コンサート余波
9/2(金)ルーテル市ヶ谷ホールに斎藤秀範さんのリサイタルを聴きに行った。
2回目の今回は、1曲目と終曲にイタリアのトレッリの曲を配置し、その間を前半はパーセル、後半はヘンデルでまとめて、イギリス特集のプログラムだった。とても趣味のいいプログラミングだと思う。ゲストの青木さんの歌も映えていたし。
それはともあれ、コンサートは斉藤さんご自身のMCを挟みつつ進行したのだが、その中に含まれた2曲、
Purcell: The Duke of Gloucester’s Birthday Ode(1695)
Handel: Birthday Oder for Queen Anne(1713)
の曲の追加解説があって、パーセルの曲はヘンデルの曲のアン女王の息子のために作曲された、というお話だった。
(アン王女は18世紀スチュアート朝の最後の君主で、イングランド君主・スコットランド君主の後、最初のグレートブリテン王国の君主となった人)
あれあれ、パーセル(1659-1695)はヘンデル(1685-1759)よりも前の時代の人なのに?と不思議に思ったが、うちに帰って調べてみたら、以下の史実が判明。
The Duke of Gloucester - William (1689-1700)
Queen Anne (1665-1714)
つまり夭折の天才パーセルは亡くなる年に6歳のウィリアム王子のためにこの曲を作曲、ヘンデルはアン女王の最晩年(亡くなる前年)に誕生日お祝いの曲を作ったということになる。
ちなみに当のウィリアム王子は11歳の若さで早々と亡くなっている。6歳の時はトランペットの音を大層にお慶びになったとの話もある。
壮絶なのは女王の方で、1684年から1700年までの間に17回妊娠したものの、6回は流産、6回は死産で、無事に生まれてきた子どもたちもこのウィリアム以外は生後すぐ夭折、もしくは1、2年で病死している。唯一育ったウィリアムも先天的な病気を抱え、上記の通り11歳で夭折。
18世紀のイギリスはスペインの無敵艦隊を破るなど破竹の勢いで、その国力がピークにあった時代。それなのにプライベートでは子宝に恵まれず、何度も我が子の死に目に遭わなければいけなかった、というのでは女王の嘆きはいかばかりであっただろうか。そのせいかどうか定かではないが、ブランデーをことのほかお飲みになり、晩年は肥満で車椅子でなければ移動できなかった、とWikiにあった。