックを与えた訳でもなく、電流の違いも関係ないだろうし、原因がわからない。とりあえずやろうと思っていたレジュメとかが思ったほど進まず。

福岡は日本海型気候、九州とは言え冬は寒くて天気のいい日は少ない。ちょっと近くのスーパーへ買い物に行った時もあられに見舞われた。基本的に出歩かず、家の中で両親と静かに暮らす。

実家に3泊。「ときどきは顔見せなさい」と父に送り出される。
帰りの新幹線は途中下車もなくそれこそあっという間に東京に着く。かっては新幹線帰省は座り続けるのが辛いという印象があったがそんなこともないし、これからちょくちょく帰る際にも使おうかな。

大晦日の夜はもっぱらNHK教育を観る。サイトウキネンオケで世界初演の曲を小沢征爾が暗譜で振っているのを観てやっぱりすごいんだなこの人は、と変なところに感心する。番組では古楽の扱いはほとんどなくて(唯一あったのは目白バロックだったけど)ちょっと寂しかった。

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謹賀新年

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

とは言うものの、年末から調子のおかしかったPC(マックG4)がいよいよやばくなってきてここにもアクセスしづらくなってしまいました。
というわけでパソコンが回復するまでしばらくお休みします。

みなさまに良い一年でありますように

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2007年12月27日 (木)

今年の総括

良かったこともあり、良くなかったこともあり。
仕事と音楽と私生活と(音楽も私生活だけど、これは別格ね)、うまくバランスを取りつつ乗り切るのはそれなりに大変。でも、なんとか一年の終わりまで無事にきた。無事とも言えないか。順を追って振り返ってみよう。

1月 本郷教会のクリスマスオラトリオでラッパの幕開け。だんだん回数をこなすうちに押さえどころが分かり楽しめるようになったものの、細部の詰めがイマイチでまだまだ納得のいく演奏ができない。しかもくやしいことにしばらく本番はなしだ。

2月 何をして何を考えていたんだろう。日記も書いてないし、全く記憶が飛んでいる。多分規則正しく仕事していたんだろうな。徐々に夏本番の新システムの準備で気持ちばかりが焦っていたような気もするし。

3月 ナチュラルトランペットに関して調べものをしたり翻訳をしたり。この時期は勉強になった。個人練習ももっぱら穴なしのナチュラルトランペットばかり。タイミング良くアントネッロのレコーディングがあり、ナチュラル3本を使って多重録音。ドルーピー・トランペット隊というありがたいグループ名を頂戴し隊長を拝命する。数年大学の近くで一人暮らしをしていた娘が月末に戻って来て久しぶりの家族5人生活に戻る。

4月 春。今年から息子が社会人。ベタな新入社員研修の様子などを聞きいまどきまだそんなことやっているのかと驚いたり。月中に本番2回、カンタータ3曲。

5月 初夏のコンサートシーズンに向けて演奏活動本格化。6月の旅行のプランを立てたり、ミクシイのナチュラルトランペットコミュニティのオフ会をやったり、だんだんトランペット中心の生活に。

6月 コンサートが集中、アントネッロ&ヴォーチェとのモンテヴェルディ、カンタータ147番、MATのモーツァルト、そして本郷教会でカンタータ75番。自分の練習不足がいけないんだけど、ヴェスプロでのコルネットは不本意な出来だった。師匠に迷惑をかけてもいけないし、もうやめようかとも思う。そんな中、3月にレコーディングしたアントネッロの新盤「大正遣欧使節の音楽」のCDがリリースされる。こんな感動的な記録に参加出来たのはありがたいことだ。月末からヨーロッパ旅行(別名ナチュラルトランペット街道の旅)。顛末はここに書いた通りだが、何と言ってもナチュラルトランペット奏者のマデウフ氏に教えていただいたのが一番の収穫だった。旅行の全行程にわたりSくんにお世話になる。ありがとうございました。

7月 旅行後の虚脱症状。コンサートがなかったのも良くなかったか。この時期は仕事に集中。月末に新システムの第1フェーズ稼働。前の職場でも経験あるけど、やっぱり直前は準備が足りてたかどうかドキドキするし直後は想定外のこともあってドタバタもするね。

8月 コルネット合宿。いよいよコルネットを捨てるべきかと迷う。そんな中、本郷教会でモンテヴェルディ。うー、つらい。

9月 月初に第九、基本ナチュラルで。OPTのコンサートでもヘンデル、シャルパンティエはナチュラルにトライ。夏の旅行の成果が出てきている実感。でもさすがにバッハのマニフィカトはバロックトランペットじゃないと吹けない。月末、新システムの第2フェーズ稼働。これも辛かったな。失敗できないし。新しい法律(金融商品取引法)の施行というおまけも面倒だったよなあ。

10月 秋のコンサートシーズンだというのにヒマ。懸案の歯医者さんに行ってくる。

11月 本番2回。久しぶりの北とぴあ。思えば数年前のここでのヘンデル(にわかバロックオケ)がバロックトランペット吹き始めだったんだよなあ、と遠い目。いつもカンタータでお世話になっているバッハカンタータアンサンブルでは51番を楽しく吹かせてもらった。

12月 月初に霊南坂教会でシュッツのクリスマス物語の演奏。振り返るとこの時のバロックトランペットが出来という面では今年一番いい演奏だったかも。かなり満足行くものだった。5日のモーツァルトの命日にはMATでレクイエムをナチュラルで。そして今年の演奏活動の締めくくりは本郷教会のクリスマスコンサートでカンタータの110番。バッハの初ナチュラルも無事終了。

数えてみると本年の演奏会回数は16回。うちモンテヴェルディ、シュッツなどの初期バロックが3回、モーツァルト、ベートーヴェンの古典派が3回で、バッハ(およびヘンデル)が10回とバロックへの偏りが顕著な1年だった。しかも今年は自分の中ではナチュラルトランペット元年とも呼ぶべき年だったような(ナチュラルで演奏したステージも5回)。ただし、得るもののある一方で失うものもあり。ヴェスプロのライブCDを聴いていよいよコルネットは廃業かという気持ちに傾き落ち込む。頼まれ仕事で演奏した出来が一番良くて、一番大事に思っている団体での演奏が満足いかないなんて皮肉だし最低だ。
幸い仕事はなんとか恙無くきているものの大物の第3フェーズが控えているし、以前から高かった血圧は下がるどころかさらに一段高になっているのも気がかりだ。

課題を抱えつつ、新年を迎えることになりそう。

とりあえず年明けはアントネッロのオルフェオでスタート。素晴らしい公演になるよう全力を尽くさなくちゃ。

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2007年12月22日 (土)

岐路(その3)

その2まで書いて、その3はないなーと思っていたら、、あった、あった。
ちょっと順番が前後してしまうけど、これも人生変えた出来事だった。

それは大学4年生の春、最後のテストも終わって学生最後の春休みを利用して旅行にでも行こうかという時期。そう、ちょうど僕らの年代から流行り始めた卒業旅行に、僕は就職後のローンまで組んでヨーロッパに20日くらい行くつもりで準備していたときだった。

リーン、リーン

下宿で共有している電話に出てみたらオケの同期のKだった。
K「おい、お前の名前学生課に出とったぞ」
僕「なんで?」
K「国際関係論の単位が欲しかったら○○日の追試を受けろってさ」
僕「ほ、ほんと、それ?」
K「ああ、確かめてこいよ」

急いで学校へ行き確認すると確かに数人の名前が貼り出されてある。
国際関係論は法学部の単位で、学生の間では「仏(ホトケ)のH」と言われ単位を取るのが比較的易しいコマとして知られていた。補足すると、僕の行ってた大学では4学部あるそれぞれの学部生は他学部の単位をそれぞれ最低2つづつ取得する必要があり、法学部の単位としてこの国際関係論はそういう理由で他学部生にも人気の授業(というか単位)だったのである。経済学部生の僕にとっても例外ではなく、この単位は安パイに数えていた、というかこれが取れてようやく法学の履修をクリアするところだったのである。ところがその追試の日は既に旅行計画のまっただ中。旅行は?卒業は?就職は?ローンはどうなる?頭がパニクる。

慌ててその足で教授室へ
「先生、掲示が出ていた経済学部の○○ですが」
おずおずと教授室の中に入る。
「実は事情があって追試を受けることができないんですが」
「なになに、君は4年生で今度卒業だっけ」
「はい、就職も決まっております」
「ちょっと待って。あ、君ね、君の答案を見たけど、ここのところを理解していないね」
「はあ、そうですか」
「ここは、こういうことだから、こう解釈しないといけない。わかったね」
「は、はい、わかりました」
「よろしい、では追試は受けたことにしておきましょう」

ラッキー!口頭問答だけで単位をくれることになったのである。
評判のホトケとはこのことか。
旅行にも心置きなく旅立ち、晴れて卒業。

あのときKが電話くれてなかったら、そして仏のH教授じゃなかったら。
もう1年大学にいて就職もフイにしていたに違いない。

このときの体験がトラウマとして残っているのか、数年経ってもしばしば夢の中で「自分はひょっとして大学を卒業出来てないんじゃないか」という不安に駆られることがある。そしてそんなときは「いや、そういえばロンドンに赴任するとき、学生課に行って卒業証明を取りに行って現物を見たから絶対卒業しているはず」と(やはり夢の中で)冷静に考え直すことが恒例になっている。

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2007年12月21日 (金)

そばやで忘年会

そばやで飲むっていうのはおじいさんたちのすることなんだよな
と社会人成り立ての頃は思っていた。

もうそんなことができるような年代に自分もなってしまったということか。

淡路町の老舗、かんだ やぶそば で忘年会と称したミニ飲み会。
ミニと付けたのには訳があって、ここ、7時半がラストオーダーなんである。
早い早い。
ほどよく出来上がったところでお開きというのが飲んべえでない自分にはうれしい。
そば以外のメニューがこんなに充実しているとは知らなかった。
仕上げのせいろは量が多くないのが胃にやさしくて悪くない。でも単品で頼んだらそのボリュームのなさに憤慨するかも。

忘年会帰りなのに8時半には家に着いていた。
早寝早起きに支障がないのもおじいさん向けなのかもね。

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2007年12月16日 (日)

読み違い

名古屋の名物「ひつまぶし」
ぱっと見、最初は「ひまつぶし」に読めてしまうのは僕だけなんだろうか。
それはともかく、ある人の書き物を読んでいたら「櫃まぶし」と書いてあって、なるほどそうだったのかと今更ながらにストンと腑に落ちた。お櫃の中にうなぎがまぶしてあるっていうわけだね。

余計な話だけど、自分の出た中学校は北九州の板櫃(いたびつ)中学という名前だった。櫃の字は慣れ親しんだ漢字で幾度も書いたことがある。でも今まで「ひつまぶし」と結びつかなかったっていうのがなんともウカツだった。

読み違いといえば、会社で受け取る取引先からのメールにありがちな文面で、
「いつも大変おせわになりありがとうございます。。。云々」
というのがあるが、この文章、いつも中程の部分が「なりあがり」って読めてしまう。これも自分だけの現象なのかなあ。

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2007年12月15日 (土)

岐路(その2)

その二番目は社会人になってからだ。

最初に就職した会社(中堅商社)はいい人たちにも恵まれ、同期もいい奴ばかりで、担当する職種もやりがいがあって、それは居心地のいいところだったんだけど、(若気の至りか)会社そのものに飽き足らなかった。そこに自分の会社生活を捧げる気がしなかったのだ。本気で転職を考えたのは入社5年目くらいか。新聞広告を見ては1、2社面接を受けたりもしてた。

そうした日々を過ごすうち、ある日日経新聞に大手証券会社が大々的に中途採用をするという記事を見つけた。D証券に財務部門希望で履歴書を送ると、ほどなく試験要項を記載したハガキが届いた。そのハガキをなくさないよう部屋の壁にピンで止めておいた。

それから数日、普段通りに会社に通う日々。ある日、いつも通り出社しようとして玄関で靴を履いているとき、ふと「そういや、D証券の入社試験は明日だったよな」と思ってなにげなく壁のハガキを確認した。すると、なんとその日が試験日だったのだ(間抜けだよね)。

あわてて会社に電話をかけて今日は体調悪くて有給休暇下さいと仮病申請。
その足で採用試験会場へ行き、なんとか試験をパスしそのD証券にお世話になることとなった。


あのとき、ふとハガキを見ようと思わなかったら、D証券で働くこともなかったし、ロンドン勤務もあったかどうか分からないし、その縁でイギリス系の会社に転職することはなかったろうし、回り回って今の会社にいるかどうか。とにかく自分のキャリアはあの瞬間に大きく転換したことは間違いない。

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2007年12月12日 (水)

岐路(その1)

大げさだけど、人生には「あそこが分岐点だったな」と言える点がある。
僕の場合、今までに明確に分かっているのがいくつかある。

その一つは随分昔のことで、現役の大学受験のとき。
受けたのは九州大学の法学部。入試は7科目。
(当時は)得意だった数学(数IIB)で足元すくわれた。
数問あった出題の最後が二次方程式で、確か y=a(x-a)^2+a みたいな式がテーマだった。最初のaはきちんとaと認識したのに、なぜか最後のaをαと読み違えた(というのも過去問は最後の定数がαだったことが多かったからなんだけど)。
全部aと読めば簡単な問題だったのに、自分で問題を複雑にしたもんだからめちゃくちゃ手こずってしまって、時間もかかったあげく結局その問題は落とした。確か配点は20点ほどあったと思う。

当時の九大は入試での得点と合格ラインを出身高校へ教えてくれるシステムだった。僕の得点は316点で法学部の合格ラインは325点。一校しか受験してなかった僕はそのまま浪人生活に突入した。

あのときすんなりと正解出して大学生活を博多で送っていたら今頃全く違う人生を歩んでいただろうな、と今でも思う。

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2007年12月11日 (火)

伝えたい音楽

伝えたい音楽って何だろう。
例えば技を披露したいというのだったら判りやすい。
でも、それとも違う。

自分なりの表現?
ある曲を演奏するために必要な技術を磨く。
曲の解析をし大局から構成を掴む。
曲のバックグラウンドを研究しスタイルを選ぶ。
音楽以外でも関連することがらからヒントを得ようとする。

そうして集めた情報、積み重ねた技から取捨選択して自分なりにいいと思う表現をする。しかしながらいつも思った通りに表現出来るわけではないからその瞬間瞬間にベストを尽くす。

さらにピアニストなどと違って一人で演奏できるわけではないので、一緒に音楽をする他のメンバーと触発され合ってアンサンブルをする。(ここは楽しみの部分だな)

そうやって出来上がったその時点での最終形をお客さんに聴いていただく。
もちろん自分がいいと思った音楽が万人に受け入れられる訳ではないけど、共感してくれる人が多ければ多いほどいいし、それが説得力のある音楽なんだと思う。

なんか当たり前の話になっちゃったな

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2007年12月10日 (月)

絶対音感が邪魔をする

自分にはありません、、絶対音感。
なくてよかったと思う今日この頃。

こないだ一緒にアンサンブルをやった仲間の中にどうしても音程が上ずる弦楽器奏者がいた。曲は古典派だったのでピッチはA=430Hz。430というのは現代のオーケストラで使われているA=442Hzより4分の1音ほどピッチが低い。これがバロック時代の曲だと415Hzで丁度半音低いあたりだから、考えようによってはそんなに違和感なく受け入れられるけど、430だとモダンのピッチより微妙に低いだけなのでやっかいなのだ。

「ちょっとちょっとー、音程上ずってんじゃない?」と最初は批判的に聴いていたんだけど、ある人が「彼はきっと絶対音感が邪魔してるんだよ」と言われて納得。
どんなに開放弦をチューニングしても弦楽器はフレットがないから自分の気の済むまでどこまでも上がれちゃう。周りの世界と自分の内なる世界とのせめぎ合いでぐちゃぐちゃになってるのかも。そう思うとむしろ気の毒な気がした。

昔の音楽をやってるとこの430に限らず前述の415や全音低い392、さらには半音高い466などいろんなピッチに対応しなきゃなんない。あ、アーノンクールのオケは421と言ってたしなあ。
フレキシブルが一番。

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2007年12月 8日 (土)

パートナーロボット

トランペット吹きの次はヴァイオリン奏者。
移弦もするし、ビブラートもかけることができるという。
プログラミング次第では人間的な不均一のビブラートもできるんだろうな。
トヨタのロボット開発はどこまで進むんだろう。

例えばクレーメルがバッハの無伴奏を弾くとして
1 クレーメル自身の生演奏
2 クレーメルの生演奏を録音して高級な再生装置でプレイバックしたもの
3 クレーメルの演奏を寸分違わずプログラミングして同じ楽器同じ弓でパートナーロボットが演奏したもの

1と2と3で音楽の質や感動の度合いっていうのはやはり大きく違うんだろうか。
技術が行きつくところまで行ったら、1の優位性どこにあることになるんだろうか。毎回別の演奏が可能はではあるが、裏を返せば全く同じものを再生することが出来ないという欠点のようにも思われるし。

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2007年12月 3日 (月)

なかなかや

休眠状態のアンサンブルのメンバーから連絡あって母屋のホームページをちょっと手直しする。もう2年も活動してないんだよね。復活することがあるのかどうかわからないけど、とりあえず現状のHPのままで放置しているのは確かに問題なのでちょうどいい機会だったかも。

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2007年11月13日 (火)

発見と新たな疑問

今頃気がつくなんてウカツと言えばウカツなんだけど。
アーノンクールのクリスマスオラトリオをスコアを見ながら聴いていて衝撃の発見。

第19曲目、第2部のアルトソロの子守唄はアルトの歌と同じ旋律をフルート・トラヴェルソが1オクターブ上で演奏している。曲中全くのユニゾンだ。オブリガートで対旋律的にソロと会話するというアレンジではなく、むしろソロに寄り添って吹くことで歌を補強する意味合いが強いように思われる。

その譜面(僕のスコアはEulenburg)を見ると、アルトの言葉の譜割りとトラヴェルソのフレーズにつけてあるスラーが一致しない箇所が随所にある。例えば冒頭唄い出しのロングトーンの後の32小節目。音符は8分音符が4つ並んでいて、アルトの歌詞は初めの3つの8分音符が3小節前から続くSchlafeの語尾で、最後の8分音符にmeinが充ててある。これに対しトラヴェルソは最初の8分が前の小節からのタイ、2つ目の8分が独立していて後の2つの8分がスラーになっている。つまりソロがmeinの前でブレスをするところ、笛はわざわざスラーで途切れず吹くように指示されているというわけだ。36小節目39小節目も同様。41小節目からなど3小節連チャンでそういうミスマッチが続く。

今までコラールに限らずオブリガートのフレーズに関しても、器楽のアーティキュレーションは歌詞を参考につければいいと思っていたのに、これはどういうことだろう?むしろ敢えて違うフレージングをすべきなのか?それともこれは全くのユニゾンで歌のサポートだから特例なのか?混乱をきたしてしまった。

どなたか解答をお持ちだったら教えて欲しい。

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2007年10月31日 (水)

修復!

ようやくアポがとれた歯医者さんへ。
山ちゃんの手羽先で欠けた前歯を修復してもらう。
「手羽先がきっかけだったかもしれないけど歯ぎしりもするでしょう」と先生。
そういう自覚はなかったんだけどなあ。

ともあれレジンできれいに揃えてもらう。

家に帰って楽器を手に取ると、

      すごい!吹きやすい!

錯覚かもしれないけど、高音も無理なく出る。
もっと早く行くべきだったな、やはり。

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2007年10月25日 (木)

ミクロの決死圏

人間ドック というか健康診断を受ける。

胃カメラ、得意ではないけど嫌いじゃない。
自分の体内が覗ける機会なんてそうそうあるわけじゃないし。
去年初めて見た時はむせながらも結構感動してしまった。

「はい、今胃液を取り除いています」
「げほげほ」
「これから空気を送り込んで胃を膨らませますね」
「・・・・」
「はい、しばらくゲップしないで我慢してくださいね」
「・・・・ げほげほ」
「ああ、大変でしょうがもう一回やってみますからできるだけ我慢して・・」
「・・・・ げほげほ」
「はい、もう一回やりますよ」
「・・・・ げほげほ」

結局うまく膨らませて充分胃のひだひだまで撮影することができなかったらしい。
「すみませんねえ、全部は見えませんでしたけど、とりあえず見えた範囲では問題もなくて大丈夫でしたよ」

午後は体内にたまったガスを処理するのがちょっとやっかいだった。

ああ、胃カメラ上手になりたい。

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2007年10月22日 (月)

10年前のこと(PJ話の続き)

来日してからのフィリップ・ジョーンズ氏の日程は以下の通り、

10/9  NABEO主催フィリップジョーンズ歓迎会(如水会館) パレスホテル泊
10/10 移動 東京→松山→今治       今治橘ホテルチェックイン
    午後 NABEO加盟団体へのアンサンブルクリニック
    夜 ブラスアンサンブルフェスティバル 前夜祭
10/11 ブラスアンサンブルフェスティバル コンサート 今治市公会堂
    夜 後夜祭
10/12 フィリップ・ジョーンズによる公開レッスン 今治市中央住民センター
    移動 今治→松山  道後温泉 ホテルはなゆづき泊
10/13 移動 松山→東京
10/14,15 桐朋学園において特別講義
10/16 公開クリニック 相模原市民会館
10/17 帰国

9日に到着してから13日に桐朋学園の方にバトンタッチするまでのお世話係を僕がかって出ることになった。5日間の蜜月の日々。緊張すると同時に最高に幸せだった。

PJは典型的な中流階級の英国人だった。仕事と家族と犬(英国人にとっては犬も家族だが)を愛し、ユーモアを絶やさず、小食かつ粗食。違うところと言えばビールを飲まないところだろうか。
ただ、この頃から既にPJの体調はすぐれなかったようで、ときどき頭痛がするからと休憩をお求めになることがあった。あのお年(当時69歳)では時差もこたえただろうし、実際はかなりの無理をおして来日されたのに違いない。しかしながらみんなの前ではそうした素振りはおくびにもだされなかったのはすごいことだと傍で見ていてはらはらしつつも感心したものだった。

また、記憶力のすぐれていることと好奇心のおう盛なことにも驚嘆した。記憶力については以前にも書いたけど、十数年前にPJBEで初演した曲についても詳細にスコアを覚えていらっしゃるし、好奇心といえば四国ツアーの最後に案内した松山城での展示品(とりわけ甲冑と武器)についての質問攻めには、よくそこまで関心があるんだなあと通訳としては根をあげる寸前だった。

ともかくいろんな話が直に聞けた充実の5日間だった。こんなに日本でブラスアンサンブルが愛されているんだというところをお見せできてPJにも喜んでいただけたようだった。

というわけで、長くなったけど以上がPJの最後の来日のいきさつでした。
前々からどこかでまとめて記録にしとかなくちゃと思ってたからちょうど良かった。
それにつけても10年一昔とはいうものの、連絡を手紙とFaxに頼っているあたり、時代を感じさせるねえ。イ