カテゴリー「仕事関係」の69件の記事

2020/02/06

もう、し、こつ (追加説明)

ブログをやっていると、どんな記事が読まれているのか時々アクセス解析をしてみたくなる。

するとちょっとびっくりするのは、もう随分昔(2006年)にアップした仕事がらみの記事「もう、し、こつ」が今でもコンスタントに読まれている事実である。おそらく「もう、し、こつ」について何らかの知識を得ようとググった結果、この記事にたどり着いたのであろう。

その記事を改めて見てみると、少々急いで書きなぐったこともあって説明が充分ではないように思われた。そこで今回説明を追加してもう少しわかりやすくしてみようと思う。ここで取り上げているのは、小さい数字についてという話題で、国債取引の際に証券会社と顧客の間で交わされる会話では条件決定する時の細かい数値をどう表現しているか、という話である。

前回アップした記事を引用して、追加説明を青字のカッコ書きにしてみよう。

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今日は億単位の大きい話ではなくて、逆に小さい数字の話。

普段の生活でお目にかかる小さい数字の単位は厘とか毛とかまでだろう。一番おなじみなのは野球選手の打率、3割2分4厘とか。つまり0.324を日本語の数字の単位で読むとこうなる。

これより小さい数字の単位はなかなか縁がないことと思う。

ところが、債券の取引の世界ではこれよりさらにミクロのところが勝負となる。

債券は利回りの水準で取引される。例えば10年もの日本国債は1.4575%とか。これは今日本国債を買って満期まで持ちつづけると年率でこれだけの投資収益があがりますという意味だ。

1.4575%、これを日本語読みすると、1分4厘5毛7糸5忽となる。毛(もう)はまだしも糸(し)や忽(こつ)は慣れないと?の世界だ。

現実の取引ではこんな会話がなされる

客「10年274回1億買いたいんですがいくらですか?」

(10年274回というのは満期10年で発行された日本国債の第274回債券ということです。国債には発行されるたびにその回号が付されることになっています。そして同じ10年満期国債であっても回号ごとに価格=利回りは異なります)

店「えー、昨日の引けより1もう7し5こつ強ではいかがですか?」

(昨日の引けというのは、前営業日の取引終了後に日本相互証券(BB)が公表するその日の終値のことです。国債の場合は終値(引け値)は価格ではなく利回りで表示されます。この会話の時の前日の引けの利回りは1.465%、つまり1分4厘6毛5糸だったという想定にしています。1もう7し5こつ は0.0175%になります。"強(つよ)"とは債権の価格が高いということで、逆の用語は"甘(あま)"と言います。高いというのは価格として高いということで、ここでは話を深入りしませんが、価格が高いということは利回りは低い、逆に利回りが高くなれば債券の価格は安くなる、というふうに価格と利回りは反比例の関係にあります)

客「1もう5しだったら決めたいんですが」

(客と店の担当者との間では、今その債券の利回りがどのくらいで取引されているかというのは暗黙の了解事項であるのが普通です。客は当然安く買いたい。つまり店が提示した値段の 1もう7し5こつ強(1.465-0.0175=1.4475%)は高すぎるので 1もう5し強(1.465-0.015=1.45%)にならないか、と交渉しているわけです。1.4475%よりも1.45%の方が客にとって有利な取引になります。債券取引は客と証券会社との直接交渉なので取引価格はお互いの合意があればある程度フレキシブルに決めることができるのです。この点、取引所を通して価格を決める株式取引とは性格がかなり異なります)

店「今はそこまで水準甘くないですね、これでぎりぎりです」

("甘くない"、というのは"安くない"と同意ですね。そこまで安くはできませんということです)

客「では、それでお願いします」

(交渉ごとだから1.4475と1.45の間をとった取引はないのか、と思われそうですが、慣習として国債取引では2し5こつ(0.0025%)が最小利回り変動単位なのですね。ですのでこういう買ったり売ったりするアウトライト取引の際には1.449%とか1.448%での取引は行われません。ただし、売りと買いをセットで取り組んだりするときや、当日BB引け値での決め取引の場合などでは端数の利回り水準で決めることもあります)

店「わかりました。昨日の引けが1.465ですから、1もう7し5こつ強の1.4475で1億お買いいただきました」

(というわけで客が譲歩して店が提示する価格(利回り)で取引が成立した、ということになります)

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利回り水準など、もうかなり現状とは異なるけれど、(たぶん)未だに上記のような会話がなされていると思う。
説明文に余計な専門用語も出てきてさらにややこしくなってしまったかもしれないけれど、いくらかでも理解の足しになれば幸いだ。

 

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2016/04/04

ご報告(長文です)

今年の1月末に60歳の還暦を迎えた。そして先月末をもって東京海上アセットマネジメント株式会社を定年退職することとなった。

1979年に大学を卒業し社会人となってから下記の通り転職を経ながらも通算すると37年間サラリーマンとして奉職してきた。

 1979-1985 (株)東食
 1985-1986 大和証券資金部
 1987-1988 Daiwa Europe Bank, London
 1989-1997 大和投信
 1997-2005 シュローダー投信投資顧問
 2005-2016 東京海上アセットマネジメント

 振り返ってみれば、最初の2年間こそは人事の仕事だったが、81年9月に人事異動で財務部為替課に配属されて以来、実に35年間もディーラー/トレーダーとして「売った買った」の相場の世界で暮らして行くとは当時全く予想もしていなかったことだった。

 相場に関して言えば、プラザ合意('85)、ブラックマンデー('87)、欧州通貨危機('92)、EUR誕生('99)、リーマンショック('08)など、いろんな局面に第一線で接したのは得難い体験だった。とりわけプラザ合意以降の急激な円高局面では、会社に何日も泊まり込みしながらNY市場が終わる翌日朝まで相場を追っかけたものだ。もうあんなすごい相場は生きている間に二度と見ることはないだろう。

 また社会的な事件にも思い出深いものが多々ある。地下鉄サリン事件(95/3 この時は茅場町駅にほど近いオフィスで朝のミーティングの最中で、外の騒動に何が起きたのかわからず大騒ぎとなった)、山一証券の廃業('97/11 その数週間前に山一との取引は全部引き上げよとの指令がロンドンの本社からあり、その時はまさか山一が逝くとは思ってもみなかった)、9.11同時多発テロ('01 翌日早朝に緊急ミーティングがあり社内中すごい緊張状態だった)、そして東日本大震災(このときは東証が終わる14分前だったのでとりあえず取引を終了させることとその後の業務の継続をどうするかが喫緊の課題だった)などなど。

 89年に大和投信に移って資産運用業務(いわゆるバイサイド)に従事してから数えても27年の長きになった。思えば先渡相場レート、クロス円レートばかりでなく移動平均やRSIなどのテクニカル指標なども電卓で計算しながら電話発注していた時代から、電子接続でアルゴリズムで自動執行を行う今に至るまで、技術革新の変化は目を見張るものがある。なにしろ相場を始めた頃はコンピューターと言えば電算機室に納まった大型システムのことで、パソコンもエクセルもなければ日本語ワープロもなく、電子メールやインターネットという概念すら想像がつかなかったわけで。

 携わった仕事で悔いが残るのは、大和投信時代に運用にあたった為替クロスヘッジの外債ファンドの成績が振るわず、受益者の期待に応えられなかったこと。欧州通貨危機のあおりをもろに喰らってしまった。自分が中央銀行寄りでソロスを敵に回したのが良くなかった。米国モーゲージ債券ファンドも当初の目論みからは遠い結果に終わってしまったけれど、それでも自分のところのは結構頑張った方だと思う(競合他社比)。ともあれ運用の仕事はハードだし難しかった。枕元にはポケットロイターを置いて夜中にも逐次海外の相場状況をチェックし、一番睡眠時間が短かった時期だ。自分のポジションに不利な出来事があると、「今日は僕はどんな悪い事をしたんだろうか、なんの報いなのか」と非科学的なことばかり考えていたし。

 一方で面白かったのは、やはり大和投信時代に為替のシステムヘッジを改善するためにテクニカル分析のあれこれを研究(中にはアストロロジーまで)し、パフォーマンスの向上につなげた事。それからシュローダー時代のトレーディングシステム導入の経験を活かし、東京海上アセットでのトレーディングシステムをほぼ理想に近いものに構築できたことだ。また2009年から早稲田ビジネスアカデミーでファンドマネジメント講座の講師を務めさせてもらったことも張り合いがあっていい経験だった。

 東京銀行や三和銀行、第一勧銀など銀行の為替ディーラーとの付き合いも面白かった。シティバンクにはとてもお世話になったし、その他の外銀のディーラーも個性的な人が多くて楽しく、また勉強になった。でも銀行は一番統合・再編があった業種で、名前が残っていない銀行も多数あるし、そうした旧知の人たちが一人また一人とマーケットから離れていってしまったのは寂しいことだった。他方、この数年は同業他社のトレーディングヘッドとの情報交換などの交流も有意義だった。

 職場での上司、先輩、同僚、部下にも恵まれたと思う。東食では最初が人事部だっただけに、人を育てるとはどういうことかということを(とりわけO部長から)叩き込まれたし、為替に移ってからはM先輩の厳しい指導のもと、それこそ「売った買った」の厳しさを身を以て学んだ。為替課は特に東食を出て外に活躍の場を見いだしていった先輩も多かった。そうした面では東食は今は無くなってしまったけれど、優秀な人材が多数在籍していたと思う。大和時代は個性的な人が多かった。優秀な人もそうでない人も。ロンドンにいたのは2年間だけだったが、イギリス人たちとも仲良くしてずいぶんかわいがってもらった。シュローダー、東京海上では部を率いる立場だったのだが、部下は皆トレーダーとして意識が高く、そういう意味では緊張感を保ちながら反面楽もさせてもらった。

 そんなこんなで、長く相場に関わってきたにもかかわらず、かって世間を騒がせた一勧シンガポール('82)や大和銀行ニューヨーク('95)のような事件にも、みずほ証券の誤発注('05)のような事故にも巻き込まれることなく、無事にサラリーマントレーダー生活を卒業させてもらうことができたわけだ。

 Once a dealer, always a dealer という言葉は外銀に勤めていた大先輩ディーラーから教えてもらった言葉だが、ディーラー稼業は先月で終止符を打つこととした。これからは勤め人はやめて違うことを生業にしようと思っている。

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2015/02/15

とうとうこの日になったか

今日は2015年2月15日。

自分が社会人になって数年後に転職した先がD証券だった。85年の2月半ばのことだ。それまでやっていた為替の業務は輸出入にからむものだったけれど、金融業界に身を転じ、為替取引の対象も外国株式や外国債券の売買にからむものへと変化した。ちょうどいろいろな規制も緩和方向にあり、日本からの海外証券投資が増大して行く中で、いわばバブルの走りという時期だった。取引する金額も5本(1本は100万ドル)単位があたりまえで、10本とか20本とかをバンバン売ったり買ったりしているのに目を丸くしたものだった。

当時外債で主に取引の対象となっていた銘柄はちょうど入札で発行されたばかりの30年の米国国債。FRB議長のボルカーが金融引き締め政策だったこともあり、クーポンはなんと11.25%という今から思えばとんでもない高金利だった。
転職した直後でもあり、ともかくうちの外債部がこの指標銘柄(T11.25% 2015/2/15償還)を飽きるほど取引していたことだけは鮮明に覚えている。そんな気の長い期間の金利を取引するなんてこの人たちどうかしている、などと思いながら。

数年後、資産運用業に携わるようになってからは(2回の転職を経たものの)ずっと同じ業界で過ごすこととなった。当時D証券で一緒に為替をやってた同僚たちは、引退したり離職したり転身したりして自分以外はもう誰もトレーディングには関わっていない。

今日はあの30年債が満期を迎える、単にそれだけの事実なんだけど、もう30年も経ったのかという思いと、その間ずっと相場(プラザ合意あり、日本の金融危機あり、リーマンショックあり)に一喜一憂してきたのか、という思い、それに社内社外で自分が関わってきた人たちの変遷を思うと、なんだかしんみりと複雑な心境だ。

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2011/01/11

ちょっとムッとした

たまたまテレマンのトランペット協奏曲で検索してたら、どこの誰だか知らないけれど、どなたかのブログに僕のエッガーの楽器の写真(ずいぶん昔に浜松で撮ってもらったもの)が無断使用されていた。引用先もなにも注釈はない。

なんか、こういうの発見するとちょっと不愉快になる。

僕がブログに使っている写真はすべて自分が撮ったオリジナルのものである。写っている人をボカしたりしてないという点で若干マナーが良くないところがあるかもしれないが、一応公にしても構わないよね、という自分なりの基準に照らし合わせた上で載せているつもり。間違っても人の写真を無断借用したりってことはない(はず。6年も書いてるとひょっとして例外があるかもしれないのでちょっと弱気になってしまった)

オリジナリティって大事にするべきだと思う。そのブログのサブタイトルに「音楽する心」なんてつけているくらいだから尚のことだ。

ブログとか音楽とかの話ではないが、仕事でも相手先から来たメールにあたかも自分が書いたかのような顔をして他から拾って来た情報(しかも元ネタは有料だったりする)が載っていると、「こいつ、マナー悪いなー」と思うことは始終だし、目につくときは「これ、先方に了解を得ているんですか?」などと直接注意したりもする(嫌がられてるだろーなー)。

でもそれが有用な情報であれ、いや貴重な情報であるからこそ配信元はお金を取って商売にしているんであろうし、それを無断借用した時点でその人(会社)の信用はがた落ちってわけだ。その人を介して「あちら」の情報が流れてくるってことは、「こちら」の情報もその人を通じて「あちら」に筒抜けってことだもんね。それよりは、その人が独自に拾ってきた情報や自分で考えたアイデアのほうが数倍貴重だと思う。

というわけでオリジナリティには敬意を払おうよって話でした。


(追記)
ちょっと気になって調べたら、やっぱりあった。バレンタインで最上川川下りをしたときの写真、あれは山形新聞からもらったものだった。出典を明らかにしないでブログに載せてすみません、ペコリ。

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2010/10/07

あやうい雲行き

円相場

数年振りの介入に敬意を表して82円台から85円台まで持ち直したものの、それ以上は持ち上がらず「こりゃ、やばいな」と思っていたら、案の定じわじわと円高になって83円を切ってきてしまった。
・2度目の介入にサプライズはない
・82円が防衛線と明言してしまったこと

当局の対応が難しくなってしまった。

この水準がファンダメンタルとかけ離れているとしたら(あくまでも仮定だが)、急激な円高になったときにとことん放置してドルショートがたまったあとのリバウンドに期待するしかない。そうでなければ今回のように長期間円高水準にあると言うこと自体、ここが均衡レベルだということなんだし、それが容認できないというのであれば大量の資金を使って力づくでレベルを変えるしかない。しかしながら市場介入に関して他国の賛同が得られていないことも、またそれが徒労に終わるであろうことがマーケット参加者に見透かされていることも政府・日銀にとってはつらいところだね。

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2010/06/18

メールと名刺が多すぎ

タイトル通り

メールは一日大体400通くらい受信している。中味はマーケット情報とか売買連絡とかが主だけれど、中には返事をしたり対応したりしなくちゃいけないものが何通かはある。血液型A型の性分として一通り目を通さないと気持ちが悪いところが始末が悪い。一通見るのに10秒かかると仮定しても全部を見るだけで66.67分。毎日結構な時間をメール確認に使ってるよなあ。

しかも一日会社を休むとこれが800通だし、一週間だとあっという間に2000通にも積み上がる。休暇の後出社の気が重いのはこのせいもある。前の会社の時は長期休暇明けはその直前に休日出勤してメール消化してたもんなあ。

ということで。名刺の話はまたあとで。

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2010/05/25

ふと思った

こんなに毎日不甲斐なく下げ続ける株式相場を見ていると、有価証券投資という我々の仕事はいったい何なのか、と疑念を持たざるを得ない。
そもそも資本主義下で経済が発展すること、企業が成長することを前提に、選別された企業への投資を行う、というのが根本にあるはずなのだけれど、それは全くの古き良き時代をひきずった仮説で、実のところは衰退する経済の中で無駄な努力、いやむしろ取ってはならない行動をしているだけなんだろうか。しかも人様のお金まで巻き込んで。

クレジットリスク、ソブリンリスク、地政学的リスク、とにかく暗くなる材料には事欠かない。

この業界に住み続けていること自体が判断の悪さを証明しているようなもんだね。

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2010/04/15

ひらめき

仕事で受け取る名刺の管理法にはいつも頭を悩ませてきた。

ところがその名刺の整理法に画期的なやり方を思いついた。

まず名刺を大きく3種類に分類する。

日々使う頻度が高いもの、すなわち
most active contact person は名刺に穴をあけて分野ごとにリングで綴じ込み。順序は会社名のABC順。大きめのリングを使ったら、
 1. 日本株と外国株のセールス
 2. 円債と外債のセールス
 3. 為替ディーラーとシステムベンダー
この3つの分類でそれぞれ丁度いいボリュームとなった。
これのいいところは担当者変更などアップデートとメインテナンスが圧倒的に楽なところだ。

not frequent contact but live の人たちは今まで通りKINGのカードフォルダーに分野ごと会社名のABC順に綴じ込み。同業他社の人たちも同様。

で、問題は転職したり転勤したりで古くなってしまった名刺の扱い。これは今まで上記のカードフォルダーに入れておいたんだけれど、もうその会社には所属してなかったり異動で連絡がとれないわけだから言ってみれば有効期限切れということになる。これはいっそのこと会社名や分野とか分け隔てなく名前のABC順で一括保存。これで無くなったリーマンとかベアスターンズとか統合してしまった会社の人とか所属組織に全くこだわることなく機械的に仕分けておくことができる。もっともこの手のカードはほとんどその後活用することはないんだけれど。でも例えば、山一→ベアリング→ウォーバーグ→リーマン→野村、みたいに転職していった(野村以外はもう存在しない会社だ)人の名刺が手元にあったとして、それがこの仕分け法だとちゃんとひとつところにまとまることになる。その人の歴史も追えるしね。我ながら良いアイデアなんじゃないかと思った次第。

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2009/11/21

高金利通貨は有利か?

高金利通貨に投資をするのは果たして賢明なんだろうか。

今でこそ低金利になってしまったが、かっては米ドルは高金利通貨だった。どのくらい高かったかというと、レーガン大統領時代、85年2月に米国財務省が発行した超長期30年国債の利回りは11.25%!今のデフレの時代から見るととんでもない高金利だ。このとき米国債を買っていたらさぞかし有利な運用だったに違いない。

ちょっと検証してみよう。

例えばこの国債に日本円から投資をしたとして、為替の変動も含めて今までどの程度の収益があがったか、ざっくり計算してみる。

1985年2月のドル円の為替レートは220円。1万ドル米国債を買ったら支払う金額は220万円である。毎年受け取る11.25%の利子はそのときどきの為替レートで円に交換するとする。もし今投資したものを回収しようとして米国債を売却し現在の為替レート90円で円に戻し、今まで受け取った利子と合算すると(ー細かい計算は省略するがー)合計金額は459万円。単純に見れば2倍以上になっているが、24年間という投資期間を考えて年平均で見ると単純利回りは4.53%ということになる。(利息には税金がかかるので正確にはこの利率ではない)

一方同じお金を日本の国債に投資していたとしたら収益はどうだっただろうか?85年当時、日本国債の一番期限の長い物は10年国債で利率は6.1%。満期が来る1995年にまた10年国債を買ったとしてその時の利率が4.4%。さらに2005年に買い替えをしたとしてその時の利率は1.5%。当初投下資金を同じ220万円とすると現時点での元本と受取利息の合計は464.2万円になる。年平均の利回りは4.625%という計算だ。(同じく利息には税金がかかる)

つまり、高金利(11.25%)の米国の債券に24年間も投資したのに、その結果は為替レートの変動のせいで思うような高利回りではなかった(4.53%)のに対し、低金利であった日本国債のつなぎ投資をしたほうが有利だった(4.625%)ということだ。

もちろんいつ投資するかというタイミングの問題も大きい。1985年と言えば9月にプラザ合意という為替相場にとっては20年に一度というような大イベントがあって、それまで240円だった為替レートが数ヶ月で一挙に120円と半値になった年だ。上記のシュミレーションもプラザ合意のあとに投資をしたと仮定すれば全く違った結果が得られる。

一般的には高金利通貨に投資をするならば為替リスクを相殺するためにある程度長めに持たなければならないというのが基本だ。あるいは為替レートが有利な状況になったら一旦回収して利益を確定するというやり方もある。しかしながら肝心な点は、どんなイベントや市場変動が将来待ち構えているのか誰にも予測できないということだ。

実は1985年2月というのは僕がD証券に転職した月だ。当時の米債30年指標銘柄としてこの11.25%2015年2月15日満期の債券は盛んに取引をしていた懐かしい銘柄でもある。よもやその債券が償還になろうかという頃まで売った買ったの仕事をしていようとは自分でも全く予測はつかなかった。

この20年間の為替変動があらかじめ予測できてれば今頃は大金持ちになって南の島でのんびりしてるか、フランスのシャトーでおいしいワインと料理に舌鼓を打っているに違いないのだが。

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2009/06/29

小規模志向?

一般的な区分はどうなっているのか、厳密には知らないが、組織の大小をこういうふうに区分けする事も可能ではなかろうか。

=小組織=
構成メンバーの顔も名前も人となりもよく分かっている

=中組織=
顔と名前くらいはだいたいわかるけど、全員がなにをしているかまでは知らない

=大組織=
そもそも全体像がつかめないくらい人が多い。人の名前を覚えるなんて気はもとより起きない。

小中大は小企業、中企業、大企業でもいい。小企業なら多くても10数人、中企業は数百人、大企業は千人以上の規模っていうのがだいたいの僕の感覚なんだけど。

最初に自分が就職したのは正社員800人くらいだったから、いわば中企業。人事にいたこともあって人の名前は全部覚えた(若かったこともあるしね)。6年後転職した時は一万人近くの大企業だったので、それこそ群盲象を撫でる(だったっけか?)状態で、中途入社ということもあり、俯瞰図は数年勤めても得られなかった。そうこうするうちに子会社に転籍(200人くらい)、外資系に転職(当初日本法人は100人未満)、今の会社に転職(超大企業の子会社、200人くらい)、と概ね組織的には中企業に勤めている。見晴らしが良くて自分の性に合ってるような気がする。

そういう組織の役割の中で、上司としてどれだけの人を見る事ができるか、ということになると、やはりせいぜい10人くらいなのではないだろうか。というのが自分の経験。(ま、それ以上の人数を任されたことがないからということもあるけど)
組織が肥大化すると、どうしてもさらなる小グループに分けて、それらをまとめるマネジャーを統括するというリモートコントロールの必要が出て来る。必然的に個々人の顔は遠くなり直接のコミュニケーションは希薄になる。

6月末で株主総会も多い。社長交替の会社も多数あるが、大企業の社長になる人々ってそういう重層管理に慣れた(長けた)方々なんだろうな、と思う。
自分には声がかかる恐れはないけど、そうやってとんでもない大人数を率いることになるときっと途方にくれるに違いない。同じ組織の長をするなら(しかも給料に変わりがないなら)小組織がいいなと思う自分は所詮小サラリーマンだね。同じ給料でもどうせ動かすなら大人数を、という権力志向の人もたくさんいるんだろうが、自分はその対極だな。

そんなことをつらつら考えるに、そういえば、音楽だって少人数のアンサンブルの方が好きなんだよなあ。というか、もうこの10年以上その方向しかやってない。
大編成のオケはどちらかと言えば苦手。(でも考えてみるとオケは人数やパートの多さから、組織としての包容力が大きいのも事実だ)

この嗜好性って関係あるんだろうか。

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